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九九を知らない小2を3か月で難関私立の計算問題が解けるまでに育てた技術のこと

2020.01.01

2020年01月01日 快晴

 

九九を知らない小2を3か月で難関私立の計算問題が解けるまでに育てた技術のこと

 これからわたしの述べることは、最近の実際のわたしの指導についてのお話しです。決してわたしは虚偽や誇張を申しているわけではありません。
 わたしが、特にここ十年に限っても、竹の会に面談に来た小6、小5について、怒りをさえ覚えたこと、それは、五年間、六年間と小学校に通い、中には、小3、小4の一年、二年間、大手塾を始めとした、様々な塾に通っていた子たちもいましたが、君たちはいったい何を勉強してきたんだい、と思わず発したくなる、酷い学力だったからです。面談に来た小5に、小数の計算をやらせてみると、九九を間違える、繰り上がりを間違える、小数点の位置が出鱈目、とたいていそうでした。小数の割り算ができない者、分数ができると言うので簡単な分数の計算を解かせて見ると、めちゃくちゃな計算をしている。いやわたしは世間の塾に呆れるし、親の無責任にも呆れる。あなたたちは、いったい何をしてきたのですのか、と怒りと哀れみの混じり合った、複雑なおもいが、こみ上げてきたものです。

 東京の親には、二種類があります。とにかく塾に入れる親、その中のほとんどは大手がいいと考えている。竹の会なんか歯牙にも掛けない人たちです、もう一つは、塾にやるとかの考えははなからない親たちである。それは経済的に家庭が許さないと諦めている人たちか、そもそもそこまで教育に関心がない人たちなのかと思います。いやそういう家庭の中には、よくできる子どもがいて、親は塾などに払うカネがもったいないと考えている親もいるかもしれません。ただわたしの経験から学校でよくできるとされる優等生にしても、この程度で優等生と言われるのかと言った思いでした。
 これまでこんな状態で、塾にやるとかの手当てもしないで、よく放置してきたものだとか、相変わらずなんとまあ大手の好きな人たちなことかとか、よくできると安心して塾にやらなかったことの代償の大きさとか、わたしの中では親たちへの失望が渦巻いていたと思います。
 そういう子たちの一部をわたしは入会試験というフィルターを通して受け入れてきました。もっと早くきて欲しかったという思いはありましたが、遅ればせながら竹の会を選んでくれた親や子たちには感謝しましたし、それならそれで精一杯指導してみよう、間に合うかどうか内心はかなり否定的であったけれど全力をかけて指導はしました。その結果わかったことは、小5の9月に来た子が成功するのは、その子の知能が高いときに限られること、成功確率の高いのは、小4の4月前後から来た子たちだったということでした。習い事などの影響の少ない、勉強最優先でやってきた子ほど成功するということもわかっております。
 そもそも公立中高一貫校を受けようという子やその家庭の意識が、あまりにも低レベルだということもあるかと思います。要するに、舐めているわけです。それまでやってきた習い事、稽古事、サッカーなどの体育をこれまで通りに続けながらでも、塾に行けば受かるだろうという、なんとも軽い認識です。こういう子、親たちには、何を説いても無駄です。大手でもなんでも通って好きにやればいいのです。わたしの知ったことではありません。
 本来、わたしの関心は、小4前後から、竹の会の入会試験をクリアした子を指導することにありました。しかし、何年か前に、たまたま小3の子を一人ですが、見る機会がありました。この子に小数の計算、分数の計算を訓練したら、意外とうまくいった。ちなみにこの子はその後大手に行きました。しかし、また別の小3でしたが、こちらはなかなかしくみを理解できずに一月で消えた。だからわたしは小3早期からの指導にはかなり躊躇がありました。幼すぎるからです。まだ竹の会の指導は無理なのではないか、と思ってきたのです。
 ただわたしは小4の指導をする中から一つの指導の型というものに気づき始めていたのです。その型は最初は漠然とした、定まらないが、こうやればうまくいくといった程度のものでした。実践と反応、フィードバック、さらなる実践、こういう指導の積み重ねが、私の中に、指導の一つ核を形成し、そこから一つの型が次第に出来上がってきたのだと思います。小学低学年からの指導の必要性は私も早くから自覚してきましたが、私の中に具体的な方法ができていなかった。それは過去にたまたま指導した小3の指導で苦い思いをしたことが私をして消極的にしたのだと思います。じっと机について指示したことを集中してやれない、そもそも勉強が嫌で仕方ない、そういう子たちに最初に出会ったことがわたしに低学年の指導は無理だという意識を強固なものにしたのだと思います。わたしは、小4の指導を通して、小3でも、小2でも、その子に未開花ながら潜在する能力さえあれば、指導が可能であると思うようになってきた。問題は、未開花な脳をどう発掘するか、であったが、幸いにもわたしの製作した入会試験の一部がその能力発掘に有効であることがわかってきたのです。
 いくら能力の断片を認めても、その埋もれる能力を引き出し、導いていくのは、正直不安に満ちた船出であった。九九もまだあやふやな小2に九九を訓練し、整数のかけ算からまず訓練していく。ここで成否がわかれるのは、当該のその子が、言われたことをきちんとやってくれるか、その点に尽きる。なかなか取りかからない、一つやったらもう飽きてしまう、家庭でやってくるということがない、長続きしない、そういう子はたいてい能力も低いということである。だから言われたことを黙ってやる、そういう子だけが実は指導可能な能力があったということになる。勉強というのは、結局長続きする子しか伸びていかない。これが学年に関係ない真理なのであるから。
 こうして、わたしは、3か月で、整数のかけ算から始めた小2に難関中学の計算問題を解けるまでに仕立て上げたのである。一口に計算と言うけれど、竹の会で計算をマスターしたというのは、逆算を含めた、小数、分数混合の、大カッコまで使った四則混合演算を解くことができるということを意味しているのである。竹の会は、3か月で計算の達人に仕上げて、そこから一年かけて割合という概念を通して様々な算数の考え方を思考様式として定着させていくのである。
 竹の会は、思考養成のプロであり、竹の会の出身者が、小石川や桜修館に合格した後、つまり入学後、なんとトップ層、10番以内にいることは、不思議なことではない。竹の会にして見れば、徹底して思考を鍛えてきた子たちが、トップに立つことは想定していたことでしかない。実際にそういう報告が竹の会にもたらされるのもわたしにはなんの不思議はないことであったのだが、とは言っても嬉しいものではある。

渋谷教室移転のときに、大半の書籍を処分してきたのですが、またあっという間に増えてしまいました。

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 下 最近読んだ本

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空気清浄機導入しました!

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