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慶應女子、トップ都立、女子学院への国語 ~文章の翻訳とは何か

2023.04.27

 

文章の翻訳とは何か
 評論は、抽象概念に理解が覚束なくなること頻りである。
 抽象概念の定義が明確にわかればまだいい。定義を与えられても、よくわからないな、ということもある。
 具体的なものを抽象的概念に言い換えることが、読解だ。あるいは抽象的概念を具体例に変換してその意味を確かめるのも読解である。
 評論は、ふつうの読者とそれに批判的な実はそれはふつうじゃないという論理を二項対立を利かせて要約することである。
 小説は、物語を一文にまとめること、つまり、それが要約である。

 抽象概念の具体的意味を探ることは、読解の仕事である。抽象的なものは、具体的な例に置き換えて理解するのがよい。抽象概念も具体的段階から抽象的段階まで段階があり、より抽象度の高い概念は、抽象度の低い概念に置き換えてみるのがいい。また抽象度では同レベルということもある。国語の選択肢問題では、選択肢と本文の対応を確かめるのがふつうなのかと思う。しかし、それで正解肢が特定できるほど甘くはない。本文の対応箇所が見事に見当たらないのだ。これは、選択肢と同じ表現、言葉、一文が見当たらない、という話しである。それなら本文に「ない」のだから、その選択肢は誤りかというとそうではないのだ。出題者は、本文の表現を言い換えているのだ。表現は微妙に違うが、意味するところはどうも近いようだということがあるのだ。こういうときに、「翻訳して」とか、「解釈して」とか、言って、同一性を判断する、わけである。

 選択肢問題が本文との対照だけでは、出せない、とすると、選択肢問題は、選択肢の解釈・翻訳なしには、正解を出せない仕組みということになる。
 正攻法がなかなか労を要するとなるからか、選択肢問題では、消去法が常套手段とされている。正しいものを一つ選べという問題なら、正しい選択肢を探すのではなくて、間違っている選択肢から消去していくのだ。このとき、選択肢間の比較から正誤を判断できる場合もある。2つの選択肢が互いに矛盾したことを言っていれば、正解は、その2つのどちらかに絞られるからであるである。これで一気に2つに絞れるのだからまず選択肢間の矛盾探しからやるのも手である。
 また似たものがある場合は、こうは考えられないだろうか。どちらかの選択肢を前提に偽物を作ったと。とすれば、似た選択肢は、どちらかが正解肢の可能性が高いと。問題はどちらが元祖の選択肢かだ。一方を元祖と仮定して偽物を作れるか、と考えるのが、いいだろう。
 しかし、消去法の真髄はそんなところにはない。消去法は、ある意味、本来の思考を停止させても、正解肢を絞れるところにある。つまり、正解肢を抽象化して、つまり、翻訳して解いたわけではないのだ。文章を読解しなくても解けてしまうところに、消去法の反則性がある。
 評論文は、二項対立が構成要件とすると、私たちは、これを利用しない手はない。一般的な対策としては、二項対立語彙bookを読んで世の中の二項対立概念を勉強しておくことである。あるいは現代の思想を二項対立の文脈で押さえておくことである。
 それとして、評論文を読めば、必然対立する二つの価値が示されているのであるから、実際的には、本文の二項対立を文脈を追いながら、図示していくことが、技術的にはお薦めである。もっともこれは石原千秋が「秘伝 大学入試の国語」の中で説いていることである。
 石原は、センター試験国語の評論文は、〈 〉を使い、例えば、〈善-悪〉のように図示していく。全文の図示が出来上がると、選択肢問題は、二項対立を吟味しながら解いていけば、もちろん消去法を使うのだが、解けてしまう、ということを、受験国語のそうした実態を嘆きながら、説いているわけである。
 興味のある方は、読んでみられるとよろしかろうと思います。少なくとも昨今のテクニックを駆使した解法本は私にはちっとも面白くない。そのレビューには感動した小学生の母親がまるで命の恩人のような褒め方をしているのもあり、開いた口が塞がらない。
 竹の会でこれからどのように国語読解を指導していくのか、迷い道にある私であるが、それは国語を苦手とする受験生がいるからであり、このところそうした類いの本ばかり読んできて、たいていの本は竹の会の書架の何処かに埋もれているのであるが、指導のある日は、早くに教室に行って、書架を漁っています。
 ようやく穴倉の中に光り差し込む一点を見つけて、その薄明かりに吸い寄せられるように身を寄せて、光りの正体を見極めようともがいているところであります。
 国語が苦手の皆様、もうしばらくお待ちください。必ず救出に参ります。

 

 

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