2019.10.26
第26章 竹の会 プロの流儀
昨日よりも今日、今日よりも明日
こだわりをもつこと
かつて、ある生徒が、言ったことがある。平成5年あたりのことか。その時、その生徒は、進学した私立高校をやめて、都立に行くために、再び竹の会の門を叩いた。彼は、「竹の会というのは、勉強をやる気のある人にはこれほどいいところはない、と思います」と言った。さらに「竹の会という塾は年々進化していく塾ですね」とも言った。この子は、中1から中3までいたと思うが、よく竹の会の本質を見抜いているな、と内心、驚いたことを覚えている。
創成期の竹の会はほんとうに発展途上であった。すべてが試行錯誤であった。様々な試みを日々実践した。常に新鮮な気持ちだった。失敗と成功の日々であった。竹の会創設の時から、ブレなかったのは、過去問合格法だけであったかもしれない。大手塾や地元塾の栄枯盛衰を横目に見ながら、竹の会はなんとか生きながらえてきたが、生き残れた、理由は、毎年とにかく合格実績を残せたからではないか。それを可能にしたのが、竹の会で生まれ竹の会で成長し、完成した、過去問合格法であった。
※過去問合格法
竹の会が開発した最強の合格システム。首都圏の100以上の高校の過去問、10〜20年分を解き尽くした結果、導入期から実力形成期、入試直前期の総仕上げまで、全て過去問を適材適所、つまり実力段階に応じて、選び抜いた最適の過去問を解かせることによって、思考力を鍛え上げていく、形を完成させていった。直前の仕上げは、過去問を通年単位で解いていき、採点する、実力を確かめる、手法を完成させていった。
竹の会は、昭和60年10月にスタートした。その時に集まった子たちのほとんどは中2であった。たまたま中2の名簿が手に入ったためだ。昭和62年2月初めての高校受験、市川高校、青山学院高等部などの私立を突破して、都立駒場などの合格も出した。東京で初めての高校受験であった。わたしは本能的に、過去問を使った指導をしていた。過去問合格法は、竹の会スタートの時から、竹の会で使われてきた方法であった。それは大手のようにテキストもない、何もない中から、生まれた、確実に、合格を出してきた方法であった。過去問を使う、わたしは、このことにこだわった。100の高校の過去問は、100の顔、表情を見せた。過去問は様々な考え方を教えてくれた。過去問から良問を探すことは、わたしには宝物を探すのに似ていた。素晴らしい作品に出会うと、心が躍った。わたしは、偏差値の高い高校には良問が多いことを知っていたし、中堅とされる高校にも時として、これはという良問に出会うことがあることも知っていた。わたしは、過去問を知り尽くし、この子にはこの高校のこの過去問を解かせて見る、などという、名人芸、職人技を身につけていった。竹の会の過去問合格法は、竹の会だけがなしえる、特別の方法として、完成していった。
わたしは、塾が何をなすべきなのか、常に考えてきた。親は塾に我が子を託す、それは普通は学校の成績を上げてもらいたいからであろう。端的に思考力をつけてもらいたい、主体的に勉強に取り組むようになってもらいたい、などというのもある。
大手塾のこと、地元の個人塾のこと、中手規模の塾のこと、個人指導塾、個別指導塾、家庭教師塾、まあ、なんやかやと尽きないですね。補習塾というのがありますが、あれはだめですね。こんなところに行くのは、学校についていけないという理由なのでしょうか。自分の子が普通以下だということは認めているわけですね。中には、進学塾とか、大手とかを忌避して、とにかく勉強させるということで選んだ親もいるであろう。忌憚のない意見を言わせてもらえば、補習塾は意味がない。授業についていけない?というのはそもそもわからない。公立の授業のレベルはかなり低いでしょ。これについていけない子をそもそも成功裏に指導できるのか、ということです。もしそれなりに頭のある子ならこれほど害悪なところはない。
あなたたちは、塾というものを軽く考えすぎている。とりあえず大手なら安心と考える思考回路、地元の塾でなんとかなっているという能天気さ、子どもたちが楽しそうに通っている、それだけでうまくいっていると考える軽さ。かつて栄光に中1から無料体験からそのまま中3の7月まで通っていたという生徒が、来たことがある。三人称単数のSも知らない酷さであった。指導してみると知能は高い。栄光には仲間が何人も通っていて、それが楽しくて、やめたくないというのを親が無理に竹の会に連れてきた。いやここまでできないのを放っておくという塾も酷いが、本人も勉強のなんたるかを知らないままに漫然と通うなんて、親はそれまで子どもの学力も何も知らないというのもわたしには理解できないことであった。竹の会ならとっくに退塾していた事例だ。かなり知能が高いのに、高校受験を失敗し、下級国民としての道をいくしかなくなる、という例をわたしはもう数えきれないほど見てきた。
子どもの未来がいとも簡単に下級に振り分けられる現実を知らないのか。
もし可能なら、小学低学年が、勝負である。竹の会という指導システムを築き上げてきて、35年目になる。子どもの未来は、小2で決まる。遅くても小3である。しかし、今の竹の会の指導技術は、小3でも遅いという経験値が出ている。早ければ早いほどいい。
いいですか。能天気なあなたたちは、小4からなどと考えているかもしれない。しかし、小6になって竹の会にやってきて、小数の計算は不確実、分数も「できる」という言葉とは裏腹に、まともに正解が出せない。割合は「わかる」と返事だけは元気はいいが、全くわかっていない。これが現実でした。これには例外がない。それまで通っていた塾はなんだったのか、親も子も今頃になってその愚かさを悟る、もう遅いのである。
わたしはこの35年の間に、もっと早くに来ていればきっと成功したであろう、夥しい数の人たちを見て来た。その多くの親たちが、「竹の会は早くから知っていたが、」と口を揃えて同じことを言う。結局、大手に一年ほど行って、竹の会には最後の最後に来る。もう成績が振るわない、いろいろと行ったあとに最後にようやく来る、そういう親子のなんと多いことか。
はっきり言って、失敗した、ということです。この時期の失敗は、もはや取り戻せない適齢期の指導の機会を逸したということです。後から取り返すことができない性格のものです。後から指導すればわかることですが、そのときに培われるべき思考の核が「ない」という損失はなかなか後から補填できないのが経験値です。それほどに小学低学年からの指導の重要性はいくら強調しても尽きないものです。これまで竹の会に小5前後以降に入会した、99%の親子が、早くに入会しなかったことを、後悔しています。そのほぼ半数は、早くから竹の会を知っていたけれど、躊躇していた、知っていたけど、大手に行った、という人たちでした。親御さんのなかには、ブログをそのまま信用できなかったという人たちもいました。ほかに、小4の4月、つまりほぼ小5ですが、それでも始めるのはまだ早いと思っていたという親御さんもいました。よく都立中高一貫校を受ける親子が、小6になってから動き始めることがあるのも、都立を甘く見ている、としか思えません。とにかく竹の会に来た人たちのほとんどは、竹の会という塾の中身を知らない。ブログを読んで共感したという方も多いが、大手から来た人たちは、大手の枠から抜け切れていないから、竹の会の指導を誤解する人もいる。
実際に、わたしの指導の様子を1時間ほど見て、竹の会の指導の一端を垣間見て、もうそれだけで感動する人たちも少なくありません。実際に、入会してみて、わたしの指導を受けてみて、たちまち竹の会の凄さというものをひしひしと実感される親御さんがほとんどです。親御さんの多くはまず我が子のモチベーションのあまりにもの変わりように驚かれるようです。なかには子どもの急激な変化に驚き素直にわたしに感謝のメールを送ってくる親御さんも少なくありません。
親御さんたちは、一様に、「これまで通っていた塾はなんだったのか、と」後悔と驚きを隠さない。
わたしはよく思うのです。東京の皆さんは、塾というものに慣れてはいるけれど、実は、塾が、わかっていない、ということを。
わがままな子にするのは簡単である。子どもの自制心のない、我が儘をそのまま受け入れていれば、子どもはどうしようもない、クズになる。怖いのは、もう中学生くらいになると、わがままは際限なく、親の言うことなど聞かない、ということである。子どもが、親の言うことを素直に聞くのは、小学低学年までである。その時までに躾ておかなければならない。躾るとは、子どもの心に我慢する心を植え付けることである。自分を律する精神、強固な精神を宿すことである。子はわがままである。親が一度でも言うことを聞けば味を占める。何度でも言うことを聞けばもうそれが当然、当たり前と思うようになる。今の親は経済的に屈託がないから、一度くらいならと言うことを聞いてやる。誕生日、クリスマス、お正月、とサプライズの機会はどんどん増えていく。成績が良くなればとまた手形を振る。親は子を物で誘導するようになる。自制心のない、わがままだらけの子はもはや物で釣るしかない。昔の親は、経済的に余裕がないから、子に我慢させるのが、当たり前だった。それはそれで過度の我慢が犯罪を生むという構造はあった。が、昔の親には、モラルの崩壊した人間が少なかったから、子どもは、自制心を持つことができたのだと思う。
今は、モラル崩壊社会である。
モラルの崩壊した人間が、ウヨウヨいる。今、読んでいる、経済の本の著者ヤニス・バルファキスは、人間こそ地球を侵食するウィルスではないか、と言っているが、あっ、と思った。上級国民と下級国民という構造を喝破したのは、橘玲であるが、モラルの崩壊した人間は、この上級・下級の分類とは、もちろん一致はしない。しかし、相関関係はある。モラル崩壊は、親が躾をしなくなったことにも関係があるからである。
子どもを勉強を通して自制心を育むという試みは、親にその自覚がなければ無理である。
いくらでも甘い親には無理である。子どもを甘やかせて、クズにする。それはもともとの親のモラルも関係ある。いずれにしても、子の教育、つまり躾をスルーした親たちは、子を下級国民として社会に送り出す結果となる、育て方をしたことになる。早くから大手に入れて受験を考えたとしても、親に教育、躾についての理念のないところでは、子はろくなものにはならない。受験に失敗すれば、それはモラル崩壊、下級国民として、大量に社会に吐き出されるであろうし、少数の成功した人間も、エゴに満ちた、エゴのための自制心は肥大した、やはりモラルの崩壊した人間には変わりない。
わたしはこの仕事に携わったきてもう35年になる。平成18年の4月から公立中高一貫校のための指導を開始した。それまでも小学生はそれなりに指導してきたが、公立受検という動機で集まった小学生の指導は初体験であった。最初はそれはもう箸にも棒にもかからないような子たちばかりであった。それが次第に大手の息のかかった子たちになっていく。平成18年当時大手も手探りで、その対策を商売にするのに苦労していた。結局大手のやったことは、大量の受験生を一括処理するに適した方法であった。手っ取り早く過去問類似の問題を作り、それを対策しとしてバカ親を取り込んだ。これまでの私立受験のためのノウハウを使えないことが、大手には、厄介だったに違いない。
断っておくが、バカというのは、知識のないことではない。判断力のない、価値判断のできない人間のことである。いいものとどうでもいいものとを区別できない人間をわたしはバカと言っているだけである。わたしのバカ発言に切れる人もいたが、もう少しバカという言葉の分析をしたほうがいいのでは。
それからこのブログは一般的な正論、意見を言っているわけではない。わたしがこのブログを書いているのは飽くまでも竹の会という塾の価値を訴えるためである。関心がなければこのブログを読まなければいいし、コメント欄とかわたしには関係のないことである。また批判的な人の意見もいらない。このブログはわたしの主張に共感した人、する人だけに書いている。批判的な人は塾に入らなければいいだけのことで、それ以上になにやかやと言っている人がいても竹の会には意味もない。関心のない人がなぜわたしのブログの隅から隅までを読み続けるのか、わたしには到底理解できない。
大手というのは、大量処理を大前提とする。大量のこどもを取り込んで、企業としての営業利益の最大化に腐心する。株式会社である。だから当然喧伝に費用をかける。彼らは、実績を出してくれる親子とその他の経営を支えてくれる、馬鹿な親子とを明確に区別している。本音を言えば、彼らは、後者の親子を完璧にどう騙すかを戦略的に計算している。駅前教室は親の不安を計算に入れた戦略であるのはもちろんである。講師はみな学生でもスーツとネクタイは絶対義務とされる。学生は、親に阿り、子の機嫌をとる。楽しい優しい先生を演じる。バカな単細胞の親子を騙すのはこれで十分である。この程度の親と子、つまりお客さんの頭はその程度と踏んでいる。
小4の女の子であったか、遠くから通うのに不安を訴える。すると親も、確かにと思ったのか、途端に心配を募らせる。親が子どものさらに先をゆく。これも先ほどのわがままをなんでも聞いてやる親と同類である。いわば負の方向に子どもが進もうとするのを親が拍車をかける構造である。子どものわがままをなんでも聞くというのと同じように、子どもの負の思考を親が先取りして、あるいはさらなる負を重ねて動くというのも、子のわがままを聞く構造と変わらない。
子の望むままに親が動けば、子は確実にクズになる。社会で使いものにならないクズになる。そもそも自制心のない子は、社会的には、欠格者である。我慢ができないから、職を転々とする。怒られればすぐやめる。確かに、世の中には、モラルの崩壊した人間があちこちに棲息しているから、時には、そういう人間が、嫌がらせをしてくることはあるかもしれない。これはこれでまた別問題である。わたしが言っているのは、ノーマルなことも我慢できない人間が増殖しているということである。
わたしたちは、モラル崩壊社会に、子どもたちを送り込むことになる。今の子どもたちが、社会に出る頃には、社会の二極化はさらに徹底され、少数の上級国民に富が集まり、下級国民の奴隷化は一層進み、低賃金、長時間労働で酷使される人間が確実に社会の底辺を埋め尽くすことになろう。今でも真面目で勤勉ない外国人労働者が、次第に、下級民の職を奪いつつあるが、近い将来には高学歴の外国人が、下級国民を顎で使うときが必ずくる。
高齢化社会の高齢者世代が代替わりする頃には、フリーター、ニート、パラサイトは、死に絶えているはずである。親の責務は、子をこれからの不安に満ちた将来社会に、しっかりとした自律の精神を持った子にして送り出すことである。勉強はその自律の精神を培うのに、実は最適の方法にほかならない。学問は、脳を鍛える、最強の方法である。長時間考える、長時間読む、何かに集中する、それは他のあらゆることを捨てて、そのことにのみ集中する、他の関心のあるものを我慢する、他の色々な、楽しいことを我慢する、長時間考えることも時には苦痛である、しかし、心を律する、毎日、生活の大半を勉強に費やす、これは律する心がなければとてもなし得ないことです。
勉強の訓練、習慣は、小学低学年、できれば小2、遅くても小3から、始めるのが、ベストであろう。小4からでは遅い。小学低学年に訓練することの意味は、すぐわかる。実際に訓練してみればすぐにわかる。子の将来を左右することをすぐに知る。この時期に、思考の核となるものを作り上げていく。この時期を端折ると、すなわち小4とか小5あたりからの訓練ではどうしても育てられないものがある。
多くの親御さんが、遅くにやってくる。が、竹の会の現実を見て、悔やむ、心底悔やむ親御さんが多いのは、残念なことである。
小学低学年の子が、難しい分数、小数の四足混合演算をこなしているのを見て、あるいは割合の理解の進んであるのを見て、かたや自分の子は小学高学年というのに、小数の計算もできない、分数も満足にできない、それよりも幼い子たちが割合を通して思考をする姿にショックを受ける、
中には大手に小学低学年から通っていたという親子もいる。補習塾にもう何年も通っているという親子もいた。塾に行ったこともないという親子もいる。いずれにしても小学高学年になって、思考のスタイルを形成してこなかったことのつけはあまりにも甚大であった。
今のわたしは流儀にこだわる。そう、プロの流儀である。プロというのは、いつもいつも難題に直面し、分析と工夫を重ねて、逆境を乗り越えていく、切り抜けていく、そういう仕事なのではないか、と思う。わたしの前に現れてくる、様々なトラブル、難物を、わたしは、いや今のわたしは、さて、どう料理してやろうか、とあれこれと算段し、その難物のためのレシピを作り、
レジュメという具体的な形にして、これは処方とも言うけれど、子どもにまさに処方してその効果を観察する。効果があれば、その子の目が一瞬光るのを知っている。目が生き生きとしてくるのを見てきた。最近のわたしは、子どもの目の光るのを楽しみに処方する、いや指導を楽しむことが多い。かつてのように効果が出ないことに悩み、ああでもない、こうでもないと解決策が見つかるまで延々と苦しむこともなくなったようだ。多分その子どもの限界というか、際がわかるので、見切りをつけられるようになったからかみしれない。達観したのかもしれない。
わたしが作り上げてきた指導という概念を完成させ、わたしは指導の名人であり続けたい。