画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

抽象化能力を高めるのが、竹の会の指導の本来の目的

2022.04.22

 

 

◎抽象化能力を高めることこそ塾の使命

 表面が違って見えるものの、中身の共通性を見出す行為
 これを抽象化という。
 抽象化能力を高めるのが、竹の会の指導の本来の目的であ。
 子どもの能力を高めるとは、ほかならない、この抽象化能力を培うことにほかならない。
 表面が違って見える。だから違うものと考えてしまえば、それで終わりである。本質的に、同じことを聞いているのに、問題の事実が変われば、もう全く違う問題に見える。こういう子は、伸びないし、もともと受検など無理なのである。問題の中から、過去に学んだものと共通の事柄を見つける、この能力が必要なのである。だから、一度習ったことを、同じ注意を何十回も繰り返すような子は土台受検は無理なのである。
 こういう子は、とにかく中学になっても困らないように基礎を繰り返し教え込む、それ以上のことは望まない、のが、見識というものである。
 抽象化能力をどのように高めるのか、これが一つの問題である。
 分数、複雑な四則演算などは、ルールを知り、慣れることで操ることができるようになる。抽象的な思考開発の第一歩であると言っていい。
 私は、割合思考を最も有効な、抽象化能力を高める手段と考えている。割合という思考の抽象的枠組みを頭の中で反復繰り返す、その過程で、その仕組み、意味を悟れば、成功である。しかし、全ての子が、抽象的思考をものにできることはない。もって生まれたDNAから規定されることは仕方ない。芽がなければ、私は、軽い気持ちで、竹の会は、やめます、でいいのだと思う。東京に塾は竹の会だけではないのだから。わたしは、その方が、ずっと心が軽くなる、わたしはこの種のストレスから解放される心の軽さを知っている。
 私の指導が響く子だけ通えば、のだと思う。
 私は抽象化能力を高める、高めたい、それが、子どもたちにとって最も核心を突く能力開発になる、ということを私は知っている。成功するかどうか、これは一重に子どもたちが、どれだけ抽象化能力を高められるか、にかかる。
 だからこそ、ある程度の水準以上の子を選抜するしかないのだ。
 わたしの指導の意図するところは、常にそこにある。わたしの作るレジュメが、このことから離れたこと、忘れたことはない。
 わたしは、抽象的に思考を重ねることのできる、人材を求めている。そもそも竹の会の入会試験の趣旨はそこにあった。
 しかし、竹の会の選抜試験が、功を奏さない事例入会試験免除の事例入会試験不合格の子を体験指導としては仮入会(事実上退塾は無理)させた事例などが重なり、このような抽象化能力をもともと獲得することのない子たちの指導を余儀なくされてしまった。かつて指導困難な場合は退塾としてきた。だから受検生は多くても5人、中学でも多くて2人だった。
 ここは大いに反省しなければならない、と自戒もしている。

 都立中は、普通の子に無理です。俗に「呑み込みが悪い」とか、普通に説明しても理解できない、頭の中で整理できない子というのは、受検がそもそもが無理なのだと親は悟った方がいい、と思うのです。そういう親子に限って、小石川や桜修館などと言うものです。夢と現実が乖離していることに気づかない。いや小3とか、小4だと自分の力というものがわからないから、頑張れば「行ける」と思い込むのも無理はないのかもしれません。

 子どもには、親以上のDNAを期待しないことです。
 都立中は、8倍前後で争われる、熾烈な試験です。普通の子がどんなに頑張っても受かるはずがないのです。頑張って、どうにかなるのならそんなに落ちないでしょ。みんなそれぞれに頑張ってきたのです。落ちたのは決して自分の努力が足りなかったわけではない。自分の外にある原因で落ちたのです。だから自分を責めることもない。
 私について他塾のことを批判する、という人がいます。批判がなぜ悪いのか、私にはわかりません。東京には、さまざまな塾が溢れかえっています。私が批判するのは、大手や私の知らない塾から、竹の会を訪ねてきた子が、計算もできない、割合も理解していない、ということが、普通の事態たったからです。大手に、早くから1年も2年も通って、まともに計算もできない、割合の意味もわからない、ただ公式を振り回すだけ、そういう子ばかりをいやというほど見て来たからです。
 それでも私は開成や筑駒などの難関は、早稲アカ、サピックス、Z会などの得意とするところだと考えておりました。しかし、高校受験で、開成、筑駒に受からせるために指導するようになって、大手の内在的限界に気がつきました。なんだ、それなら大手に通う天才たちを打ち負かすのは、できると思ったのです。私は大手のテキストをいろいろ集めて、それが、過去問から作られていることを知りました。なんだ、これが、大手の売りのテキストなのか、過去問しかやってないなら、打ち崩すことができる、わたしはそう思いました。かつて私は青山学院高等部の女子を3年指導して、慶應大学に合格させたことがありました。大学入試の数学、英語、国語は、よく知っているつもりです。高校入試は、大学入試の縮尺です。だから、過去問ばかりやってる奴らは、私の指導で、牛蒡抜きにしてやる。わたしはそう思いました。駿台模試で1番を獲らせる、わたしは、そのために次々に手を打ってきました。
 私は、大手の限界・底を見ました。私なら勝てる、そう確信しました。
 私は大手の上を行く手を次から次に打ってきました。
 もはや難関高校は大手の専門なんかではない。竹の会は、難関にトップ合格させることができる。わたしは、竹の会を始めて日本一の高校を取り、最高を極めました。私は、開成、筑駒を取る技術を完成させたのです。もう、することはないかな、そろそろ店仕舞いかな、もういいかな、そういう心境になっているのがわかりました。思えば、昭和60年、1985年10月竹の会を立ち上げ、開成、筑駒を取る塾にするまでに随分と時間がかかってしまいました。竹の会のような小塾には、天才は来ない、だからわたしの腕を試す機会もほとんどない。天才は大手に集まる。だから竹の会を信用して難関を狙う子はいない。みな大手に行ってしまう。
 だから、私には、やり残した仕事があった、ずっと胸に秘めていた。塾という仕事を止めるまでに、開成、筑駒に合格させる、しかもトップで、それが終わらなければ私の仕事は終わらない。いつも私の胸に燻ってきたもの、私なら「こうやるのに」、胸に秘策はいつも温めていた。
 頂点を極めた今、ある種、私は抜け殻のようになっている。しかし、だからか、高校入試の全景、都立中高一貫校の全景が、手に取るように、わかる、見えて来た。
 さて、こらからどうするか、いつも考えている。

 

ページトップへ