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外堀を埋める攻め方の迂遠さ

2022.12.03

 

外堀を埋める攻め方の迂遠さ
 難関試験を受けるとき、勉強方法としては、2つあると思う。
 ①外堀から埋めていき、本丸に至る方法
 ②本丸から攻める方法

①は、オーソドックスな攻め方といえる。まず体系的な知識を勉強する。それから過去問や問題集をやる。体系的知識は、整理する、まとめる、サブノートを作る、など時間のかかる作業である。問題集は、体系的知識から解けるかを検証することになろう。
②体系書は使わない。「一覧性」のある教材を使う。過去問は、解説を読む。問題は解かない。
 昔は、そもそも一覧性のある教材などなかった。今は、探せば見つかる。過去問は、解説を読んで知識を手に入れるために使うものだ。
 いきなり本丸を攻略するというのは、必要なこと、出ることだけをやる、ということである。問題集は、本来の使い方はしない。実は、これは、わたしが、大学受験のときに、使った方法である。とにかく時間がない、それで端折れるものはすべて端折った。問題集は一切やらないと決めた。時間の無駄というよりも時間の節約であった。過去問も結局、買ってはみたもののやらなかった。赤本である。教学社が出している。ただパラパラとめくってみて、英語なら長文ばかりだな、とか、数学なら、全5問か、楕円、数列、三角関数、順列が出てるな、とか、そういうことを流し読み、する、だけである。数学なら、Z会の「数学I IIB問題集」、これは問題と解答が1ページに載っていて、200題ある。これを20回以上読み込んだ。数学はそれだけである。英語なら、赤尾好夫の豆単を50回は回した。それから原仙作の英標を20回、日本史、世界史は、山川用語集を何十回回したかわからない。日本史、世界史で問題集をやったことは一度もない。とにかく本丸攻めである。本丸しかやらなかった。模試は、一度だけ受けたが、確か秋だったかな、結果は番外。まぁ、箸にも棒にもかからない、ということだ。わたしが受験勉強を始めたのが、9月半ばで、それから5か月後の3月3日4日5日の3日間にわたって試験本番だった。発表は3月15日で西日本全域にテレビ中継された。九州大学とはそういうところだったのだ。わたしの受検番号(2017)が、テレビに写ったとき、祖母と母は手を取り合って泣いた、と聞きました。
 ②の方法は、難関試験の、究極の方法として、竹の会の指導の根底に脈々と流れている。わたしの指導の原点は、高校入試、大学入試のわたしの体験にあることは素直に認めなければならない。いきなり核心から一気に攻めるとか、一覧性を重視したレジュメとか、伝統の7回解き直しとか、すべて私の成功体験に由来するものばかりである。今だから、話すが、昭和62年竹の会第1期生が市川高校、青山学院高等部に合格したのは、わたしが、手をかけたからである。ある時は、深夜2時までぶっ通しで指導した。もちろん個人指導である。とにかく私の全時間をこの生徒の指導に費やした。この合格の裏には、言い尽くせない、私の献身があったのである。竹の会の合格者、奇跡的合格者は、例外なく、わたしが手をかけて、育てたから合格したのだ‼️

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