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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

慶應女子、都立戸山、桜修館への道~レジュメだけで受からせる‼️

2023.05.12

🟡レジュメだけで受からせる‼️
 私のめざしてきたもの、究極的には、私の、竹の会のレジュメだけで、合格できる、システムを作り上げ、完成させること、であった。児童、生徒が、レジュメに専念するだけでいい。それが理想形であった。長い間、わたしはまるで樹海の中を駆け巡り結局同じ位置にいることを発見、自覚して、茫然とするばかりであった。
 結局、スタート地点で、見た風景が、たどり着いたところであった。平成25年合格の子たち(5名中3名合格/小石川・白鷗・桜修館)を指導したレジュメ、コンセプトが真理を語っていた。それと気づくまでにどれだけの年月を要したことか。すべてわたしの自信を持てない性分、私にのしかかる巨大な、漠とした不安、そういうものが、私を真理から遠ざけていた。
 それでは真理とされるコンセプトとはいったいどのようなものか。
 話しは、簡単であった。平成25年の合格、つまり、平成24年の指導は、次のようなものであった。
 すなわち、24年は竹の会渋谷教室移転の年であった。竹の会には、今のような数式ソフト仕様のレジュメはまだなかった。いや、それは正確ではないかもしれない。高校受験については、平成20年には、数式ソフトによるレジュメ化が完成しているからだ。だから適性検査のためのレジュメと言い換えたほうがいい。ただし、小学生のための算数指導用レジュメについては、試験的に作ったものが、かなりの量に達していた。ミクロマクロ算数の原作版など、今の竹の会の算数シリーズの元となったレジュメはみなこの時期に作られたものである。
 さて、適性検査対策に関して、それまでのレジュメはすべてwordで制作していた。wordでは、数式も、図版も、何もかもが、不自由な制約のもとに、限られた表現しかできなかった。しかし,数式ソフトを使うなどということは、考えられなかった。適性検査問題は、wordで編集するのが当然、と決めてかかかっていた。確かに、国語などはwordでいい。しかし、一般の適性問題は、多様な図やグラフが多用されており、日本語の打ち込みを怖れなければ、かなりいいレジュメができることは予測できていた。だが、踏み込めばどれだけ時間がかかるのか、レジュメにしたい問題は多い、だから二の足を踏んだ。躊躇した。しかし、記念すべき第一作「竹の会入会試験」を作って、その出来映えに我ながら感動した。特に、図版を駆使してかいた解説は一目で理解できる優れものだった。これならいくら時間がかかっても作る価値がある。わたしは内心狂喜した。第二作、第三作とわたしは自分の意匠を凝らして、創作していった。嬉しかったのは、だんだん慣れてくると、手際がよくなって、それなりに速く仕上がるようなったことだ。最初「入会試験」として制作・執筆した適性レジュメは、その名称のまま回を重ね、200枚ほどの大作となって、「入会試験」シリーズとして、竹の会のメインの適性対策レジュメになった。その後、「合格答案への道」と題して、適性対策レジュメの第二シリーズの執筆に着手。さらに同時期に、「算数をクリアーにする」シリーズの執筆を開始。この3点セットが、24年制作のすべてだった。そしてこのレジュメだけで、小石川、白鷗、桜修館に合格したのだった。
 これだけで合格したということをもっと重く捉えておくべきだった。わたしは、不安に対処するにはあまりにも短慮であった。不安から、わたしはなんと昔のword版レジュメを引っ張り出して、子どもたちに課してしまったのだ。わたしが与えたのは、混乱だけだった。
 わたしが、原点になかなか回帰できなかった、一つの理由は、子どもたちのレジュメ正解率があまりにも低かったことである。これは何を意味するか。レジュメが使えない‼️
 レジュメが使えない子が増えてきたことだ。それまで普通に使えたではないか。それだけ優秀な子だったということか。なぜか、竹の会には、できない子ばかりがやってくるようになった。入会の条件にある「内申の『よくできる』が8割あること」という基準を全然満たさない子たちばかりが、「なんとか」竹の会に入会したい、と来るようになったのだ。
 ギリギリ「準合格」として、救って、入会させても、私の高度のレジュメには、対応できない子たちばかり。レジュメが使えない‼️  窮余の策として、限定的に過去問合格法を取り入れたりもした。平成30年の富士2名の合格はその成果であった。
 私は、事態を冷静に素直に、事実をありのままに見るべきであった。
 私のレジュメで正解率が極端に悪い子、つまりレジュメが使えない子は、そもそも受検はできないのだ。無理をして入会させても、レジュメを使えないレベルでは、そもそも受検などということはあり得ない相談だったのだ。
 また、過去問合格法で救済するというのも、本来のレジュメが使えない子の、ごく一部の救済にしかならない。これを広げるべきではなかったのだ。
 竹の会は、25年基準でいく、これでよかったのだ。
 25年基準とは、最少の、つまり必要最小限の、レジュメ、しかも、良質で厳選されたレジュメだけにじっくりと取り組ませ、正解を積み重ねて、いくこと、である。
 レジュメの正解率が極端に低い場合は、レジュメは使えない。当然レジュメに対応できない子は排除される。これは仕方ない。竹の会はレジュメに対応できない子を引き受けることはできないし、引き受けるべきではなかったのだ。
 そういう子の生きる残る道
 そういう子でも、高校受験で生き残る可能性がある。
 これはレジュメの正解率がありながら、落ちたという場合には、トップ都立への道が残されているが、正解率の低い子たちは、最低でも都立広尾をキープできれば、成功と考えてほしい。都立広尾は、都立の中では、中堅校に位置する。かつては都立目黒より上だった。MARCHも取れる位置にある。
 正解率の低い子が、正解率の低いままに、受検のための勉強を続ければ、それは、割合など基本を疎かにしたまま、空滑りの勉強を続けることになり、区立中に入れば、当然底辺を這うことになる。都立などあり得ないのだ。だからわたしはそういう子には、割合をどこまで深く頭の中に立体化できるかが、勝負であり、とことん割合指導にこだわっている。ただし、親御さんが飽くまでも受検することに拘るなら、それもない。稔りのない適性対策指導を続けて区立中で落ちこぼれ底辺私立へ行くことになる。
 
 25年基準で、育てられるのは、「よくできる」が80%以上ある子が原則である。ただし、例外はある。能力は高いのに能力を評価されない子がいるからだ。昨年開成などに合格した子がそうだった。自分の内心を伝えることが苦手だったことが大きいのか、「もう少し」を何個かつけられて、「よくできる」も6割ほどだったか。この子は早稲田進学会の模試で全回成績優秀者として名前を載せた子であった。レジュメの正解率は群を抜いていた。それなのに小石川を落ちた。彼が再び竹の会で臥薪嘗胆を期したのは、それほどの衝撃だったのである。彼の親御さんは地元の杉並区の大手塾など一通り体験しながら探し、万事休す、というところで、竹の会の草枕を思い出した。自分の子の能力を引き出してくれた竹の会に、高校受験を託すことにしたのは、当の本人の意向もあったのだろう。こうして彼は竹の会で高校受験をめざすことになったのだ。
 もともと竹の会は高校受験が専門の塾でした。高校受験こそが得意な分野だったのです。しかし、ほとんどの子たちは、都立中を落ちて、竹の会に高校受験で再び通うことはない。それは一つには竹の会が中学生をあまり取らないということを知っているからなのであろうが、しかし、竹の会は強く頼まれたら見込みのある子を断ることはなかった。

 

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