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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川・桜修館への道~大切なものは何か❓

2023.03.20

桜修館への道 大切なものは何か❓
都立中受検は保証のない賭けである。
受検のための勉強が、本来やるべきであった基礎学力をつけるためなら、受検を志すことは有益な選択と言える。
 しかし、このことを忘れて、つまり、基本を疎かにして、受検のための知識、テクニックを追いかけることに奪われていると、それは将来的に見て、将来を棒に振る選択をしている、ことにほかならないことになる。
 よく受検をやめたので、つまり、高校入試で頑張ることにしたので、塾をやめます、という親がいます。これは実は昔からいます。変な論理です。高校入試で勝負するならなおさら、今学力がない前提なのだから、基本をしっかり勉強しておかなければならないわけです。しかし、高校入試をするので、塾(勉強)はやめます、というのである。本音は経済的な都合?
 昔は、そういう親が多かった。背景に、高校入試のために塾に通うのは、中3からでいい、という共通の理解があったと思う。
 しかし、わたしも高校入試をやってきて、高校入試に成功するには、成功の論理と言えるものがある、わたしはそれを竹の会流に確立してきた。
 かつて突然慶應高校を受けるとか、早実高校を受けるとか、中3になって突然言う者がよくいた。しかし、そういう生徒が成功したことは100%なかった。当時難関校を受ける生徒は、河合塾とか、代ゼミなどに中1から通い詰め、他の生徒とは一線を画していた。河合塾にはグリーンコースというものがあって、数学なら、1週間で一単元(例えば、二次方程式)のペースで授業が進められた。また河合塾で使われるテキストは、過去問をびっしりと分類した問題集で、もちろん河合塾の授業ではそのさわりしかやらない。あとは自己責任であった。だから竹の会のような塾に補習を頼んでくる。そういう縁で、河合塾や代ゼミが何をやっていたのか、わかったわけである。
 昔から、慶應などの難関に受かるためには、中1から飛ばすのが常識だったのである。都立は学校の内申との兼ね合いもあり、学校の内申さえ取っておけば「なんとかなる」という風潮が強かった。独自問題校などない時代の牧歌的な時代の話しである。
 わたしも中3からみることの方が多かったが、中1からいた子でもだからと言って前倒しに進めたことはない。中3でなんとかまとめた。青山、新宿、駒場などの都立はそれで間に合った。しかし、その中に一人でも海城、城北、慶應を受けるなどと言い出せばまず間に合わなかった。
 わたしが、前倒しをするようになったのは、渋谷教室に移転したときからだと思う。独自問題校時代に入ってわたしは方針を変えた。難関校受験仕様にしなければ安心して合格を出せない、と考えたからである。それは必然難関私立をも視野に入れた指導とならざるを得なかった。
 今の竹の会の高校受験の考え方は、かつての竹の会とは180度転換している。難関校対策を軸にしているからだ。それは早期に仕上げて万全を期すという考え方が根底にあるからだ。
 開成、筑駒の指導は、小学4年から基礎を叩き上げたから可能だった。もし小学の時、竹の会で算数を仕込んでいなかったら、中学の先取り指導などできなかっただろう。正負の数のイロハから始めて、一年で中学三年間の数学を仕上げる。竹の会には、それを可能にするレジュメ体系がある。2年10ヶ月で、駿台模試全国1位にまで上り詰めた。全くの真っ白から仕上げた。大手のやり方は何も知らない。わたしの経験だけ。
 昔の竹の会ではあり得ないことだ。中3になって、そろそろ塾に入るか、という親子ばかりの時代。少ない真面目な「できる子」でも、塾を探すのは中2あたりからでした。小学時代に勉強をまともにしたことないのがほとんどの子ばかりである。学校の優等生がそのまま中学の優等生、中学受験組は、別の世界にいた。
 難関中学、難関高校は、大手が専門だからと、わたしは、都立に専念して来た。
 頼まれれば、中学受験、大学受験を引き受けることもあったが、ある型の優等生相手の都立、青山、駒場、新宿を専門にやってきた。ある型とは、上昇志向もあり、きちんと授業についていけ、学校では定期試験もいい、そういう子を理想とした。
 時代の変化

  独自問題校制度は、都立校を二分した。独自校のエリート校化は進み、それに伝統的に上位にあった共通問題校、たとえば、駒場、小山台が追随する形となった。
  都立中高一貫校制度は、落ち目にあった、都立三番手の過去の進学校をターゲットに浮揚策を図るものであった。平成19年竹の会は、指導を委託された1人の小6男子を九段中等に合格させた。11倍だった。この当時の人気は、九段だった。19年に小6が竹の会にやってきた。このとき驚いたのは、通分もできない、割合もわからない多くの小6の存在だった。こういう子が適性問題やっても0点である。これは当時の小学生をしらなかった私には衝撃であった。小学生の学習不振に遭遇するとともに、そういう親子がこぞって都立中学を受けようと集まる矛盾に驚いた。これまで経済的理由で受験をやらなかった層が、公立ならただ同然と考えたのだろう。猫も杓子もぞろぞろと受検すると言い出したのである。

 適性試験0点層である。そこで、わたしは、まず小学生の救済に乗り出した。受検以前の基礎学力の問題から解決しようと考えたのだ。計算をいかに効率よくマスターさせるか、割合をどうしたらすなんりと理解させられるか、そういうことに専念した。この時期のわたしはそのための研究に没頭した。竹の会のレジュメの下地はほとんどこの時期に試作されたものばかりだ。

 その後竹の会の算数は、開成中学・麻布中学などを研究対象として、進化していった。

 適性問題を解きまくった時期❗️
 わたしは、毎日適性問題の分析に持てる時間を費やした。そう言えば、平成14年あたりからほとんど毎日のようにも独自問題を解きまくったのを思い出す。

 適性問題を研究して、それを題材にレジュメを多数製作した。

 平成22年早稲田進学会の模試を受けた竹の会の小6が、480人中5位の成績をとった。

 この当時の早稲田進学会の模試はまだ信頼できるものであった。内部生に有利にという意図もなかった。
 わたしが、本格的に竹の会仕様のレジュメ制作に取り組んだのが平成24年からであった。それから年度を重ねる度に新作を発表していった。いつしかその種類、量は膨大なものになっていた。これをすべて使うのはあり得ない量に達していたのだ。
 悟り‼️

 少ないレジュメで指導したほうが合格できる。ということが確信にまで達したのはつい最近のことである。

 まだ早稲田進学会の模試の母数の激減は、もはや模試としては「使えない」ところまできていたのだと思う。しかも、受けた子たちからの報告で、徒に難問が出されていること、そのくせに200点を越す者が出ていることに、不信感が芽生え始めていた。問題の偏向、内部生に有利な出題ではなかったのか、という疑念がずっと燻っていた。

 その意味で都内には信頼できる模試が「ない」のだ。

 本年の受検者は4名のみ。桜修館合格者は早稲田模試では、100点未満を2回、成績優秀者などには一度もなれなかった。もう1名は富士をうけたが惜しくも補欠で、結局算数・国語の2科受験で受けた普連土学園に合格した。竹の会は算数に強い。しかし、本人は国語ができたと言っている。3人目は西武学園文理と八王子学園東大医進に合格した。
 竹の会だけのレジュメ判定で合否を判定できる‼️

 今回使用したレジュメを検証して確信したのは、竹の会のレジュメを達成すれば余裕で合格できるということであった。竹の会所蔵のレジュメはすでに膨大なものになっており、使用するレジュメの選定が大きな意味を持っている。合格するレジュメがどういうものか、わたしにはわかっている。だから今年は合格するレジュメのみを作り、過去のレジュメを使っていく。
 出来の悪い模試で、優劣を判断するのは、アホだ。模試の問題が極端に難問なら、それは特別の天才の炙り出しの意味しかない。また内部生に授業でヒントを暗示していたのなら、それはすでに公正な模試ではない。また内部生テキストに準拠した模試なら模試の価値はない。飽くまでも、本番の基準を念頭に作られた、新規の問題でなければ公正な判定はできない。早稲田進学会模試が過去の模試問題を使い回していた事実は2年連続、小5から受けさせた子の報告でわかっている。その子は小石川に合格した子である。

 こうして、竹の会は、竹の会印の合否判定レジュメを制作するしかないという結論に達した。

 今年の子たちが、竹の会の少ないレジュメだけで、よく健闘しているのをみることで、竹の会のレジュメのレベルがかなり高水準にあることがわかる。

 これからは自信をもって竹の会版問題を制作し、合否の判断をしていくことになる。
 

 

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