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中学受験、高校受験の極意

2023.06.13

中学受験、高校受験の極意
 受験とは、あなたたちのすべての生活、時間を受験にのみ捧げることを当然の前提とする、あなたたちの将来の職業を獲得するために、越えなければならない試練である。わたしは、自分の将来と真剣に対峙したとき、必然受験は避けられない選択になると思っています。いいですか。あなたたちの将来を左右する重要な、乗り越えなけれならない、関門、いや登竜門なんですよ。
 中学受験にしても、高校受験にしても、受験成功の極意は、早くから始めて、最初から全速力で駆け抜けることです。ここでは、「まだ小4なので」とか、「部活で忙しいので」とか、言う人種は、最初から対象として考えていません。
 小学生が自分の将来を考えて、将来の職業を具体的に夢見て、そのために、受験したい、と考えた。その意味で、成熟した小学生、ある意味、精神的に大人である小学生が、もっとも受験に適するのです。 
 未熟、幼い、甘え、わがまま、つまり他人の存在を共存させられない、そういう小学生は、そもそも受験など考えないほうがいいと思います。
 習い事、稽古事、スポーツなどやりながら、受かると思っている時点で勝敗はついています。もう一つこういう人種の勘違いを指摘しておかなければなりません。こういう人種は、受かればいい、とにかくビリでも受かればいい、と考えている節があります。しかし、例えば、日比谷にギリギリ入ってもそれは手放しで喜べることではありません。日比谷というのは、開成、筑駒の併願校です。慶應女子の辞退率は47%にも、達しますが、辞退者はどこへ行くのか。国立か、日比谷でしょ。女子は東大に行きたくても進学校は日比谷しかないからです。慶應志木、早実みな辞退率は軽く5割を突破しています。みな東大狙うなら日比谷です。これでビリで合格してもつまらないということがお分かりでしょうか。落ちこぼれるのが、落ちです。都立中高一貫校も同じです。ただ区立中よりはましですが。ちなみに、桜修館に合格した竹の会の卒業は、5番以内にいる子ばかりです。これを見ても竹の会がただ合格させるだけの塾ではないということがわかっていただけるでしょうか。そうです。竹の会の卒業生は合格してもトップにいることが多いのです。これは不幸にも落ちた子たちにも言えます。区立中でほとんどはトップ層にいるはずです。竹の会というのはそういう塾です。
 受験の極意は、早期の勉強開始です。スタートしたら、全速力で駆け抜けることです。そうです。勉強に手を抜くことは、考えられないことなのです。勉強の手を抜いて、習い事、稽古事、スポーツに現を抜かすなど試験を舐めた話しです。どこからそんな横着な発想が生まれるのか。やはりそういう認識というのは、教育にカネをかけたくない、節約志向の庶民家庭の「これで受かれば得した」感覚から発想と基底を同じくするようです。

 最初から私立難関、私立狙いの家庭とは、根底のスタンスから違うのだ。
 この私立狙いの家庭の「なぜ私立か」という問いも必要なのかもしれない。今の公立中学は、学習困難児、発達障害児、多動性障害児、勉強に無関心な貧困家庭、学習不振児、情緒不安定児、勉強無関心児などが8割、まともな生徒は2割というところである。まともに授業が成立しないのだ。純粋に上昇志向のある生徒はそういう環境の中で、とにかく我慢して、トップ都立を目指していくしかない。内申のために教師の理不尽にも唯唯諾諾として従うしかない。アホ教師の出す無意味な宿題にも文句を言わずとにかくやるしかない。そういう過酷な学校環境に我が子を入れたくないから私立を選択するという、金銭的に余裕のある家庭も多いのかと思う。もともとが難関狙いではないのだ。とにかくどこか私立に受かればいいと考える。おそらく過保護で親の言うことはなんでも聞く良い子ちゃんなのであろう。
 竹の会は久しく私立中学受験を表立ってやってこなかった。ただ桜修館などの合格者や惜敗組が様々な私立に受かっているのは事実で、竹の会はあえて大騒ぎして公表していないだけだ。本年も普練土、西武文理、八王子東(東大医進)などに合格している。巣鴨、攻玉社の算数選抜(定数3)合格、東京農大第一中学など上げればきりがない。 平成20年の慶應藤沢中学合格を含めて合格者として掲載したことがない。都立中高一貫校専門と看板を出していたこともあり私立はおまけと見ていたからだ。しかし、竹の会の歴史を紐解いて見れば、中学受験の歴史は古い。竹の会が算数の研究に本格的に取り組んだのは、公立中学の凋落を見据えて、公立中高一貫校専門塾へとシフトを移して行った平成17年あたりではないかと思う。それまでにも、東洋英和、国学院久我山、吉祥女子、獨協、日大二中、大妻、昭和女子、光塩、頌栄など数えきれない子たちを合格させて、送り出してきた。竹の会の中学入試指導は、四谷大塚、日能研全盛時代から「来る者は拒まず」の精神で、過去問合格法を軸に合格を勝ち得て来たものだ。今のように小学生の指導体系が確立していない時期の話しである。
 今の、竹の会は、難関中学、難関高校合格の個別の請負人と考えてもらって差し支えない。開成高校、早稲田実業に行きたい、と委託を受ければ、そう動く、そう考えてもらえばいい。いったん受ければ、全力をかけて合格に向けた指導に取り組む。それが仕事だからである。
 昔から難関の依頼が来ると、わたしは、「わかりました。やりましょう」と引き受けた時から、わたしの全生活をその成功に向けて注いできた。体力の限界を超えてフラフラになりながらも、あらゆる手を打ってきた。わたしの指導には、今もその精神が色濃く出ていることは否定しない。
 わたしには、勉強に、時間もカネも徹底してかけない家庭が苦手である。かつてサッカー命の家庭が、都立日比谷を志望して入会したことがある。1週間のうち6日はサッカーの激しい練習に明け暮れ、それで受かると本気で信じていたようだ。竹の会の指導回数、指導時間も減らして、つまり、カネも節約して、竹の会の指導も何もあったものではなかった。中2までは持ち前の能力で学校でも上位層にいたが、中3になって模試を受けて、共通問題の英語でも60点という酷いことになって、逃げるように竹の会から消えた。わたしの、日比谷受験の考え方とはまるで相容れない、母親の強い自信を受けての依頼だったが,そんな激しい練習でどこまでやれるのか、見届けてやろうという気持ちもあった。しかし,共通問題の英語60点はさすがにない。私の難関高校の指導カリキュラムとはあまりにも乖離したもので正直わたしの指導は全くない。

 世の中には、受験を余りにも軽視して、そういうことに時間もカネもかけない、という親、家庭が多い。中流層の経済的な背景というのもある。子どもに才能があれば何かと塾に払うカネのコストパフォーマンスを言う母親の気質も母親の目論見通りに行くのでしょうが,子どもが普通か中の上あたりだと悲劇は避けられない。

 そういう人類は竹の会にも何人もいました。その100%が直前に力がつき切らず、失速、時間不足、勉強量の絶対的欠缺のめたに想定した通りの結果でした。ただ惜敗組と言われる子たちの中から日比谷、戸山などに進学した子たちもたくさんいるのが竹の会出身の子たちの特長です。転んで竹の会精神を学んだということでしょうか。

 

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