2018.07.12
東京という英語塾激戦区にいきなり置かれた竹の会。平成元年前後の渋谷には、評判の英語塾が、犇めいていた。個人塾、中規模塾も、いたるところに看板を出していた。そういう激戦区に竹の会は全く能天気なままに、マンションの一室で、スタートしたのです。生徒集めは、代々木中学生、 2年生の名簿がたまたま手に入り、ハガキにガリ版刷りで、出しました。昭和60年9月のことでした。そしたらすぐに代々木中の女子のお母様から問い合わせがあり、3人のお仲間のお母様と面談、教室として使う予定の部屋にはまだ照明とか、机とかいすなんかもなく、コピー機もなかった。なにしろ東京で塾をやるのは初めてで、過去問集みたいなものはおろか、教材もなく、今考えれば、よくこんなところに申し込んできたものだと思う。コピー機なんかは、簡易なものでした。とにかく3名が集まり、週2で始めることになりました。最初は、教科書だけで、授業をしました。それから予備校の問題集を買ってきて、必要なところを切り貼りしてコピーして使ったものです。辺りを見回すとどうもほとんどの生徒はどこやらの英語塾に行っている、そういうことがわかってきたのです。それでも一月もすると、評判を聞いた親たちから申込みが相次ました。あっという間に狭い教室は埋まり、それで何クラスかを新たに作りましたが、これもたちまち埋まってしまった。 ある時、英語塾に行っている生徒がやっていたプリントを見た。何の変哲もないプリントだった。こんなものを有難がって見てたのか、と思った。自分なら、ずっといいものが作れると思った。それから市販の参考書、問題集、塾専用教材などを何十冊も買い込んで読みまくった。数か月は没頭した。それからオリジナルのプリントを作っていった。何百枚も作った。いや二、三千枚かもしれない。ある時、青山学院中等部の英語プリントを手に入れた。素晴らしいプリントだった。プログレス英語の教材も手にいれた。これもかなり刺激的だった。いよいよ竹の会オリジナルテキストの作成に入った。あの英語指導案である。 英語塾の子たちが、振り向くことはなかった竹の会の英語。しかし、次第に、竹の会英語が「これは侮れない」という意識が浸透していった。竹の会のプリントだけで、英語5、テスト100点、高校受験100点が、続出するようになった。次第に、竹の会の英語で成功する生徒が増えて多数派となり、英語塾よりもいいという意識が当たり前になってきた。 その後、わたしは、早稲田大や慶応大、東大の受験を視野に入れた英語研究にのめり込んだ。東大の教養部の英語教科書を使って高校生に講義した。平成12年には、新宿高校生に授業した英語の講義ノートをまとめて、一冊のテキストにした。平成14年初めて慶応大学に合格者を出した。竹の会英語がようやくある到達点に達した瞬間であった。 思えば、長い道のりであった。竹の会英語の歩いた道、わたしの英語道、竹の会の英語を一流にと思い悩み苦しみ歩んできた道、わたしの英語道であった。たくさんの英語テキストを書いた。過去問も数えきれくらい解いてきた。わたしの英語道もそろそろ、竹の会の終わりとともに終わる、長い道のりでした。
初代「英語指導案」
東芝ルポで製作した。
「英語指導案」三部作
「新英語指導案」 竹の会英語の集大成
「入試英語指導案」 難関私立英語対策書
🔴かたちがないという状態
小4に竹の会に来た小学生、小数の計算もできない、もちろん分数なんて知らないし、漢字も知らない。ただこの時期に救いがあるとしたら、親が、小1の前後に、つまりまだ字というもののかたちを知らない時期にきちんと字のかたを教えてきたか、筆圧というかたちを操作する技を仕込んできたか、である。この時期の子にかたちを教えられるのは親だけであるということ、そういうことを踏まえて、かたちを作りあげてきたか、である。こうして、字をきちんと書けるか、書けるなら救いがある。 とにかくこの時期の子どもの脳にはかたちがない。だから塑像のように荒削りだ。 かたちがない状態。わたしがもっとも気を入れて取り組む、指導のスタイルである。 かたちがない、から、やりようがある。やりがいがある。 小4時代に、大手にいた、小5の中途まで大手にいた、こういう子たちには、すでにかたちがある。そのかたちは、わたしの想定したかたちではない。大手の作ったかたちである。それは、 感覚的、つまり論理がない。考えない、つまり全て覚える。公式暗記して解こうとする。知らない問題、つまり解いたことのない問題に出会うとすぐ「わからない」という。「考えろ」と言うと、「考えたけどわからない」と言う。 考えるということが、どういうことなのか、わからないのだ。どうにもならないかたちを体に植え付けて、誠に大手というのは、罪深いことをするものだ。いやそうではあるまい。わが子がそれほどの能力でもないのに、本音は、大手は天才しか合格させることができないとわかっていて、半ば騙しを承知で凡才のわが子を預けた、なにも考えていない、大手には乗りのいいバカ親の選択したことである。わが子に対する期待、願望が、無知な選択へ。 大手で歪んだかたちにしてしまったら、もう一旦作られたかたちは、変えるのは難しい。 いいかたちというのは、 これはまだ成形前の、つまりかたちも定まらないときの状態から練り上げるものである。成型前の、柔らかい状態が、いいかたちになる。一番いいかたちに仕上がる。思い通りにのかたちになる。 他人のやり方で、かたちにしたものを、自分のかたちに変えるというのは、ない。一旦壊して、かたちを改めて作るということもない。すでに柔らかな材料の時期を過ぎて、ある程度、成型したものもある。やや手遅れである。 染める。 汚れた布は洗わなければ染められない。もしかしたら、洗っても汚れは落ちないかもしれない。 だから、最初に、どの塾に行くかを選択するのは、一生を左右するほどに重要なことである。 型の大切さは、言い足りない。何度も言うようですが、子どもというのは、最初は柔らかい、とにかく柔らかいものなのだということです。 小1のときには、字の型を作る、型を作るのは、親の仕事である。他人任せにするな。 頭がいいから、自主性を重んじるという、バカ親がよくいる。 習慣というものは、頭の良し悪しとは、関係ありません。 ワールドカップを徹夜して見る、頭がいいから、あとで勉強すればなんとかなる、そう考えているのでしょうが、要は、習慣のないことが、問題なのです。ローマは一日にして成らず、と言いますが、習慣というのは、もちろん一年なり定型化した行為を続けて、後から習慣と呼ぶのです。 とにかくこういう考えをしている親は、結局子の自堕落な生活を容認するわけですから、ろくなことにはならない、と思います。