2019.05.14
今日は、少し長文になってしまいました。お時間のあるときに、分けて読んでいただければと思います。
それでは最後までお付き合いください。
◯都立中高一貫校絶対合格のアルゴリズム
平成18年4月のことだった。一人の小6男子が、父親に連れられて、やってきたのは。父親は、「草枕」を2日だったか、3日だったか、徹夜してすべて読んだ、それで、竹の会にお願いすることにした、そういう主旨のことを熱っぽく語った。公立中高一貫校制度が始まって、2年目のことであった。正直わたしは私立中学はともかく公立中高一貫校についての知識はゼロに近かった。頼まれたら「いや」とは言わないのが、塾稼業であったとはいえ、あの時から、わたしの地獄道が始まったのだ。まだこれから起こる苦難など何も考えもしないで、わたしは、なんとかなるさ、と軽く請け負った、のであった。やることと言ったら、わたしには、過去問合格法しかなかった、わたしは迷わず、みくに出版の過去問集を買って、解いていった。さすがに私もいきなりその小6に過去問を使うことはしなかった。やったのはまず実力チェックです。計算力をチェックしたら、分数です。ところが、通分を習ったばかりという。それで市販のドリルを買ってきて、練習させた。それから今、竹の会では定番の「計算」テキストがいつ頃から使われ出したのかさっぱりわからないが、とにかくそれをやらせたのは、今と変わらない。それから割合を教えた。割合については、市販ものに終ぞいいものを見たことがない。次善の策であったが、とにかく割合に特化したテキストを見つけて、使った。夏休みから、みくにの過去問、つまり銀本を使って、過去問合格法に入った。まだ過去問は少ない。過去問合格法をやるには過去問が少なすぎるのだ。それで私立の過去問を適宜使うことにした。私は多少焦りながら、12月頃に7回解き直しを指示した。公立中間一貫校は制度が始まったばかりだが、人気は異常だった。九段の男子は11倍にもなった。1月、11倍と聞いて、私は、緊張した。果たして、この子が通用するだろうか、不安は尽きなかった。そうした不安も、手伝ってか、私は、私立中学の過去問から、これという問題をレジュメにしては、やらせた。いい感触だった。よく言うのだが、11倍という数に踊らされてはいけない。だいたい公立中高一貫校の制度がスタートして、これまで受験と関係のなかった子たち、特に、女子が、わっ、と参入してきたんだから、11倍の中身はスカスカで、実際は、ほんとうにできる子は一握り、実質2倍もあるのか、そう考えて、私は、倍率に惑わされるな! 普段の力を出してこい! それで受からないわけがない! と檄を飛ばした。
結果は、合格。
一人いた受検生が、合格。正確には、もう二人女子がいて、その二人は、東大附属を受検したのだが、こちらも受かってしまった。
初めての公立中高一貫校の挑戦は、終わった。しかし、わたしに、確たる、合格の方法が、あるわけではなかった。わたしは、何も考えないままに、とにかく夢中で過去問合格法をやってみた、それが、本当のところだった。
九段の合格で、九段志望の小6が、何人かやってきた。小6の6月というのに、通分もまだという子、通分はできても、計算は未熟、割合となるとまともに理解した子はほとんどいなかった。わたしは、この時、公立小学校の現状というものを改めて再認識させられることになった。割合にしても、説明がそもそも不可能なほどに頭は固かった。わたしの中に、このままではいけない、何かが弾けた。この年、指導した子たちは、不毛であった。それでも一人が桜修館に合格したのは、竹の会の神さまのおかげとしか言いようがない。わたしは、割合を理解させること、そのための画期的な方法はないか、といつも考えていた。いいアイデアがあればすぐにメモした。そしてあれやこれやと子どもたちの脳を想定して、図をかき、説明の方法を考えた。毎日、いい考えを探した。朝、眼が覚めると、突然アイデアが浮かぶ。それでいつも枕元には、紙と鉛筆が置いてあった。すぐメモに取らないとアイデアはたちまち跡形もなく消えた。後で、メモを元に原稿を起こす。レジュメにする。レジュメは、次の指導で試してみる。20年、21年、22年、私はもう何百枚のアイデアをレジュメにしただろうか。21年は、受検者0、22年、桜修館と両国に合格。受検者は3人。23年は、小石川と桜修館に合格。受検者は4人。
23年も、割合の新作の執筆に明け暮れる。23年に指導した子らに算数の得意な子が二人いた。ある日、その1人が、言った。「先生、あのミクロマクロ、いいですね、あれで割合がわかりました、すごくわかりやすかったです」。すると別の男子が「ぼくもあれで、割合がわかりました」と嬉しそうに言う。わたしは、「あれか、あれ、そんなに良かったのか」。私はその日指導が終わって、「そうか、あれか」と何度も感動し、早速家に帰ると、パソコンを開き、確かめた。「ミクロマクロ法」というレジュメの他に、「算数の塊」というレジュメに私は、「ミクロマクロ」の割合を執筆していた。「算数の塊」は、後に「算数の魁」と名称を改める。私はとうとう辿り着いた。長かった。これでどれだけの割合に苦しむ小学生を助けることができるだろう。わたしは、ミクロマクロの視点で、次から次に原稿を執筆した。わたしのレジュメで勉強した、25年に白鷗に合格した女子は、いやお母さんも、わたしのミクロマクロに感動して、目から鱗が落ちたとまで言われた。いやそういうことを言われた親御さんはたくさんいた。竹の会の子どもたちは、スイスイと割合を理解し、算数を伸ばしていった。子どもたちの中には他所の塾でも同じことを教えているものだと信じていたのか、ミクロマクロは竹の会だけだよと言ったら、キョトンとして、「ウソー」と奇声を発した子もよくいた。
今では当たり前になった竹の会のミクロマクロ法、ここまで来るにどれだけ時間を費やしたことか。夜も寝ないで、アイデアを考えた日々。私はいつか必ず小学生を救う方法を発見するのだ。来る日も来る日も考えた。どれだけの方法を考えたことだろう。書いたレジュメの量はもう数百枚に達しただろうか。
割合レジュメの執筆の日々。「算数の魁」、「思考の鍵」、「小学思考の素」まで書いて、これが、わからないという子が出てきて、それではと「ようなもの」を書く。それから「新小学思考の素」を、書いた。後に、「小学思考の素」は、「割合問題編」と「その他の問題編」に分冊化した。23年当時は、これらのレジュメ集には、答えがなかった。それで一々声の教育社の過去問を調べる。教室には、数百冊の、中学や高校の過去問集が、並んでいましたから、答えはそれらを調べればわかる。私が、「何年久我山」と言えば誰かが棚から持ってくる。それで誰かが、「先生、解答集、作ったらどうですか」と叱られる。23年当時は、私もいろいろとレジュメ製作に追われて、解答集まで手が回らなかった。24年には、いよいよ入会試験シリーズを手がけることになる。よくこの年にワードから、数式ソフトに切り替えたといことを言いますが、算数レジュメはもともと数式ソフトで作っていました。適性問題はそれまでワードで作っていたものを、数式ソフトに切り替えたというのが、正確です。ワードにできないことができる。数式を自由にかけることは当然として、図がかける。イラストレーターには遠く及ばないが、それでもかなりの程度までかける。とにかくこれまでのワードで作ったものに比べて、精度が、全く違う。ワードでも、数式は書けなくもないが、原始時代の石器の域を出ていない。
24年以降のレジュメには、必ず、解説レジュメを書くようにした。解説は、まず私が解いて、それから解説を書いた。解説は簡にして要を得たものをこころがけた。子どもたち目線で理解しやすい解説を心がけた。できるだけ図を使って視覚的な理解にも注意を払った。
適性では、作文が、適性Iとして、一科目とされる。わたしは、最初は、資料を添付して、作文を書かせている。子どもたちは、資料を読んで、まとめたり、ほぼ丸々写ししたりと、これはまだいいほうで、たいていは、支離滅裂。好きだ嫌いだ、と思いついたことなどを、書き殴る。文を書く、ということから、程遠い。
書けないなら、それでも構わない。ただ問われていることはなにか、その上で、問いに答える、という、最低、そういう答案は、書いて欲しい。
前にも申しましたが、作文というのは、社会成熟度を如実に表しています。作文が書けない子というのは、意識が、社会にない。家庭という狭い世界にいる。そこは、甘えが支配する、自分本位の、好き嫌いでしかものを見ない、狭量な部分社会です。作文とは、社会の一員として、あなたたちが、他人の存在を意識し、あなたと相容れない他の個との摩擦を回避し、そのために自己を律し、社会で共存していくという意識世界にいて、初めて書けるものです。わたしは、これを社会成熟度と呼んだだけです。
社会成熟度というのは、家庭とか、個人とかの私的社会と区別して、他人との摩擦を回避しながら、社会性を獲得していく過程を外から見た表現と定義できようか。
作文が、書けないと、言うと、世の親たちは、いや巷の塾も同じで、すぐに、読書が足りないとか、作文の書き方などを教えようとするけど、問題の本質は、そんなところにはない。世の中には、木を見て森を見ずの人間ばかりである。そういう人間、特に、親が、子どもを振り回して、メチャクチャにする。
ところで、社会成熟度は、どうすれば備わるのか。親が子どもを責任主体として見る、それもいいかもしれない。しかし、迂遠であろうか。要は、社会に揉まれることである。社会の波風に晒されること、荒波に揉まれること、である。過保護の親、家庭の子が、幼い、「私」の中に生きている、のは、誰でも知っていることではないか。何かと子を庇う家庭、親の子の社会成熟度は、低いでしょ。当たり前です。突然の肉親の死に見舞われた子どもの、社会成熟度が、一気に高まるのも、わかるはずです。
さて、自分の子が社会成熟するにはどうしたらいいのか。少なくとも過保護は子を疎外する。親が何かと子を庇うのは子の社会的成熟を遅らせる。子が波風の外にいるのは、結局 子の社会成熟を遅らせる。社会成熟とは、世の中の波風に立たせること、でしか、育てられない。現実の厳しさを肌で感じて初めて社会の現実を実感することになるのだ。
こうして、作文というのは、親の子に対する姿勢の構造を見事に炙り出すことになる。親がどれほどこどをあまやかしているのか、どれだけ放置しているのか、その構造が、見事に投影されている。わたしは、子どもの作文から、親の子どもに対する姿勢の核心を垣間見ることになる。
読書好きな子、毎日でも物語を読んでいるような子のことですが、確かに、いい文章を書く子がいます。物の道理がよくわかっているな、というような早熟の文章を書く子が、実際います。想像力が、素晴らしく豊かで、また常識的な考え方とか、判断力に感心してしまいます。こういう子らが、まさか社会の荒波を乗り越えてきたはずはありませんから、読書好きもさることながら、やはり親御さんの育て方、接し方など違うのではないか。ここはもう推測するしかありませんが、こういう子がいるということから考えると何かやりようがあるのではないか。
おそらくそういう家庭では、まず何をおいても勉強というか、学問というか、そういうものに対する価値の置きどころが、違うように思います。その上で、やはり家庭でのしつけと申しますか、子どもに対する姿勢ですが、内と外、自己と他者といったものの、線引きが、明確にされている。子どもにそこのところを徹底して学習させている、こういうことなのではないか、と思うのです。自他の区別、公私の区別の曖昧な家庭の子というのは、まず挨拶もろくにできない。そして本来内の中だけで許されるわがままを、外で平気で言う。内は自由、外は律する、この区別ができてない。だから他人にも平気で横柄ない態度をとる。タメ口をきく。騒ぐ。自他の区別のできないのは、保育園児と同じで、始末に負えない。
社会成熟度と言えば、平成22年に桜修館に合格した杉山太一君を思い出す。彼は、9.11のテロで、父君を亡くした。わたしは彼のそういう事情を知らなかったが、わたしが、ニューヨークのテロのことを朝日グラフを見せながら話したことがあった。すると杉山太一君は、「僕の父もあのテロでなくなりました」と言った。わたしは一瞬言葉を失った。彼は礼儀正しく、言葉も丁寧であった。常に知性的で冷静であった。字は書道七段と言ったか、美しい字だった。わたしが、作文で、Dをつけたら、Aを取るまで、17回だったか、立て続けに出してきた。算数の問題がわからないというので、一年下の小5にできる子がいて、その子に説明するように指示した。算数の問題を教わり、丁寧に頭を下げてお礼を言った。その小5は2年後小石川に受かることになる。やはり礼儀正しい少年であった。社会成熟度とは、このことをさしていう。いつまでも保育園児のままでは、どうにもならんでしょ。杉山君は、アメリカ大統領の前で、全世界が、注目する中で、英語でスピーチした。桜修館一年生の9月11日のことであった。彼にとっては、深い悲しみが、彼の精神を大きく成長させた、とは言えないであろうか。平成28年、彼は京都大学に合格。深い悲しみをバネに、大きな夢に向かって、いる彼の姿が想像される。
国語読解力のこと
まず、読書をしろ! というのは、具体性のない、スローガンに過ぎない。確かに、読書好きの子というのは、国語ができる傾向はある。読書も心の底から面白いと読むのと、ただ読書を義務として読むのと、では、違うのは当然である。そこから、ある一つのギィーワードが見えてくる。これは何にでも言えることなのだが、要は、関心があるか、である。国語に関心がないから、できないのだ。国語ができないのは、国語が面白くないから。つまり国語に関心がないからだ。ついでに勉強しないのは勉強が面白くないから、つまり勉強に関心がないからだ。
さて、ここからは国語に関心がある人にお話しすることとします。国語というのは、濃淡で捉えることができます。と言いますのは、文章というものの性質を考えてもらえばすぐにわかることなのですが、文章というのは、他人に自分の主張を述べるという前提というか、環境設定の中で、述べていくものです。ですから、自分の言いたいことを相手にわかってもらおうという、強い意志が常に働いている、ということです。
ですから、まず、自分が何を言いたいのか、ということを相手に伝えなければならない。文章の起こしの部分ですね。問題提起と言われるところです。それからなぜそのような問題が生じるのか、問題の生起してくる状況というものを述べることで、問題の問題たる所以が浮き彫りになってくる。作文なんかでは、ここのところに紙数を割かなければならない。よく「あなたの考えを述べよ」とか、「解決についてのあなたの意見を述べなさい」とか、問われますが、小学生に意見などあるはずがない。意見もないのに、ここに紙数なんか割けるわけがない。一行でいいのです。意見と言われれば、問題の問題たる所以を指摘すればいい。環境対策で小学生に対策がわかれば、だれも苦労はしない。
さて以上は、作文という、つまり書く側からの論理を述べました。
先ほども述べましたが、文章というのは、濃淡なんです。ちょっと薄いな、これではわからないな、と思うと今度は、濃くする、詳しく述べる。
私は文章というのは、抽象、具象の織りなす綾だと思っています。抽象的に述べる。すると相手には、理解してもらえないかもしれない。だからすぐに具体的に「言い換える」、つまり説明する文章が続くのです。具体的に述べていると、今度は、これを簡潔に、まとめる、抽象的に、言い換える、ということをやります。ここで、濃淡と抽象具象の関係なんですけど、濃が抽象、淡が具象と考えたんですけど、内容の濃淡ということですから、抽象表現には内容の密度が濃いというわけです。しかし、表現の濃淡ということでは、具象が濃ということになりますね。いずれにしても濃淡ですけどね。
あと、定義について、述べておこうと、思います。
定義というのは、とても大切なんですね。勉強のこつは、と聞かれたら、迷わずに、定義を正確に覚える、ことと言いますね。
数学では、定義(仮説)を前提に仮説を重ねていきます。わたしは、かつて都立西の男子生徒に3年間数学を指導したことがあるのですが、彼は東大志望でした。しかも理系です。それで高3のときは、よく家で解けない問題を質問してきた。家で何時間も考えたけどわからない、こういうわけです。わたしは国立大出身ですけど、文系でしたから、数Ⅲはやってない。数列ではなくて級数、微積も三角関数や対数、そんなのを聞いてくる。まだ複素数とか、ベクトル、数列、微積は、一応やってますから、いいのですけど、それでまあ、参考書読んで一通り勉強しました。それでも東大の問題は簡単には解けない。それでうんうんうなって考える。いつも1時間ほど考え込んだ。そういう時に、いつも解決の糸口を与えてくれたのは、定義でした。あっ、定義はどうだったかな、それで定義を暗誦する、すると、あっ、とわかる。見える。見えてくる。そういう体験を何度となく繰り返してきました。
あと、法律の勉強をした人なら、わかると思うのですが、定義というのが、とても大切なわけです。例えば、法律行為、権利能力、こういった用語は、定義を正確に、暗誦する、ことが、法律理論の理解につながる。法律を理解するということはそういうことです。
理科や社会を勉強するとき、一度立ち止まって、そもそも定義はどうなのか、と考えてみてほしいのです。
法律学では、定義を暗誦する、つまり丸暗記する、これが、とても大事です。
さて、それでは、国語では、定義は、どう表れてくるのでしょうか。
円安なら、円安の定義というのは、客観的なものとしてあります。環境なら、その定義、温暖化ならその定義、 そういうところは曖昧にしてはいけない。正確な定義というものを踏まえて議論しなければならない。
さて、一般的な定義というのは、そういうことですけれど、ここで、今から述べようとしている定義は、そういう定義のことではない。定義は、〇〇とは、〇〇である、のような表現をとりますが、国語では、というか、論説では、定義は、筆者の、価値判断の形式です。例えば、人生とは、七転び八起きである、という定義は、筆者の価値観の表現形式です。ここで、定義された人生という言葉が、もともとなんとでも定義できる、曖昧さを持った言葉で、自由な定義ができる言葉だということに気がつきましたか。一義的な言葉には、ないですね。もともと多義的な言葉、曖昧な言葉、そういう言葉は、価値観を表現すること、つまり自分流の定義を与えることが、自由にできる。それが国語なんです。ですから国語の文章を読むとき、定義づけしている、それで、この筆者が、なにを言いたいのか、わかる。
それから、「しかし」という接続詞の後に、続く文は、筆者の本音が、書かれる、ということも知っておいたほうがいいと思います。「しかし」と言うからには、筆者は、反対の意見を持っていて、その反対の立場から、「しかし」違うだろ、とやっているわけです。「しかし」の後は、必然筆者の本音です。しかし、筆者もさるもの、そう簡単に、直截的な表現を取らないかもしれない。だから、読み手としては、さらに筆者の表現から、その前提としているところを推論して喝破する必要があることもある。「しかし」の後に本音が、くるとすると、やたら「しかし」は使えない、ということもわかるでしょう。よく作文を読んでいると、やたら「しかし」を連発する人がいますけど、おかしいと思いませんか。
わたしには、合格の手順が見えています。ですから、手順どおりにしてもらいたい、というのがあります。しかし、実際には、私の想定した通りに運ぶことは少ない。子どもが思うようにやらないということはあります。勉強にスタンスが向ききれてない、そういうことはわかります。課題の取り組み姿勢ひとつ見てもその子の勉強の姿勢というもの、真剣度、が手に取るようにわかります。要するに、勉強に気持ちが向いていない、そういう子というのはわかるわけです。子どもなりにいろいろと手を抜く、これに親の監視の目というのがない、というのもすぐわかる。つまり、課題というのは、子どもと親の勉強への関わりを見事に私に証明しているわけです。
それから、少し、視点は、変わりますが、竹の会では、割合を軸として、算数のレジュメを段階的に、使用していくわけですが、これはじっくりと考えて先へ進める、このことが大前提なわけであります。ところが、15分も経っていないのに、「わかりません」と持ってくる子というのが、いるわけです。それもかなりレジュメが進んでいる子にもいる。私から見れば、どうも思考を積み重ねてきたように見えない。何かおかしいわけです。少なくとも時間をかけて考えてきたにしては、思考の跡がない。仮に、家庭で、教えていないとすれば、難しいイコール思考停止という脳の条件付けができてしまっている。私の知っている、考える子というのは、どこまでも考えた、少なくともすぐには聞いてこなかった、あまりにその問題ばかり考えているので、私の方が「説明しましょうか」と言ったほどだ。とにかく徹底して考えるという姿勢が、尊敬に値した。私がそのような難しい問題を課しているのは、それなりに進んだ上級者に、ひとつひとつの問題について、じっくりと考えてほしいからである。すぐに解説して、次と、進めるのが目的ではない。だから聞くなら聞くで、それなりに自分の思考の跡を見せてほしい。全くと真っ白なノートを持ってきて、「わかりません」はない。
勘違いして欲しくない。竹の会のレジュメは、飽くまでも「考える」時間を想定している。レジュメ集を早く終わらせて先へ進めることばかりに囚われて、本来の思考にかける時間がないのでは、なんのためのレジュメなのかわからない。
竹の会の指導を受けた子たちが、受検に強いのは、早期に脳を鍛えて、思考訓練をして、まず「考える」力を培う、からです。もし小3の夏から訓練を始めることができれば、小4になる頃に、高度の分数、小数混合の四則混合演算を自在に解くまでに、なっている。その上で、割合という思考枠組を通して、さらなる思考訓練を、小4の一年間に、することができる。何よりも、小5の一年を思考を深めるために費やすことができる、のがうれしい。
私は、教育熱心な親が、子どもを仕込む時期を遅らせてきたことをよく知っている。かつては、いろいろと習い事、稽古事には、いかにも早期に通わせるけれども、勉強となると、特に、子が成績がいいほど、学校限りで済ませようとする親ばかりであった。竹の会では、子に潜在する能力さえあれば、学年なんか関係なく、いくらでも伸ばすことができる。早くから来た、潜在的に才能に埋もれた子どもの脳を早期に開発し、伸ばしていくことが、竹の会のすごいところなのです。
大手塾に2年通った子どもでも、竹の会の指導水準からは遥か下にありました。もちろん大手には、かなりの天才が集まっていることは否定しません。しかし、その他大勢は、竹の会で鍛えた子たちから見れば、敵ではない。それが、証拠に、小6になって、7月の早稲田進学会の模試で、竹の会の子たちが、上位にあるのは、今では当たり前になっております。竹の会の真のライバルは、私立難関受験をめざす、サピや早稲アカのトップにいる天才たちです。竹の会の算数が、麻布、開成、早稲田中、灘などの難問で、構成されていることを知る人は少ない。もっともこの段階のレジュメをやれる人は限られていますが。だから今年の桜修館合格の男子のように、巣鴨や攻玉社に、算数で合格することができたのです。わたしは、難関中学の算数の難問に、明快なオリジナルの解答を製作、執筆して、竹の会の、わたしが育てた天才たちに、提供して、日本の最高水準のレベルというものを教えてきたのです。
竹の会が、少数の受検者ながら、確実に、合格するのは、それだけの理由があったのです。
竹の会でわたしの想定した通りの勉強をしたのなら、高得点合格をすることも、当然だったと思う。
最後まで長文をお読みくださりありがとうございました。