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慶應女子・桜修館・トップ都立高校への道 ~合格はどんなときに舞い降りてくるのか❓

2023.05.09

合格はどんなときに舞い降りてくるのか❓🟡
 微塵の欲も合格を潰す
 受験は「無」の境地で勝つ
 無とは今やっていることに精神のすべてを集中し、迷いのない状態をいう。不安や虞れ、焦りもない。無風の精神状態が、沈着冷静な判断を可能にする。肚を据えて一歩下がって見る。欲の強い人は、一歩下がるどころか,焦って早合点し,浮き足だって,物事の表層しか見ないものだ。
 信じる心がない人間は決して成功はしない。竹の会を信じたものは成功し、少しでも疑った者は失敗した。よく、母親に多いが、本番間近になって、「こうしてくれ」、「ああしてくれ」といろいろ注文してくる母親がいる。これは不安から、あるいは絶対に合格したいという衝動から、言ってくるのかと、思われるが、母親主導で何かやってる感全開で、塾をそれほど信頼していないことの裏返しである。そもそも母親が何か口出ししてきて,あるいは母親がよほど自信家なのか自分の考えを通そうとすることが往々にしてある。わたしがどうやるのかなど窺うこともなく一切お構いなしで我流でやるから,当然失敗する。受かるものも受からない。わたしの期待した勉強をやるのではなく母親がこうした方がいいというやり方を進めるのだ。

 過去に失敗した人たちのことを思い返して見ればすぐにわかる。母親がわたしの考えに重きを置かないで、子どもを誘導した結果落ちたという場合ばかりだ。

 「わたしの考えに重きを置かないで」という箇所は,実は小6や中3になっての失速として如実に表れる。本番直前になって「このままでは受からない。どうしたらいいのか」と相談してくる親がいるけれど、親の手抜きが原因なのだということにまったく思い至っていない。「まだ小5だから」「女の子だから」「二番目だから」「コロナだから」と夏もほとんど参加しないで,適当に遣り過ごしてきたこと、旅行や実家帰省も適当にやり,習い事や稽古事もやってきた、いろいろ手を抜いてきたことを思い返してほしいものだ。要するに,受験というのは、カネをかけなければ受からないし、時間を無駄に使ったら受からない仕組みになっているのだ。節約思考の親は受験など考えないほうがいいし、子どもに習い事などで技術を身につけさせてあげたいのなら最初から受験などと思わないことだ。
 信頼しない、という心性は、塾だけに向けられるものではない。こういう人は、本来、勉強というものを信頼していない。さらにそういう勉強をする自分を信頼していない。
 信頼しないの本質は、他人を信頼しない自分を信頼しない、というところにある。
 信頼するとは、信頼する自分を信頼する、ということである。自分が信頼できない者に、他人を信頼することなどできない。
 大手に人が集まるのは、自分をも信頼できない人たちには、本来大手だって信頼できないはずなのだが、こういう人たちは、大手塾を疑うことはほぼない。なぜ疑わないのか。それは、ほかでもない。大手は、大手教という宗教だからである。大手教という信仰の対象だからである。日本国民の多くが属するいわゆるB層の親は大手志向が強い。B層とは、適菜収がその著書の中でよく使う言葉であるが、IQが低くて、だから具体的なことはわからないが、キャラクターで選ぶ人たちのことである。つまり、B層は、中身ではなく、雰囲気で選ぶ、選択する。つまり、理論的根拠なんてないのだ。大手を信頼しているわけではない。世間の風潮、大勢、雰囲気で選んでいるに過ぎない。それこそが、B層のIQの所以だからである。
 日本の社会は、主婦層、若年層、シルバー層からなるB層が、いることによって、権力者に都合のいい政治体制が容易に形成される。安倍政権を支えたのは、雰囲気で、感覚で、動く、IQの低いB層である。

 もっと言えば,大手塾というのは、如何にしたら合格するか、という価値判断の結果を「教える」だけだ。子どもたちは,価値判断を習って,その価値判断をまるで我が考えのように,我が価値判断のように振る舞うだけである。習ったことのない価値判断を求められたら途端にフリーズするのが大手の子たちだ。

 そんなのニセ教師だ。教育というのは、ただ知識を、価値判断を教えるものではない。そんなことはどうでもいい。子どもたちに必要なのは、「自分で考える力」「人間と事物の本質の見方」、つまりは「人生の本質」をどう考えるか、である。

 だからこそ価値判断を押しつけるのではなく、まず考える習慣、能力をつけていくことが大切なのである。
 竹の会の合格者は、自分を信頼する人が、竹の会を信頼して、成功した。それだけのことである。

 勝利の女神は予期しないときに降りてくる。よく災害は忘れた頃にやってくるというけれど、合格だって勉強に夢中で合格のことなんか忘れていた、そういうときに突然舞い降りてくる。合格したい、それは欲である。そういう欲が張ったときはものごとを冷静に判断することはできない。合格したいバイアスがかかった状態は試験には鬼門である。

 信頼するというのは、無欲になるということでもある。信頼が信頼こそが合格の鍵となる。

 

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