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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

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2018.07.10

 

🔴わたしが作り上げた竹の会という、最強の教育システム

 竹の会は、いつしかわたしの予想をはるかに超えた、思考力養成システムとして、一人歩きし始めた。

 昭和60年10月竹の会元代々木教室開設。あの頃は、 無我夢中であった。平日は4時から夜10時20分まで、1回2時間の授業を3回回した。1週間は、すべて埋まった。土曜日は個人授業、日曜日は、朝9時から99時まで授業した。ほとんどが、中3を中心とした中心とした中学生。一人、二人と小学生、高校生もいた。あの頃は、数学と英語を極めることに夢中であった。竹の会のオリジナルテキストを製作することに燃えた。資料作りにかける時間よりも、授業でなんとかしてやる、そんな日々だった。しかし、授業では伸びない。このことが次第にわかってきた。授業の何倍も家庭学習している子が伸びる、あたりまえの話しである。授業とはそういうものだ。ほとんど家庭学習をやらない子が授業だけ聞いて成績が上がれば苦労はない。

 竹の会のオリジナルテキストが完成したのは、平成5年前後だったろうか。高校入試を効率よくというのはもう最初からあった。基本的なことはさらりと終わらせて、後は一気に過去問をやる。これがわたしのやりかたであった。もちろん過去問合格法である。これは、志望校の過去問をやるのではない。過去問合格法というのは、入試過去問を年度単位で、潰していくものであるが、例えば、高校入試だと、偏差値55あたりから潰していく。たしがよく使っていたのは、帝京高校とか、東海大高輪などであった。どの偏差値でどこの高校の問題を使うかはほぼ決まっていた。偏差値70前後になると、もう網羅的に潰していく。解説はすべてわたしが解いて作ったオリジナルであった。とにかく過去問を年度単位でコピーしてやっていくと、これが相当な量になる。10㎝の厚さのものが数冊にもなる。竹の会では、これを電話帳と言うけれど、ひもで綴じていく。これが、数冊できる。7回解き直しというのは、この電話帳の解き直しのことである。紐で綴じているのでめくりやすい。めくりながら解き直していく。 過去問合格法では、徹底して考えさせた。 当時から、「考える」「考えさせる」というのは、竹の会のカラーであった。わたしの解説は、子どもたちに絶大な人気があった。子どもたちはわたしの手書きの解説を奪い合った。図は色鉛筆で塗り分けた。一目で解の過程が読み取れた。 現在のレジュメは、そうしたわたしの解説技術の集大成であり、かつての人気授業を紙に再現したものである。 レジュメ指導の狙いは、実は、ほかにもある。 まず、読み取る訓練、そして考える訓練。この訓練の方法として、レジュメ指導は、誠に、理に適うものであった。 子どもたちは、とにかく「読み」、意味を取り、「考える」。 レジュメ指導。 わたしが、選んだ、問題、テーマ、イメージを自由に、文字と図、時には写真、で、一枚の芸術作品に仕上げたもの。 竹の会の現在の到達点を示す、最強の指導のための補助教材であった。 最近では、レジュメを一冊のテキストとして、指導に供することもある。 中には、シリーズ化して、さらに体系化したものもある。例えば、「算数の魁」「思考の鍵」「小学思考の素〜割合問題編」「新小学思考の素」「小学思考の素〜その他の問題編」のように、体系化したものもある。 よく「理科、社会は?」と訊かれることがある。 理科には、課題がある。市販の教材に、わたしが、問題を作成した、もちろん解説もオリジナル、 家庭学習を狙いとする、家庭で「読む」、「問いに答える」、この訓練をする、ものである。 評価は、優、良、可、不可の4段階。 問いに答えていれば、優。 お薦めは、A4の原稿用紙、A4がいいのは、竹の会のレジュメがA4なので、ファイルしやすいから。原稿用紙を使うのは、字数感覚をつけるためである。竹の会では、とにかく、400字詰め原稿用紙を使う。 原稿用紙を使うと、筆圧と字の形に、注意するようになる。中には、ノートに書いて提出す者もあるが、指示にしたがってもらいたいものである。

 実は、受検を意識したものに、「理科をクリアーにする」、「社会をクリアーにする」がある。これは、公立中高一貫校の過去問から、製作したものである。理社の出題の傾向を知るという狙いもある。理科のさらなる、詳しい解説をしたものに、「必要十分条件の研究 理科」「同 社会」がある。竹の会では、「教養のための理科」が終われば、使うことにしている。このレジュメ集は私立も視野に入れた、かなり詳しいものになっている。 竹の会の作文。 作文というのは、やはり国語というのが、基本にあるわけで、竹の会では、まず、読解力をつけるということにかなり真剣にとらえるわけです。 読解というのは、まあ、意味取りなんですが、その技術的なものの指導に力を入れています。 抽象という技術、具体的というものの役割など。国語というのは、やはり、語彙というのが、かなり大きい。それで、今、そういう視点から、書いているのもあります。 現在の主力レジュメは、「読解の素」と「国語読解の基礎」です。 さらに作文を書くために、教養シリーズを開発しました。見聞を広める意図です。 取り上げるテーマは、あらゆる分野に及び、様々な問題を取り上げました。

 作文に特化した指導は、「作文の基礎」「新作文」。過去問から製作した「作文」もあります。 もちろん解説、模範答案例は、わたしの書いたものです。 桜修館の作文については、別に、オリジナル、過去問について、製作しております。、 作文の評価は、合格が「優」、不合格は、良、可、不可、の三段階です。

 次に、算数、特に、割合に関する入試過去問を用いた思考形成過程を終えた後の指導について、少し述べてみたいと思います。 竹の会のメインレジュメ指導です。 ここからが本来の指導です。 「単位あたり量を鍛える」「推論を鍛える」「新推論を鍛える」「初見問題の研究」「推論算数」「新推論算数」「算数をクリアーにする」、まずこれだけですかね。たいていはこれで時間切れになる。小5に来た子だと、最初から始めて、三番目の「新推論を鍛える」で時間切れとなることが多い。まあ、能力にもよるのですが、 これだとたいていは受からない。 だから、早く「来なさい」と言っている。 小5に来た子のほとんどが小4から来ていなかったことを悔やむ。これはほんとうにそうなんです。それまで竹の会を知らなかったというのならしかたない。しかし、中には、早くから知っていたけど迷いながら大手に行ったという子たちもかなりいます。まあ、遅く来れば来るほど、 とにかく時間が足りないのだ。 指導レジュメは、際限なく続く。だからとにかく早く来なければ、とても間に合わない。それから、せっかく早く来ても、いわゆる家庭の事情という伝家の宝刀を使い、竹の会の指示を先送りしていく親子が多いのであるが、これは結局時間が足りないことになる。小6の9月以降に失速していく子たちというのは、結局勉強だけに専念してこなかった子たちであり、勉強の絶対量が、極端に不足していることにおいて、共通している。

 なぜ、落ちたのか、理由の一つははっきりしている。勉強時間の絶対量が足りなかったからだ。どんなに頭がいい子もこれがために落ちる。頭の悪い子はなおさらである。 受検に向かない子というのがある。 漢字に関心がない、書くスピードが遅い、これは向いていない兆候である。合格する子というのは、とにかく 疾い。これはメルクマールになる。 時間のかかる子はやはり落ちる。 時間のかかる子は落ちる、というのは真理である。これはなぜなのか。 これは、問題の読み取りに時間のかかる子は落ちるということである。 問題を誤解する子も落ちる。 こちらは、時間がかからないが、読み取れないのは同じだからである。 初見で読み取れない子は落ちるということである。 問題の意味を全く読み取らないという子がいるが、こういう子は受検はやめた方がいい。 問題の意味も取れないで、そもそも受検などということは、烏滸がましい話しである。 人には、持って生まれた、素の能力というものがある。問題は、努力で、もともとの恵まれない能力をどこまでカバーできるかということであるが、 これには、限界がある。努力では補えないものがある。また、努力すればというけれど、実は、たいした努力もしない、人並みなことをしているだけというのがほとんどである。

 

🔴断捨離という進化

 古きを捨てて新しきを知る、という断捨離については、異論もあろうかと思うが、人生が有限なことを思い合わせると、これは実践すべき課題なのだと思う。私自身、様々な事件に遭遇して、どうしても古きを温める傾向にあり、かえって新しいものの真実を知らないままに、過ぎしことがよくあった。後から、もっと早く気がついていればということも多い。 簡素化された知識は心地よい。、 シンプルとは、頭をクリアにする、最良の方法である。 勉強の方向性としては、シンプルを目指す、ということに尽きる。 勉強というのは、網羅的な、時には、乱雑な、脈絡のない知識を、整理する、ことにほかならない。然り而して整理とは、シンプル化にほかならない。その整理の中身が、抽象化ということである。 思考とは、抽象化の模索、暗闘、苦闘にほかならない。数多の知識から共通項を探し、属性化する、一言で決めるのである。 この抽象化ということでは、ジャーナリストに学ぶところが大きい。彼らは、事件を一言で決めるのが上手い。共通点の読み取りがうまいのである。 ジャーナリストというけれど、世の中には、ジャーナリストを騙る有名人ばかりで、テレビに出てくる連中の大半は嘘臭い偽者である。自らの足で取材もしないのにジャーナリストを気取るバカがいる。 丸山真男の弟に丸山邦男というジャーナリストがいた。彼の著書である「天皇観の戦後史」という絶版本が、いい。何がいいかと言えば、抽象化の宝庫なのがいい。抽象化の教科書としては最高のものの一つでないか。 抽象化の達人は、なにしろ一言で決める。かつて大宅壮一は、「一億総白痴化」という言葉で決めたけれど、今はこの言葉は差別語になるのか。この辺の域は、短歌や俳句の言葉の妙と通うところがある。

 集中というのは、とにかくひとつのことに夢中になることである。集中とは、意識をひとつのことに集中させることにほかならない。してみれば、シンプルというのは、集中の準備、先決事項である。ものごとをシンプルにして、集中する。これである。

 

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