2023.04.30
🟠夏ですべてが決まるのに、夏を無為に過ごす人たち
大手塾のハードカリキュラムは、商売だと軽んじてはいけない。夏目一杯勉強することが、合格の要になるからです。わたしの出身高校では、夏休みに1日10時間勉強した者は京大に受かるという伝説がありました。それを教えてくれたのは、数学のK先生でした。先生は、先輩のH君のことをよく話されました。夏休み10時間を実行して京大に合格したというのです。わたしはわたしの2から3歳上の学年だったのだろう、そのH先輩のことを実は知っていました。なんと私の家の向かいに住んでいたのです。わたしは中学生で、H君は高校3年だったのだ、と思います。よく大声で、父親と口論していた印象しかありません。彼がそんな秀才だったとは、正直びっくりしたものです。
ところで、竹の会では、ここ3年ほど夏は新型コロナの影響でまともに特に季節講習の時間が満足に取れない年が続きました。新型コロナ感染の懼れを理由に参加しない人もいたり、夏は、散々な目に遭いました。受検は明らかに時間不足による不完全燃焼をもたらしました。
竹の会では、夏は最低7時間、希望10時間の家庭学習を指示しましたが、子どもたちの提出した勉強時間の結果報告は立派なものばかりでしたが、結果的には、その後の飛躍には少しもならなかったのです。7時間やったと言っても、中身は子どもたちの能力によって濃くも薄くもなったことでしょう。そもそも竹の会でまともに集中もできない、解けもしない子たちに、7時間の中身がどれほどのものか、推して知るべしでした。結局、この子たちは、小学生も中学生も「手をかけて」指導しなければ、わたしの安心は得られない、のだと悟りました。「先生、10時間勉強しました」と言う言葉が、そのまま信じられない、額面通り勉強していたとはとても信じられませんでした。案の定夏以降にその勉強の成果が実を結ぶということは終ぞありませんでした。ただ自己満足に終わっただけでした。
勉強のできない子はもちろん手取り足取りで指導してやることに効果があることはわかっていました。今のわたしなら指導は過去のわたしと比較にならない段階に達していることは随所で感じています。通分を教えるときのワンポイントの言葉が、子どもの、残されたジグソーを的確に埋め込んでいるのは、実感します。なぜって、子どもの反応が、わたしの期待通りに正確に返ってくるからです。昔のわたしより、さらに指示が的確に子どもの脳の未完成のジグソーの残された空白に嵌め込まれていくのがわかります。
子どもの「わからない」というのは、ジグソーでピースが斑点のように埋まらないところに似ています。これを大人がこうやるんだよと教えるのは、子どもが「あっ、そうかわかった」と言っても、埋めたのは大人であって、子どもじゃーない。子どもには、最低限試行錯誤して簡単なピースは埋めさせなければならない。ここはいくら時間がかかっても待つのが指導です。こうしてどうしても埋まらないピースがあるというのが、子どもの脳の状態なのだと思うのです。指導というのは、的確に埋まらないピースを見つけ、子どもの空白を埋めてやることなのだと思うようになりました。だから、子どもの理解のピースの欠けているところはどこか、ということを常に考えています。
ピースにしても、最初から埋まらないという子もいるわけで、これはもう知能の問題で、指導そのものがあり得ないわけです。竹の会を始めた頃、よく入塾を断っていたのを思い出します。
「わかる」というのは、子どもにとっても、実際に解けるることが補強となって、子どもに達成感を与え、それが学ぶ喜びへとつながっていくのですから、ますます勉強が面白くなるわけです。
子どもの指導、特に、低学年の指導の理想形とは、このような形なのではないか、と考えております。
「先生、10時間やりました」という言葉は、正直そのまま信用することはできません。わたしは、子どもたちに「騙されて」きたことのほうが圧倒的に多いからです。子どもたちの「わかった」という言葉ほど信用できないものはない。だからわたしは、必ず「証し」を取ります。抜き打ちの過去問、レジュメで、確認を取ります。
高校受験では、やはり中1から見てないと、中3になっての指導はできないのかな、と思っています。それから最近指導できる人数というものも合格との兼ね合いで決まってくるのかなと思ってもいます。高校受験だと多くて2名までです。それ以上は「手がかけられない」からです。都立中学受検は、合格者を出せるのは、5名までが限界なのかなと思っています。
最近、実感しているのは、やはり子どもというのは、「手をかけて」指導しないと、だめなのかな、ということです。都立広尾に2年連続合格していますが、これは話しはそう簡単ではない。実力はとても合格できそうにない、そういうところから出発しております。「手をかける」指導で本番を切り抜けた、というのが真相です。
コレは開成、筑駒のときも変わらない。「手をかけて」指導した、ということがなければ合格はない。指導を1週間空けることはとてもできませんでした。
例年夏は個人個人の勉強時間に期待するということで、任せてきたわけです。新型コロナのために夏に出ないという子もそれなりにいて、そういう子たちが、どれほど勉強したのか、また勉強したとして、そういう子たちの一人でやる勉強にどれくらいの意味があったのか。正直消極的な結果しか想定できないですね。
一人で指導なしにやる勉強には、正直なにも期待できないと思います。最近思うのは、指導の予期せぬ、想定しない効果のことでした。子どもたちは、指導で伸びるのだ、ということが、指導を通してかなりはっきりしてきました。今のわたしの指導の質がかつてないほど高度な段階にある、ということがあるのかもしれません。
指導時間の多いほど「できる」ようになる。これは真実なのだと思います。
子どもたちもわたしの指導なしには、成績が上がらないのだということがわかってきたのでしょう。これは親御さんの意識も同様なのかな、と推察しております。
竹の会の少ないレジュメだけで合格できる。ということもわかってきました。
例年夏の指導が大手に比べて、少ない、ということは、気になっておりました。
※4大塾の費用を小6の年間合計で比較したデータがありました。
早稲アカ315万・四谷大塚253万・日能研227万・サピックス277万
※早稲アカの小6の夏期費用
夏期講習35万・夏期合宿22万・土曜YT講座22万・NN志望校別25万
別に授業料144万必要です。
※四谷大塚の小6夏期講習費用 36万
※サピックス小6夏期講習費用 38万
夏期集中志望校特訓6万・難関校SS特訓27万
別に授業料169万が必要です。
以上は中学受験です。高校受験ではこれに英語が科目として加わりますから、費用は1.5倍は増えます。
一つ言っておきたいのは、大手塾はこれだけのカネを取って合格実績を出しているということです。カネをかけないで都立中高一貫校に合格しようと考えている、もともと公立志向の親とは考え方が全く違います。教育はカネのかかる投資だということを知っているのです。大学受験にかかる予備校の費用、資格試験にかかる予備校の費用は膨大な額です。教育とはカネのかかることなのです。竹の会は公立志向の親御さんが中心であったため、竹の会の費用を「高い」という親御さんもいるようで(子どもたちから聞いた話ですが)、そういう中ではどうしても夏に指導時間を余裕をもって取ったカリキュラムは組むことができませんでした。だから夏に指導時間が短いことは承知で例年定額でやってきました。これでは不十分で合格するには足りないことは承知でした。
高校入試の指導では、はっきりと持ち出しでした。合格に必要な教材は尽きないのです。ですからわたしは持ち出しでカネをかけてどんな教材も集めました。できうる最大のことはしてあげたい、合格させてあげたい、その一心でした。大手のようにカネは取りません。それでも季節講習の費用を「高い」と言われてしまうのです。
本音を言いますと、講習を少な目に出るというのは、受験では「死」意味します。この場合の死とは「落ちる」ということです。大手では希望者には目一杯時間を取っています。もちろんその分のカネも取るわけです。その結果思い切りカネと時間をかけた多くの生徒が合格していくのです。能力もさることながら、カネをかけない人たちが合格できないというのは真理です。
受験とは、そういうものなのです。
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