2024.08.24
○塾とはどうやるかを指導するところ
個人がどうやるかまで考えながらやるのは、方法の選択において恣意的でり、個人の偏った信念、自分が一番いい方法を取っているという自信、それは他人の優れた意見に耳を貸さない頑なな態度として、また先人の教えを蔑ろにし、自分の信じた、つまり自分の考えと同じ人のみを信頼するという失敗に満ちた選択として、確実に失敗へのロードを歩んでいることにさえ気づかない、失敗者に共通した態度である。
塾は、何をどうやればいいかを提供するのが重要な仕事の一つである。
こうやればいいと導くのが塾である。
もちろん塾の本務は、勉強の内容を質の高いものとして、また教える技術も洗練されたものとして、提供することにある。しかし、多くの親や子は、そもそもの勉強の方法、どう進めたらいいのか、いやどう学んだらいいのか、に迷っているのである。
塾は、合格にもっとも長けた方法を熟知し、責任を持って指導する義務がある。しかし、都立しかないと悲壮な思いの多くの家庭は、塾にできるだけカネをかけないでうまく都立上位校に合格できたらと考えている。この家庭の意図は、一昔前なら優秀な子がそこそこのカネはかかる程度で都立駒場や新宿などに受かって達成されたものである。しかし、いわゆる都立独自校と言われるところは、やはり経済的に厳しい家庭には塾にカネをかけないために難しい選択になりそうである。
現在の受験は、一つの真理を如実に暗示している。
受験というのは、一人でやるものではない。個人が家庭でやる勉強ほどいい加減なものはない。合否は塾、予備校が支配している。過去竹の会でも塾を誤解する親が多数いた。竹の会のコースだけで合格できる、と信じていた。夏季も竹の会はかなり少ない日程を組んできた。都立志望の家庭はできるだけカネを使わないで合格しようとしていることがわかっていたからだ。
しかし、そのような配慮ができたのも、平成27年まで。平成28年の結果で、それでは合格できないことが明らかになった。これまでの合格予想は悉く裏切られた。私立難関校志望の受験生がかなりの数、小石川などの有力都立に雪崩れ込んできたことが推測できた。
都立志望というか、塾に出せるのがようようの家庭は、塾は行きさえすれば、成績を上がるものと決めてかかり、クレームをつけてくるが、指導時間が少なければ成績など上がるわけがないのである。塾というものがまるでわかってない。また受験というのも全くわかっていない。
受験は、最大の指導時間をかけなければ受からないものなのである。それにはカネがかかる。それが受験というものの本質である。
竹の会の用意した時間量は決してベストではない。もともとそういう家庭に配慮して、つまりカネのかからない日程を組んできたのであり、この日程で受かるのは、もともと能力が高く、さらに、都立中高一貫校制度がスタートして数年までのことである。
今は、都立独自校も開成、特に慶應女子などに合格しながら、東大狙いで日比谷に行くとか、とにかく様々な思いで、独自校は難関校狙いの受験生のターゲットとされている。
こういう受験生に、並のカリキュラムで勝てるわけがないのである。というか入学してからそういう東大狙いの受験生に刃が立つわけがない。落ちこぼれは必然の流れである。特に、独自校に推薦で合格した生徒などは落ちこぼれることは最初からわかっていたことであり、合格したと小躍りして入学までのんびとり過ごすこともあって、最初から底辺を這うしかない成績をとることになる。これは決定事項である。推薦合格お疲れ様です。
独自校に入るにはただ合格すればいいのではなく入学後上位25%以内にいることが至上であり、そのためには難関私立受験をすることで実力をつけてからの一般入試合格でなければならないのだ。
都立中高一貫校でも基本認識は変わらない。
竹の会の財布に優しいカリキュラムで落ちたからと、「先生に言われたことをやってきたのに落ちた」など文句をあちこちに撒き散らす親の勘違いは、私立難関受験生が、大手進学塾に週5前後通い、季節講習は目一杯取り、多くは別に個別指導に通い、あるいは家庭教師をつけて、必死に勉強しているのに、竹の会に週2ペースで来て、季節講習も節約カリキュラムを選び、それで勝てるか、という話しである。わたしは、平成28年の結果に、これまでの時間数では足りない、そのカリキュラムでは落ちることを確信した。しかし、都立志望の親の意識は、相変わらずできるだけ少ない費用で済ます、それで受かりたいというままであった。竹の会ではこれまでのように合格者を出すことは難しく、優秀な人材にかけるしかなくなった。しかし、竹の会の入会試験でまともな得点を取る者はほとんどいず、内申も「よくできる」が半分前後の子ばかりが入会を希望してきたのだ。内申がなければ、都立中も都立高も土台無理なのに。そういう子たちが普通の指導時間で受かるわけもないのに、いったい受からなかったといって、塾を責める神経が理解できなかった。
要するに、何もわかっていないのでる。この点、私立中学などの受験を経験した親というのは、大手の中を見てきたから、その意味では、受験をよく理解している。
しかし、竹の会が、高校入試の専門家と言ってみても、多くの親が、その真の意味を理解することはない。巷にある塾の理解をそのまま竹の会に当てはめる。しかし、実際に竹の会で高校入試の指導を受けて見れば、すぐにわかる。竹の会が高校入試の専門家という意味が。
ただ小学から竹の会にいると、竹の会の高校入試指導の真価がわからず、大手ならもっといいのではと憧れる親子もそれなりにいた。そういう親子は竹の会の指示をそのまま信用することはなく、自分たちの判断を重視したように思う。
自分たちの判断を優秀として、塾を本音のところでは信用していないのだ。だからそれは言動の端々に現れる。
本物の塾とは、経験を重ねて、こうやれば受かるという確信に到達していること、である。しかし、その確信は、様々な要件を満たすことが前提となるものである。なによりも、竹の会は、家庭の学習を信用していない。結局、合格は指導時間の量で決まる、と考えて来た。記憶は定かではないが、少なくとも平成10年の早稲田実業高校合格は、Sコースと言われた、竹の会の全指導時間に出席できるコースの結果であった。当時の竹の会は、開始15時、終了は22時前後、21時までという時代もあったように記憶している、指導日は、月から金までだったと思うが、日曜日にやった記憶もある。夏にもSというのはもちろんあり、25から30回、1日10時間というのが標準であった。もちろん節約型コースというのは設ける。費用の関係からほとどんは節約型に申し込む。ただし、Sは時間あたりの単価は格安であった。さらに重要なことは、S からは必ず合格者が出たことだ。しかも難関高校。これに対して節約型では不合格が普通であった。併願の私立、内申が振るわず単願、つまり無試験で名の知れぬ私立へと行ったのは能力もさることながら節約型のゆえにと思ったものである。最近日本学園が明大系列校になったが、あそこは竹の会では、落ちこぼれの行く学校であった。
竹の会は昔から、つまり経験による確信に到達する前から指導時間を最大にすることで合格を勝ち得てきたのである。そして初めから過去問を軸にしてきた。すべてわたしの大学受験の経験が基礎になっている。過去問合格法と名付けた方法に到達せざるを得ない。近年の「惜しい」と言われる人たちの不合格は、みな時間をかけなかったからである。特に、低学年時に「まだ小4だから」の節約論理で、小6に伸び悩み不合格となるのがほとんどである。
親にその自覚はない。竹の会は通常は「節約型」の格安コースしか提示しない。それで単純な親は「先生の言われた通りにやったのに」と言ったのだろう。しかし、言われた通りにはやっていないし(課題サボりの常連、家庭学習の少ないことなど)、かつ指導時間は最低、さらに高学年、特に6年になって、5年の後期などに大手から来た子ばかりだった。小4から来ても節約型、これが真相でした。
竹の会は、Sコース、αコース以外からでは合格者はほとんど出ていません。節約型で受かるという幻想は持たないで欲しい。特に、高校受験で難関、独自校を受ける場合、そして都立中学を受ける場合は、大手進学塾のライバルが敵となる。彼らの彼女らの勉強量は、その能力の高さと相まって最大の脅威であり、竹の会でのんびりと通い、家庭学習も長閑なもので過ごし、節約しながらの季節講習で、大手の猛者たちに勝てると信じる頭の構造はわたしには理解不能である。竹の会のやり方だから少ない時間で後は家庭学習でがんばれば受かるなどという勝手な思いこみでうまくいかなかったら竹の会を批判するというのはあまりにも皮相である。かつてコロナ時期、直前に家庭で頑張ると1月塾に来なかった子がいたが受かるわけがない。自分でやる勉強なんて意味がない。そういうこともわからない親子ばかりだったのである。往々にして、それは竹の会に遅くにやってきた親子に見られる傾向で根本の所では塾を信じていない、だから1年2年も通った大手も見限るのだろう。しかし、見限るのは遅すぎではある。これは竹の会の指導で育ってきた子たちに見られる現象でもある。竹の会から低学年に来て最大限の指導時間をかけてきた子は伸びるが、節約型の子は伸びない。それは真理である。
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🔛新作「開成 筑駒のための 英単語集
わたしが受験で3か月で1万語を覚えた語呂合わせを全ての単語につけました。
わたしは、旧豆単(旺文社)の単語の空白に表記を基準に漢字を当てはめて語呂を作っていきました。発音記号にまでは手が回りませんでした。今回の制作に関しては、最初発音記号に忠実に語呂を合わせようとしたのですが、たまたまわたしのスマホに研究社の辞書アプリを入れていまして、それは単語ごとに音声がついていまして、試しに使ってみると、どうも発音記号通りには聞こえない。これは大変だということで、今度は、発音を聞いて語呂を作るように修正することにしたのです。まて、最初、高校入試程度なら語数も知れている、と楽観していました。さらにもともとかつてわたしが遊び心で作ったZ会の英単語400語について語呂をつけたものをレジュメにしていたものをなんとかしようかと思いたったこともあります。これを土台に1200語ぐらいの単語に語呂をつけたものを書けばいいか、と軽く考えていました。しかし、市販の有名な単語集3冊に目を通し、豆単の時代遅れを目の当たりにしました。これらよりいいものを作りたい、という野心がムクムクと湧いてきました。
わたしが一冊の本を書き上げるのに、都合10冊前後の本を読みますが、今度も例に漏れず、市販の英単語集を何冊か、それから復刻版の豆単、英語の接頭辞辞典、重要動詞の整理などかなりの参考文献を参照しました。基本文献は、研究社の新英和中辞典です。このアプリ版は、音声も確認できます。拾った語数も、最新のデータにより、難関国立、私立大学にも対応できるものと自負しています。
語呂合わせは、最初発音記号にあわせていたのですが、音声と発音記号を照らし合わせてみると、かなり違うごとに遅まきながら気づく始末でした。例えば、語尾のLはほとんど聞こえないか、微かに「ウ」と聴き取れます。語尾のngなどはほとんど無声です。それで折角発音記号に合わせて作った語呂は捨てて、音声に忠実に新しく考えました。そうなるといちいち音声チェックをしなければならず、なかなか大変な作業でした。ある日など、一日がかりで打った原稿が突然のパソコントラブルで消えてしまったこともありました。作るなら、妥協しない、早慶、旧帝大も視野に入れたものにしたい。そういうわけで、時間がかかっております。
読者の皆様、もう少しだけお待ちください。今は、この仕事のみに集中しております。
もうすぐ完成 神単語集
□高校入試シリーズ
開成・筑駒・慶応・慶応女子・早実のための
英単語集
※難関高校受験生のバイブル・高校英語の便利帳・大学入試共通試験対応
※わたしが受験時代に開発した語呂合わせによる暗記法を随所に挿入
本当に「出る」単語に絞った単語集
実は、「語呂合わせ単語集」を執筆していて、いやそれよりも開成などに通用する単語集を編集したい、という野心が湧き上がり、語呂による暗記法を随所に挿入することにしました。
わたしは大学受験のとき、約3か月で約1万語を覚えました。ここで覚えるという意味は、単語を見たら「意味がわかる」というものです。
決してスペルを正確に書けるという意味合いではありません。
わたしはすべての単語に漢字をあてはめて、単語を見たら漢字を思い出し、漢字から意味を思い出す訓練をしました。都合赤尾の豆単を50回以上回したら、どんな単語も見ただけで意味がわかるようになりました。
その方法はこの単語集で伝授することとし、それよりも、開成や筑駒の英語に通用する単語集を編集することに重点を移し、執筆することにしました。これは竹の会でなんとか出さなければと思いました。
ただいま執筆中です。当初は難関校対策として執筆を始めたのですが、自分の大学受験のときの単語と格闘した記憶が鮮やか蘇り、語呂合わせに苦労したあの時と同じように苦労しています。どうせなら大学受験にも対応した単語集にしようと、自分が大学受験をする気分で執筆しています。もう少しお待ちください。連日執筆に明け暮れています。必ず仕上げます。単語集執筆というものがこんなに大変なものとは思いませんでした。日本全国に通用する、神的な単語集となると確信しています。3ヶ月で1万語覚えた私の体験的な作品です。もう少しお待ちください。あなたたちも3ヶ月で5千語は覚えられる神本です。
現在単語1語ずつ発音を耳で確かめて耳で聞き取った発音で語呂を考えています。中々いい語呂が浮かばず悪戦苦闘しています。わたしが受験のときは少々無理な語呂でもなんとかしましたが,公刊となると中々そうもいきません。pro-やcom-などの接頭辞が続くと語呂も大変です。いろいろアイデアを考えて取り組んでいます。
どうかもう少しお待ちください。
どんなにわたしの本が高くても1ヶ月で5000語以上を覚えられるならこんな安いものはないと思っています。
既刊の本も使ってみればわかるはずです。この中から出る、そういう本です。これだけで理科や社会、英語の本質がわかる、そういう本です。
実際に使った人だけがその価値のわかる本です。読みもしないで批判する人は無視してください。