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慶應女子への道、都立戸山への道!!

2023.04.21

慶應女子への道、都立戸山への道!!
学ぶべきは、抽象化、要約する、頭の働かせ方
 要約したものを読むのではない。あなたたちが、要約するのである。他人が要約したものは、他人の要約力によって示された結果であり、あなたたちの要約力を培うことになんの貢献もしない。
 理科、社会の要点をまとめたテキストの功罪
 膨大な試験範囲を要点でまとめたものは、確かに、自分でまとめるよりも時間の節約になる。司法試験などには、予備校のまとめ本が使われるのは、範囲の膨大さを考えるとその方が効率がいいからである。しかし、司法試験なら、文章を読みそれを要約する力が欠落したままだと、文章を読み解くところで壁に突き当たる虞れが否定できない。
 中学生は、高校入試の場面で、同じ問題に直面する。理科、社会の勉強をするとき、それなりに範囲は広いわけである。様々な大手塾が、それぞれ観心を買う要点集を作り、それを餌に講座を組み、高い料金をとって商売している。テキスト欲しさに講座を申し込むというのは、資格試験の予備校、大学受験の予備校では、普通にあることであるが、今は、高校入試でも負けていない。この講座を受けた者だけが手に入れられる、と謳いあげる。煽る。大手塾は、「このテキストは、最上位のクラスに入れた者のみ配布される」とその付加価値を高めようとする。
 要点集というのが、要点を「網羅的」に扱うなら、要点とは言えなくなるから、自己矛盾に陥ることになる。過不足なく、となると網羅的ということで、どうしてもページ数が増えてしまうから、難しい。
 2-8法則というのがあるが、要点集というのは、重要な要点を網羅し、8割得点できれば成功というのがコンセプトだと思う。
 網羅を謳う予備校テキストもある。資格試験には安心できるのかこの手が多い。その反動として、簡潔を売りにした本もある。
 石原千秋「秘伝 大学受験の国語力」から
 石原は、評論文の読解は、二項対立に整理することだ、言う。そのせいか、現代文のキーワード本は、二項対立を意識したものが、溢れている。
 小説の読解は、想像力だ、という。
 以下石原引用
 読めばわかることが設問で聞かれるはずがない。読んだだけではわからないからこそ設問が設定されるのである。第一段階は本文を一つの文章にまとめることである。このまとめた一つの文を石原は物語文と呼んで、この物語文を基準として「読んだだけではわからない」部分を「読み込む」ことである、という。この深読みについて、さらに技術的には、先に選択肢を読み、選択肢に示されたキーワードを上手に物語文に織り込むことである、という。学校空間で好まれる物語文とは、道徳的で、主人公が成長し、予定調和的な、つまり、悲劇的ではない、物語である、という。そこから世間の平均値が正解となる、とする。

 論理的な思考とは何か 石原見解
 これも石原の見解にしたがうと、評論文の読解は、二項対立に整理することであり、それが、情報処理の基本である、とする。
 誤読の余地のほとんどない文章を選択肢との対応関係においていかに誤読に導くかが、センター入試国語のコンセプトだとと指摘している。
 センター試験の現代文は、明晰な本文に対して、選択肢の方がしばしば意味不明の日本語で書かれている、のはそのためである、という。
 だから本文と選択肢の対応関係を正確に把握することが大学受験国語では大切である、とする。
 二項対立の図式を選択肢をチラチラ見ながら作ることである、という。
 その場合のキーワードは、出題者がキーワードとして想定したものを使うこと
 本文に書かれていない、実際に用いられているキーワードに対応するであろうもう一つのキーワードは予想することも大切である、という。

 評論文の読解は二項対立に図式化する、ことである。

 読解の最終的な目的は、最も適切なキーワードを、使って問題文を要約することである。私たちは、読書をしたときにその全文を覚えていられるわけではないので、それを要約して頭の中に収める。だからこそ読解力の最終目的は要約なのである。
どのキーワードが本文の要約にふさわしいか
国語力とは
1 前後の文脈を正確に二項対立に図式化すること、つまり二項対立整理能力 これが論理的思考力である。

2 本文の言葉を別の言葉に置き換える翻訳能力
これは抽象化能力のことである。
抽象化能力とは、複数の具体的な事例から共通する性質を読み取り、それらを抽象化して一つの言葉にまとめ上げる能力
読解力とは、論理的思考と抽象化能力

以上、国語読解について、一家言(いっかげん)ある石原千秋の著書からの要点をあげてみた。

 わたしたちは、文章を読むとき、その要点、何が言いたいのか、何を書いてあるのか、それを読み取ることに意識を集中する、と思う。その時にどのように頭を働かせるか、である。
 評論文だと、まず二項対立に目をつける。具体的な対応を文章に読み取っていく、これが頭の働かせ方だ。二項対立の図式は、語彙本なんかを読むとまとめてある。たとえば、〈善ー悪〉、〈支配ー服従〉のような対応をリストアップしおくのだ。
 勉強の極意は、抽象化にあり‼️
 読むときも、暗記するときも、常に、抽象化することがまず頭の働かせ方だ。まず抽象化する。これはすべての勉強の鉄則である。だから学ばなければならないのは抽象化なのである。地理が苦手という生徒は、地理の具体的な記述になにか拠り所となる軸を見つけられない、と言っているのだと思う。場当たり的に知識を覚えるなんて耐えられないと言っているのだと思う。歴史なら軸はいろいろある。時系列に整理するというのが一つ。だから〇〇時代という整理、さらに文化史という軸など軸はいくらでもある。年表というのも時系列整理の究極形である。公民だって、制度という枠組みがある。ところが、地理はつかみどころがない。そう感じている生徒が多い。それは具体的なものに翻弄されているからである。知識が羅列にしか見えないからである。 抽象化能力を脳の習慣とすること、さらに抽象化という脳のはたらきを訓練によって身につけること、である。

 竹の会が子どもたちにやってきたことも、詰まるところは抽象の世界に子どもたちを誘うことであったと思う。

 幼いときの抽象化の勉強は、まず字をきちんと書けるようになることでした。字というのは、抽象そのものです。さらに子どもたちは抽象世界を広げてゆくことになる。計算です。計算ほど形式的ではあるが、抽象度の高い世界はない。「たす」という概念、「引く」という概念、「かける」という概念、「割る」という概念、最初は、具体的な物をイメージして理解しようとしてたことでしょう。しかし、数の扱いに慣れてくると数だけが一人歩きするようになってくる。数の概念の独立である。小数という概念、余りという概念、最小公倍数という概念、そこから通分という概念、分数の概念、繰り上がり、繰り下がりという概念、分数の概念は単位当たり量の概念の原型概念です。こうして計算世界は見事に抽象世界を繰り広げているのです。計算を学ぶということは、抽象の世界の住人になること、市民として住所を置くことなのです。計算という抽象世界を経験してこそ、さらなる高度の抽象概念である割合概念を学ぶ下地ができていることになるのです。わたしが、小2からの指導をベストとしている根拠はここにあります。つまるところ、指導とは、子どもたちに如何にして抽象世界で生きていく術を教えるかにあるのです。小5で大手にいた子が突然来てもうまくいかない理由はここにあります。つまり、彼ら彼女らは、抽象化世界をほとんど知らないのです。経験がないのです。機械的な計算のルールしか知らないのです。いやそれさえも曖昧です。ましてや割合という、深い概念の理解などありえなかったのです。竹の会では知能的な問題が疑われる子には受検目的でも、受検の指導は不可能と認識して臨んでいます。だから根気よく諦めないで、子どもたちがついてくる限り、割合概念の完全な理解をめざして指導しています。下手に受検のためと称して適性練習なんかさせたら、ただ丸覚えで逃げるのが関の山で、もっとも大切な割合概念を疎かにしたまま中学に進むことになりかねません。そうすれば中学で割合もわからない、つまり、高校受験はない、ということになります。だからわたしは中学になって困らないように心を砕いているのです。

 国語ができない子について

 語彙が全く足りませんね。語彙というのは、教科書から、読書から、参考書から、問題集から、新聞から、ととにかく増やす機会はいくらでもあるはずです。スポーツや習い事、稽古事、ゲーム、遊びでは語彙はほとんど増やせません。まず言葉を知らなさすぎるのです。あなたたちは言葉を通して世の中を知るのです。世の中のことを言葉で置き換えて、つまり、抽象化して、始めてあなたたちの脳に収まるのです。言葉を知らないからきょとんとしているのです。漢検は言葉を増やす機会になります。受験を通して言葉を広げるのはいいことなのです。竹の会では、漢字を始めとして語彙問題集を機会あるごとに提供してきました。それはわたしが全国の予備校・塾・学校専門の教材会社などから手を尽くして集めたものばかりです。わたしの目が捕らえた、目に適った、メガネに適った逸品参考書ばかりです。どうかわたしが提供する機会を無視しないでください。国語はまずとにかく当面は語彙を増やすことに専念してください。それからゆっくりと抽象化の話しをしていきましょうね。 

 

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