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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷/小石川/桜修館/九段/勉強の本質を悟らないバカ親の増殖

2018.06.22

 

🔵自分流にやるから失敗する

 高校受験を失敗する子は必ず自分流でやって勝手に落ちて行った。わたしはそう思っている。 自分流とは、自分のやりかたを優先する、裏から言えば、わたしの指示に従わない、そういうことである。 わたしの言う通りにやらない、だから落ちた。 わたしの指示を親が妨害する、だから落ちた。 レジュメを渡すのは、まずやりなさい、相当時間経ったら出しなさい、そういうことです。ところが、なかなか出してこない。中学生だと、勝手に勉強している。わたしの指示はどこかに消えて何をやるのか、どうやるのか、すべて自分で決めている。こうなったら、もうどうなるか、わたしには見えている。 落ちることはわかっている。 勝手にやるから落ちる。 何をするにも、わたしの指示を仰がなければならなかったのだ。26年都立駒場合格者、27年戸山合格者、28年戸山合格者、この子たちが成功したのは、決して自分流でやらなかったからだ。必ず何をやるにも指示を仰いできた。 「先生、次何やったらいいですか」、いつもこのセリフが行き交っていた。いつも何をすればいいか聞いてきた。 勝手にやるな、は竹の会で、成功するための、絶対原則であった。

 ところで、いつも遅れてきて、やがて熟睡という中学生が、退塾して、久しいが、彼の退塾が遅れたのは、成績がよかったから。しかし、そういう態度というのは、そもそも指示をやらないということで、お話しにならない。竹の会が優秀な子に想定して実施するプログラムは悉く頓挫していったのであり、退塾は時間の問題ではあったのだ。 指示を守らない、やらないというとき、母親の妨害が原因という例が最近多い。昨今は受験情報にやたら詳しい母親というのがいて、わたしの指示を仰がないどころか、勝手にいろいろ進める。自分勝手にやるのだ。次に何をやるかを母親が指示している。もちろんわたしの指示を無視するわけだはなく、それを含めて、何をやるかの優先順位を母親主導で決めていくのである。しかし、悲しいかな、受験直前の危険を感じ取る能力に欠けるがために、指示を誤る。竹の会を舐めてはいけない。受験直前こそ竹の会の神指導が冴えるときである。それは、高校受験の何たるかを知り抜いた者のみが感じ取ることのできる神の感覚なのである。そこから出す指示がこれまでどれだけ多くの受験生を救ってきたことか。何も知らない母親が成功し、雑情報に振り回される母親が失敗する。これも受験の真実である。 ついでに言えば、習い事、稽古事、体育会系活動、すべて自分流判断を優先させているのだということを忘れてはなるまい。少なくとも、合格を考えるなら、わたしは、そういうものを勉強に、わたしの指示に、優先させるべきこととは、思わない。 わたしは、ある段階への到達を想定して、次はこれという指示を出している。その時、わたしの計画を中断させる、先送りさせる力がはたらく。家庭の事情というやつである。法事という長期帰省、何よりも絶対優先の帰省、お盆という帰省、年末帰省、発表会、大会、昇段試験、試合、いや結構なことです。ただわたしの指示は消えてしまい、したがってわたしの見通しはなくなり、後手後手の泥縄策しかなくなる。ただそれだけのことでして、後は、試験まで、頑張れ、頑張ります、という掛け声だけが虚しく残るだけです。これが真実です。 わたしの打つ手を悉く流した家庭、母親、当人に、すでにわたしに策はない。本能寺の変、蘭丸が信長に指示を仰ぐ。「殿、陣立てを」。信長曰く、「ない」。 親が竹の会の牙を抜く構造は昔も今も変わらない。 成功する人、した人に、一致しているのは、常に、指示を仰ぐ姿勢であり、指示をただ実行する姿勢である。 中学生で失敗するのは、もう指示とは関係なく、自分で勉強を進めることです。わたしが何を勉強しているのか、全くわからない状況です。いつからZ会の通信を受けていたのかは知りませんが、わたしのレジュメを全く出さなくなったのは、中1の終わり頃だったと思います。レジュメが返ってこない、何か自分で調達したのであろう、塾で参考書をやる、こういうことをやっていて、中3の夏、最初の模擬で、信じられない学力、ドン底の学力を露呈してしまう。末路はたいていこうなる。 わたしは指導を任されたら、その子に処方箋(指示)を出して実行させる。処方箋は一定の見通しのもとに、達成段階を微細に診て、出す。次の処方箋、次の処方箋と出していく。ところが、わたしの処方箋は度々実行されないままに無に帰する。家庭の事情が、邪魔をする。わたしの指導計画は、いつも家庭の事情とやらで、リセットされる。わたしの邪魔をしているのは、常に、家庭の事情である。 竹の会にそぐわないのは、竹の会の期待する勉強姿勢像からかけ離れていることである。もちろんこれには程度がある。だからどこまでわたしが、わたしの許容限界にあると判断するかではある。 これはもうわたしのコントロールの外にある、明らかに外にある、と判断すれば、退塾を通告するしかない。 親のさまざまな要望が、わたしの指導の妨害になることもある。要望はかつてはクレームに近いものが多く、これがかなりのストレスになったこともあった。なにしろわたしの思うように指導できないのだから。たいていは決裂して退塾を通告する。わたしの我慢の限界をはるかに超えたということだ。昔の親は、退塾してくれ、と言うと、何時間でも、夜中にでも、電話してきて「子どもがやめたくない」と言っている」と往生際が悪かった。 三十年以上の竹の会の歴史の裏には常にこうした、わたしから見れば異常な親とのやりとりの歴史が、あった、クレームを言う父親、モンスター母親というのにも何度か遭遇した。正直、指導妨害どころではない。わたしの生活をさえもかき乱して、突然現れて、突然消えていった。消えていったのは、竹の会は私塾てあり、学校のように気長に付き合うことはないからだ。

 

 

 

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