2019.04.30
◯合格のアルゴリズム
高校入試、特に都立高校の入試なら、わたしは、信頼度の高いアルゴリズムを完成させた、と自負している。わたしの手の内にあれば、確実に合格させられる手法をわたしは知っている。わたしの中では、100%に近い合格の法則がある。
都立中高一貫校についても、わたしは合格のアルゴリズムの研究を重ねてきた。高校入試とは、決定的に異なる、不確定要素が、あるために、そのアルゴリズムについては、確実なものはない、
まず、競争倍率から違う。都立トップ校レベルで、2倍は越えても3倍まではいかない。90%の都立は、せいぜい1.5倍程度である。都立中高一貫校だと、4〜6倍、高くて8倍、10倍というのもあった。
一つ言えることは、高校入試では、力が、本番で裏切られることはない、ということである。例えば、英語90点とる生徒は本番でも90点を取ってくる。これが適性試験だと、そうはいかない。精神未熟な小学生が、当日思った通りの力を発揮してくるか、かなり不安なところがある。精神が幼いゆえの不確実さは、計り知れない。だから精神的には大人の小学生、それはほとんど女子なのだが、が、いちばん安定している。落ちた子というのを後から思い出してみると、やはり落ち着きのない、なにやらざわめくようなそわそわしたものを感じたものである。この感覚は実は高校入試でも同じだった。このなにやらざわざわしたものが現実には不吉の前兆であった。何か嫌な感じがする、この嫌な予感は悉く的中した。
小学では、模試の成績が、当てにはならない。高校入試では模試の成績は、かなり信頼度が高い。ただそれほど単純でもない。V模擬では、E判定でも受かった生徒がいた。C判定で受かった子ならいくらでもいる。だから単純ではない。私の場合は、過去問で、検査して、データをとります。独自問題は、判定が難しく、わたしはまた別のデータを使ってます。
高校入試だとほぼ想定したとおりの結果になる。しかし、小学は読めない。今年の九段のように、あまりにも問題が易し過ぎて、内申の高い子から、受かっていったという想定外の事態もある。もちろん高校入試でも、例えば、社会の難易度があがり、社会の平均が下がるというようなことはあり、これはこれで合否判定の際に当然斟酌するが、これは問題がそれなりに難しい中での読み筋である。
九段は、「よくできる」40点、「できる」20点、「もう少し」1点 ということで、要するに、内申の悪いヤツは来なくていい、という態度である。小石川は、「よくできる」25点、「できる」20点で、それほど差を設けていない。「もう少し」は5点である。九段ほと露骨ではないが、内申の悪い子は、相手にしていない。
これから九段を受けたいという人は、自分の内申と相談して決めることである。合格するには、「よくできる」が9割でも足りない。
小学生は、不確定要素がありすぎて、その上、学校当局の出題姿勢にも揺らぎがある。入試というのは、選抜試験であり、ドリルレベルの問題を出すのは、ありえない。なんのための選抜試験か、本来の目的を忘れて、出題者はいったいなにを考えているのか。合格者平均点が、8割としたら、これは選抜試験ではない。内申で合否を決めた、だけである。
こういうケースは計算に入れて考えることはできない。わたしが、都立中高一貫校の合格アルゴリズムを想定できるのは、選抜試験としてのわきまえのあることが前提である。なんのために試験をやるのか、内申で決まるのなら、最初から試験などやる意味がない。要するに、学校の先生の指示に従わないような不良は来て欲しくないという態度の表れである。暗に、内申の悪い子は来るなと言っている。大手には、内申のよくない子が都立中を夢見て大勢通っているけれど、どうも今の流れは、こうした子どもを排除する流れが垣間見える。問題を易しくすることは、内申重視の流れである。
優れた天才を私立に追いやるのは、いずれ都立の凋落につながる、これはいつか来た道ではなかったか。
内申制度は、都立の首を絞める制度であることを忘れたのか。高校入試でも、相変わらず、内申は30%の比重を占め、天才は、内申で、排除されて、私立に流れる。
わたしは、人為的な制度の枠組みの中でそれでも選抜試験という本質は変わらないとの考えのもとに、合格アルゴリズムを研究してきた。
竹の会では、より精度の高い合格アルゴリズムを追求していくことは変わらない。わたしの合格の法則が、正確に機能することを、わたしは当局が、そこまでバカではあるまいと、信じて、わたしの、竹の会のアルゴリズムを進めていくことに変わりはない。