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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

天国の母へ報告します

2018.02.13

 なぜか、涙が止まらない。いつも発表の後、そうだった。ひとりになったら子どもたちの顔がひとりひとりフラッシュして、掲示板の前に悲しそうに佇む子どもたちの顔が過ぎる。なぜか泣けてきてしかたない。なぜもっと勉強しなかったんだ、憤りもある、でも悲しい。部屋にひとり、声を出して泣いた、いい大人がこんなに泣くなんて、そう思いながら泣く。

 わたしは一生懸命手を尽くしただろうか。いつも思い苦しむ。もっともっとなにかやれたのではないか。子どもたちにいい先生だっただろうか。子どもたちだって大変だった、みな健気にわたしの言うことを聞いて頑張っていたではないか、そんなこと思ってたらまた悲しくなってきた。

 今日は、天国にいる母さんに、竹の会の子たちの合格を報告しました。母に「ありがとう。母さんのおかげで合格できました」と言いました。母が元気な頃は合格がわかるとすぐに九州の別府に住む母に報告するのが慣わしでした。母が「よかったなー、たけちゃん」ととても喜び誉めてくれました。それがうれしくてうれしくて合格の報告はわたしの生きがいでした。母がいなくなって報告する人もなくひとりで泣きました。「母さん、こんなに受かったんだよ」とだれもいない部屋で呼びかけました。壁にかかった母の写真が笑っているように見えました。いやかすかに、ほんとうにわらった、そう思いました。

 今は、竹の会をいつまで続けられるのか、よくそんな思いにかられます。血圧が高いのか、頭が重く、目がぼやけて、もうだめかなとよく思います。今のわたしは、正直一年一年が勝負のように思っています。今年も無事受検までこぎつけることができた、神さま、ありがとうございます、そんな思いです。神さまといえば、竹の会の神さまのこと、少し、書いておきます。竹の会の神さまは、わたしの心の中にいるのだと思います。どんなにまじめにがんばってきたか、わたしの心にこの子だけは受からせて上げたい、受からせなければ、そんな強い思いが湧き起こる、そういうときにきっと竹の会の神さまにわたしの心が通じるのだと思います。わたしに、ほんとうによくがんばるね、と胸を締めつける何かが伝わる、そういうときに神さまが力をさしのべるのではないか、そう思います。

 親御さんたちの竹の会への思いの強さを感じております。どうか見放さないでください、と訴えている、そんな思いを感じます。もう若い頃のように無理をしてがんばれない、家族もそんなにがんばらなくていい、と言ってくれる、だから、ストレスのないように思い通りにやりたい、そう思って決意するのだけれど、子どもを思う親御さんの愛にはかないませんね。

 今の、わたしはいつでも、竹の会とお別れする心の準備ができているつもりです。「さよなら、竹の会、わたしの竹の会」と言ったら、今度は人がいても泣いてしまうだろうな、もしかしたら声出して泣くかも知れない。いや泣く、わたしは泣く、しばらく泣く、涙が溢れて止まらない、きっとそうなのだらう。そのときは母さんもきっと「お疲れさん」と言ってくれるのかな。

 母のいない今、合格を報告する人はいません。壁に掛けられた母の写真に頭を下げる、そして溢れる涙を拭いながら、さあ、もう一年がんばるか、と言うのです。

 今は子どもたちにわたしの生活、生命をかける、それでいいんだと思っています。死ぬときは、やりあげて子どもたちの喜ぶ顔を見てからがいいかな、もう少しだけ、竹の会を続けさせてください。竹の会の神さまにお願いしています。

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