2019.10.16
第21章 悩む母
昔からいた。こういう母親は昔からいた。大手進学塾、昔なら日能研とか、四谷大塚、今なら早稲アカ、サピなど、そういうところに子どもを小3とか、小4とかから通わせる。一年経ち、二年経って、成績がパッとしない。偏差値は低いまま。週4日通い、季節講習も目一杯受けさせた。このまま行っても受かる見通しはない。こういう子というのは、大手にはいくらでもいる。こういう子たちが、最初は、慶應だ、早稲田だなどとそれぞれに薔薇色の夢を描いて、大手がその夢を叶えてくれると、喜び勇んで、言われるがままに大金を注ぎ込んできたことであろう。大手は、そういうお客様に、決して、無理です、などとは言わない。いかにもこれから大手でやっていけば受かるみたいなオーラを出しつつ、親子をピンクムードのままに泳がせる。大手は、営利企業である。見込みのない子でも大量に取り込む。そういう子が、大手の経営基盤を支えているからである。少数の天才を集め、彼らに会社の命運を託す。大手にしてみれば、芝中や巣鴨レベルに対応できる子らが天才に次いで欲しい。こういう子らが合格実績の層を厚くしてくれるからだ。そして「その他大勢」の、圧倒的多数の、お客様が、天才たちが出した実績に騙されて、「自分も」とやってくるのを手ぐすね引いて待っている。
さて、話しは最初に戻る。悩ましきは、その他大勢のお客様小学生たちであった。
最初に、あげた人たちである。そういう人たちは昔からいた。特に、私立受験をめざす親子が大手に行ったときから、必然的にこの悩ましい親子たちが再生産されてきた。
昔の竹の会には、そういう大手を落ちこぼれた親子がよく来た。竹の会の合格実績を見て、たいしたことはないと批判する人たちがいたが、竹の会にやってくる子たちの実体を知らないから、そういうことが平気で言える。だいたい人を批判する輩には、事実の裏付けなしに、想像だけでものをいう人間のいかに多いことか。私たちは、何かを言うときは、必ず事実というものを踏まえて話さなければならないのは少なくともわたしには常識に属する。推測と伝聞を根拠に空論を吐く輩がいかにも常識人のような顔をしているのは笑えるが、弊害もある。
偏差値が低い、という親の悩みは、それでも頑張る健気な子どもだとなおさらに、悩ましい問題として、親を悩ませ続けてきたのだと思う。勉強の大切さは知っている親子であった。
かつての竹の会はこういう子たちがよく来た。竹の会の合格の中に、大妻中野とあるのに、不思議な気がした人もいるかもしれない。これをたいしたところに受かってないではないか、と批判する人がいたが、事実を何も知らないで、表層しか見ないバカが、多すぎる。大手で落ちこぼれてそれでも諦めずに頑張ってきた子たちの答えであった。昭和女子、日大二中については、別に大手の落ちこぼれというわけではない。大手不信の人たちが竹の会に来た、そして自分たちの能力よりははるか上に受かった。事実を知らないで、たいしたところに受かってない、などと批判するバカはいつでもいるものだ。世の中はバカが溢れているから仕方ない。吉祥女子、国学院久我山中合格は、大手塾の子ではない。東洋英和女学院は、四谷大塚の子だ。同じ四谷大塚の子が、平成20年慶應藤沢に受かっている。竹の会の合格者としては載せていない。
昔の竹の会は、私立中学受験にも関わってきたということである。たいていは、大手の手助けだった。日能研と四谷大塚が中心で、たまに学習指導会がいた。弱小の個人塾であるからそういう仕事もしたというだけのことである。大学受験も頼まれれば断らなかった。オール1の子の高校受験を引き受けたことも何度かある。弱小塾が喰っていくためには、与えられた仕事はなんでもこなすしかなかった。自閉症の子の高校受験、不登校児の高校受験、不良の高校受験、なんでも引き受けて、とにかくなんとか結果を出してきた。
都立鷺宮高校合格と書いてある。何も事実を知らない人は、たいしたところに受かってないのに、こんなところを載せてと批判する。しかし、この生徒は、中1の終わりから卒業まで不登校で学校に行ってないのである。わたしはこの生徒を中2から見てきた。内申は、オール1のはずが、担任が数学担当で、温情で2をくれた。この生徒が都立に入れたこと自体が奇跡なのだ。偏差値の低いこの都立に彼が合格するには、当日点450点以上取らなければならなかった。500点満点である。彼は合格した。しかし、このレベルの高校は、中学レベルの授業なのだ。彼が学年1番なのは当たり前だ。彼の母親に懇請されて、高校三年間も指導してきた。彼は、千葉大学工学部、東京理科大にも合格した。わたしが、言いたいのは、世間の皆さんが、なんだこんなところに受かったぐらいで、何を騒いでいるのだ、と嘲笑するのは勝手ですが、竹の会の子どもたちの合格には、それは涙ぐましいストーリーがそれぞれにあったということです。いつ崩れ折れてもおかしくない子たちの復活の記録なのです。地元塾とはそういう子たちばかりを相手にしている、ということです。
わたしは、これまでそうした「悩む母」のために頑張ってきました。塾というのは、特に、地元塾というのは、「悩む母」のオアシスのようなところなのだと思います。
竹の会では、特に、昔から勉強に関心のない子たちなどを容赦なく退塾させてきましたが、それは、勉強しない意思が、塾の天敵だからです。できなくても、頑張ろうとする子の意思は大事にしてきましたし、できないと「悩む母」には、見捨てることなく、手を尽くしてきたつもりです。
竹の会旧看板
元代々木教室閉鎖の日
合格者からのお手紙
来年のカレンダー完成