2023.04.18
慶應女子の現代文、日比谷の現代文も恐くない!!
~「要は、…」と言い換える癖‼️
頭のいい人の読み方、考え方というのは、「要するに、こういうことですね」と簡潔に言い換えて短い言葉で言い表す、つまり、自分の言葉で言い換えて理解する。
現代文を読んでいると、わけのわからん文章に出会う。すると「これは要するにこれこれのことだな」とやるわけである。
現代文の読解の極意は、よく「要約だ」という人が結構いる。現代文の読解に関する本は様々な本が出ているが、わたしが、もっとも得心したのは、要約こそ読解の基本とする、平成元年初版の復刻版だ。昨今は予備校の人気講師が現代文の面白い本を書いて受験生には人気が高い。確かに、出口の~とか、田村の~とか、はいい本だと思う。ほかにも予備校本がある。わたしの受験時代は、「新釈現代文」なんかが定番だったけど、問題の現代文が短すぎて「今の長文の時代には合わない」という批判などいろいろ言われている。
なぜ国語の読解は要約が本質なのか。
それは要約という概念に答えがある。
要約とは何か。
これを抽象化と似たところがあると指摘している書籍に出会った。なるほどと思った。抽象化というのは、複数の事象の共通点でさらに上位概念に昇華することをいう。
考えて見れば、要約というのも、具体的なものは捨象して、より抽象的なものに括りだしていくという点において類似性がある。要約は、簡潔にまとめることと言っても、じゃー、どうまとめるの?ということになるから、抽象化類似説のほうがわかりやすい。
「要するに、…と言うことですね」とは、要約すれば、ということです。
言わんとするところは、こういうことですね。
あなたの言いたいことはこういうことですね。
現代文とは、要約することと見つけたり❗️というわけです。
さてどう要約するか。
筆者が何を言いたいのか❓ 問い続けながら読んでゆくことだと思います。読んでいるとき、いつも問いかけて、また、読む。読んだことが腑に落ちない。だったらまた読む。何を言っているのかわからない。だったらその答えを探してまた読む。読むというのは、読んでいるうちに湧いてきたなぜの答えを探すことなのではないでしょうか。最初はこの人は何を言いたいのか、と懐疑的に読み進めてみる、ということではないでしょうか。読むという行為は筆者の言うことに耳を傾けて、しばらくその言い分を聞いてみる。だからここは素直に、虚心坦懐に聞く。それからその言っていることが、えっ、なに、わからない、なぜ、と立ち止まる。それで、そのわからないところをまた読み返して確かめる。考えてみる。もっとその前のところに戻って読み返してみる。何度も読み返して、こういうことかな、ととりあえず先へ進む。まだスッキリしないけど、その答えを、スッキリを求めて先へ進める。気にかけながら読み進める。腑に落ちないという疑心をエネルギーに読み進める。それでもわからなければもう一度読む。読んで考える。推測する。それで、腑に落ちれば、この人の言いたいことは、要するに、こういうことなのだろう、と要約する。
要約とは、高度な読解の技術であり、読解の到達点である、と思う。
要約とは、筆者の言いたいことを抽象的にまとめることである。数学で言えば、最大公約数にあたる。抽象化の定義に従えば、各事象の共通項を括り出して、一つの概念で表すことをいう。数学的な言い方と言えば、因数分解の最初でやる、共通因数で括る、というのも、これにあたるかもしれない。
国語で言う共通項とは、どういうことを言うのか。
それに答える前に、実際、わたしたちが、要約ということでやっていることは、どういうことをやっているのか、考えてみよう。
例示、つまり、抽象的な主張を具体的に示した部分は、削ぎ落とされる。それは、抽象的な部分で、要約されているからである。つまり、具体的例示は、抽象的な核の部分の装飾品に過ぎないからである。大まかに言えば、最初の抽象化は、本文から抽象的部分を括りだしていくことである。国語というのは、抽象的表現・概念・命題を時系列に整理すること、あるいは因果律にしたがい整理すること、あるいは論理、つまり「したがって」の層に整理することではないか。
国語の勉強で、いい参考書は結局要約をテーマにしたものではないか。その視点からは、筑摩書房の現代文入門などの参考書が実は一番のお薦めなのではないか。昨今の予備校もののような派手さはないが、どころか実に地味な体裁ではあるが、筑摩の参考書にはいいものが多い。