2019.04.07
4月7日(日)になりました。今年の春は塾と私的なことに追われてゆっくりと桜を「見る」こともできないままに終わりそうです。すぐに次の受検、受験のことを考えなければならず、本年実施の問題が発刊されれば、また何か月か研究・分析に没頭することになります。新作の執筆もありますから、時間に追われる日々からは当分は解放されることはなさそうですね。
時折「草枕」を熱心に読んでくださった方からの、「草枕」について、感謝の言葉をいただくことがあり、励ましになります。
●知能の差という、努力では、越えられないもの
知能は、遺伝子に規定される。これは抗えない事実である。竹の会の入会試験の問題の1番は、定番問題として、竹の会の中では、有名であるが、この問題は、竹の会に入会するには、最低限解かなければならない問題として位置づけられている。この問題に対して、小3でいとも簡単に解ける子がいるかと思うと、小5、いや小6でさえも解けない子がいる。小3に限って言うと、解ける子と解けない子の割合は、半々というところか。以前は、解けない子が多かったように思う。小5で解けなければ、受検は諦めた方がいい。それよりも小5で、解けないというのは、受検云々よりも、これからの勉強生活そのものがまともにいかないことの心配をした方がいい。
解けない子の中には、1年も2年も塾に行っているという子もいる。塾が、機能していないのだ。この場合、一概に、塾が悪かったということにはならない。確かに、集団を相手に授業する塾は、万人に通用する方法は持ち合わせていない。一部の子たちだけが、授業を理解し、進めるシステムである。学校の優等生レベルでも、落ちこぼれる可能性がある。つまり大手で落ちこぼれずについていけるかどうかの最低の境界線が、学校の優等生である。
塾についていけないのは、遺伝子的要因のためである。ただし、学校の優等生の8割は、遺伝子的には標準的であり、残り2割は、標準よりも低い子たちである。遺伝子的には低いが、内申はいいという子もいる。
遺伝子的に低い子を救える塾はあるのか。いやそもそもそういう子は救えるのか。もし救えないのであれば、そういう子を救済する塾などというのは、あろうはずがない。わたしは、本質的
には、解決できない問題と考えています。しかし、多くの塾は、このようなグレーゾーンにある、大量の子どもたちについて、問題の核心には触れることなく、いやむしろ問題など存在しないかのように、臭い物に蓋をする、あるいは、問題を「教え方」の問題として、すり替える。つまり問題の本質は、能力などではなくて、教え方が悪いからだと言うのである。これは子の能力に悩みを抱える親たちにはなんとも心地よい言葉であった。親というのは、最後まで自分の子が、能力がないなどということを信じたくないものである。だからこういう言葉には弱い。「もしかしたら」と信じてしまう。
よく母親が、理科でも、社会でも、できない、できなくなった子どもについて、「うちの子は勉強の方法がわからないから、できない」というのも同じ。勉強しないからできないのに、方法がわからないからできないと言う。もちろん能力がないからできないという子も同じ。方法の問題として、本質的な問題とすり替える。回避する。
これは、世の中に「方法」が、よければうまくいくという風潮があるからである。方法さえよければ何もかもうまくいくようなことを言う。ここにまやかしがある。方法さえよければ努力など必要ないのか。方法は何もかも解決してしまう魔法なのか。方法を言う人は、地道な努力をしない方法を考えている。血の滲むような勉強を回避する方法を考えている。最初から、努力もしないで、方法で楽をしよう、楽をしていい点を取ろうという虫のいい魂胆が透けて見える。
方法などというものは、特に、勉強のそれは、各人によって、異なるものである。勉強に悩み苦しみもがき努力する、実行する中から自然必然に生まれてくるものである。ある人の、よく東大に合格したとか、なんとか、そういう人のとった方法をありがたがり、真似するバカが、溢れて、何してるのか。東大に合格させたという子育てママがマスコミにもてはやされて、調子に乗って本を出す。それ読んでどうすんの。方法がよかったの? もし遺伝子が優れていたのなら方法もくそもない。そんなことで本なんか出すなよ。これほど方法が一人歩きして持て囃されるのは、やはり世の中にはバカが多いのか。
知能のなんたるかを忘れてか、いや忘れた、わけではあるまい。直視したくないのだ。考えたくないのだ。
バカ教育評論家が、遺伝子的なものを教育的、人道的論理ですり替えて、真実をもみ消す。学校も遺伝子的な問題には、触れてはならないタブーとして、封印する。
いいですか。人間は、全く同じ脳でこの世に生まれてくるということはないのですよ。「進化」という言葉は、劣から優への進化を必然的に内在している。世の中は劣と優が混在さていることを前提としてできている。社会は、競争社会である。歴史的に人は競争して生きてきた。そこには敗者と成功者がいた。生まれながらにして家柄、富に恵まれた人もいたから、不平等な仕組みの中での競争であった。今もその実体はさほど変わらないが、知能が高い者が競争に勝つ機会は平等に、少なくとも建前的には保証されている。教育だからといって、競争から目を背けるのはおかしい。遺伝子的なものを認めた上での教育論でなければなるまい。
4月補充募集、対象 小4 小5
都立中をめざす、小5について、2名を募集します❗️ 仮合格者の退塾に伴う補充募集です。
小4につきましては、7月まで受け入れの予定です。
お問い合わせは、HPのお問い合わせフォームから、
予定数に達した時点で、募集を終わります。
新学年募集状況
小3 申込受付、入会試験L基礎
小4 受け入れ中。入会試験L中級
小5 4月補充募集中! 都立中受検は入会試験α
小6 高校受験 入会試験β
※中学生についても、受け入れることがあります。お問い合わせくだされば対応します。
8割基準を満たす小学生は竹の会へ!
竹の会が、合格へ道案内いたします!
8割基準とは、小学校の通知表の3段階評価のうち「よくできる」が、全体の8割以上あること、を言う(これは、竹の会の造語です)。
8割前後が、竹の会入会の目安となるかと思います。