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分類」と「要するに」で受かる‼️

2023.05.29

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🟡「分類」と「要するに」で受かる‼️
  頭の働かせ方の研究
  民法学の大家故我妻栄博士は、学生時代の勉強法として、「分類して、総合した」書き込みをした、とあった。
 博士の言う「分類」はどのようなことなのか。
 「分類」とは、抽象化の別の言葉である。 分類するというとき、わたし達は、羅列された知識、いや言葉を、その共通項を基準として、すなわち共通項で一つの上位概念として括る。つまり抽象化する、ことを無意識裡にやっている。こうして多くの種々雑多に見えた知識・言葉が、整然と整理される。勉強とは、知識を整理すること、と言える。時系列による整理、因果関係による整理、これらも抽象化の例である。とにかく分類することで、わたし達は、知識を整理できる。
 

 ぶんるい【分類】
(名)スル
①ある基準に従って、物事を似たものどうしにまとめて分けること。「図書を━する」
②〘論〙物事を徹底的に区分し、類種系列の形をとった体系を形成すること。→区分
 

 理路整然とした知識のみが、頭にスッと入る。羅列された知識は頭には入らない。バラバラな知識も頭に入らない。一見バラバラに見えた知識でもそこに「何かの『関係性』」が見えれば頭はその扉を開く。
 教科書は理路整然と関係性を述べたものだから、そのまま読んでも頭に整理されそうである。しかし、例えば、山川の日本史の教科書を勉強するとしても、網羅的,かつ理路整然としているといっても,そのまま読むのではおそらく10回以上は精読しないと記憶に定着しそうにない。

 これをサブノートに整理するというのはどうだろうか。
 サブノートは、定期試験対策には、有効であるが、受験では、とても無理です。サブノートを作る時間が無駄です。こういう場合に、我妻栄先生は、欄外の空白部分に、「詳しい見出し」をつけた、そうです。我妻先生は,それまでサブノートを作っていたそうです。しかし,サブノートはとにかく時間がかかるのが難点です。先生はかの元岸信介首相と同級生でしたが,東京帝国大学を首席で卒業されています。その後の民法学の発展はすべて我妻先生の偉業です。昨今の国家資格を簡単にとってそれを売りにして終わる若い人たちがどれだけ創造的な仕事をしたのか,そこで自慢することで終わるのとは,違います。

 その書き込みは、「分類と総合」した内容のものだったと「民法案内第1巻」の巻末付録で述べております。
 ところで、先生の言われる「総合」とは、どのようなものか。普通に「総合する」とは、どういう意味で使うのか。
 

 そうごう【総合・綜合】
(名)スル
①ばらばらのものを一つにまとめあげること。⇔分析。「みんなの話を━して判断する」
②〘哲〙㋐弁証法において、互いに矛盾する、定立の「正」と反定立の「反」の、契機を統一すること。合。ジンテーゼ。→定立
㋑ある対象に別のものを結び合わせて、一つの全体的統一を構成すること。⇔分析。〔「哲学字彙」(1881年)にドイツ語Syntheseの訳語として「総合法」と載る〕
 

 「総合」するとは、何か。
 「分類」が、「分ける」ことなら、「総合」は、まとめること、と対比できる。総合の概念には、全体的とか、統一的とか、体系的とか、鳥瞰的とか、そういう語感があるように、思います。

 我妻先生は旧制中学校首席で神童と呼ばれた人です。その後旧制第一高等学校首席,東京帝国大学首席でした。その先生の著作というものは,例えば,月刊ジュリストの特集で出された「民法50年史」の中で我妻先生は「わたしの生きる道」と題する小論を寄稿されいますが,その文章は,大著「民法講義」で読み慣れた文体とは違って,人間我妻栄の人格が滲み出た感動の文章でしたが,そういう先生が,東大の学生のために東大新聞に寄稿された「わたしの試験勉強」という小論は先生の勉強の極意を正直に披露されており,とてもためになるものでした。

 そういう先生がその中で,何気なく,「詳細な見出し」と「「分類し総合する」という勉強のヒント,しかも含味深いアドバイスを遺されているのは,なんと幸運ことなのでしょう。

 「詳細な見出し」とは,その「見出し」を見るだけで、そのページに書かれていることが、一瞬にして、「わかる」というスグレメモということになりますか。
 「分類し総合する書き込み」の語るもの
  知識は、徹底して分類せよ。わたしたちは,まず教科書でもなんでも,試験問題でもまず読むことから始めます。このときの頭の働かせ方です。先生は,とにかくまず「分類する」ことが学問,勉強の始めだと言っておられるのではないか。よく国語が苦手,読解力がない,と嘆く人がいますが,基本的な語彙は備わっているのは前提としてもそうなのか,ということですが,その前提の上に悩んでいるのなら,まずは文章を読んだら,「分類しなさい」ということを言っておきたい。文章中での頭の働かせ方は例えば二元論の渦中に巻き込まれたとしても,分類する人になりきって読みなさい,ということです。あなたたちは常に知識,言葉,主張を分類する客観的な第三者でいなければならない。

 その上で,「総合しなさい」ということです。鳥瞰的に見てみなさい,ということです。このとき,魔法の言葉あります。「要するに,こういうことだ」と一言で言い切ってください。これは教科書や文章を読むとき,最後は「総合する」ということをやる,その前提として,文章を分類しきるのです。

 

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