2018.07.21
お早うございます。渋谷Bの7月の指導は昨日で終わりまして、明日の渋谷Aの指導を最後に、竹の会は約1週間の夏期休業に入ります。8月の集中指導までの1週間、みなさまにはそれぞれにご計画がおありになろうかと思いますが、子どもたちが元気な姿を見せてくれるように心より願うばかりです。
⭕️竹の会という、偶然との、出会い
竹の会は、たまたま生まれて、たまたま終わる、 塾の異端として、1985年という、まだ代ゼミ、河合塾、駿台が、隆盛を極めていた頃、少子化が、深刻化する前夜、渋谷、元代々木の何の変哲もないマンションの一室に、その産声を上げました。あの時、わたしが持っていたもの、開成と武蔵の過去問集のみでした。たまたま手に入った代々木中2年の名簿があり、ガリ版刷りで、手作りはがきのDMを作って出しました。まだ世の中は牧歌的でしたね。今のように親たちが受験ですれていなかった。今みたいに、個人情報がどうのと騒ぐ親はまだいなかった。あんなはがきなのにすぐに代々木中2年のお母さんから問い合わせがありました、仲良し三人組の女子が通うことになりました。なにしろ東京で塾を開くなど初めてのことで、これまで家庭教師しか経験はありませんでしたから、今考えても何で来たのかわからない。確か、長机が2つと、パイプイスが数個あっただけ。まだ照明らしい照明もない部屋で、私たちは面談したのです。2時間ほど話したろうか。翌日だったかな、二日後だったかな、「お願いします」と電話があり、竹の会は、その年の10月から、スタートすることになった。最初は、教科書使って、授業した。なにしろわたしは何ももっていなかったのだから。中学の教科書に目を通したり、参考書を調べたりした。この授業が評判になり、口コミでたちまちいっぱいになった。それでクラスを分けて、何クラスか、作った。たちまち一週間が、埋まってしまう。当時は、とにかくすべて授業、 どんなことでも説明する自信があった。どんなバカでも説明で理解させられると信じてた。まだ何も知らない、可能性を信じ、子どもを信じる、情熱だけが、熱く燃えていた、青いわたしでした。とにかく、わかりやすい、授業だけをと考えていたあの頃、どんなにできなくても、なんとかなる、と信じていたあの頃、熱心な先生がいる、そんな評判が たった。入会申し込みが殺到した。わたしの竹の会の苦悩の始まりであった。様々なモンスターな親たちからの凄まじい洗礼が持ち受けているとも知らずに。
わたしの授業が届かない子らがいた。世の中には救えない子がいる。そういう子の親ほど塾に期待する。 過去問を解き、高校数学、高校英語を深める。特に、わたしは、オリジナルの解答を創ることにはこだわった。ある時から、竹の会の数学、英語テキストの制作、完成に没頭した。受験は、過去問合格法。迷わず、これを駆使した。徹底した。わたしの過去問合格法。首都圏の高校入試の過去問。過去問20年以上に遡って解き尽くした。わたしだからこそできた、究極の方法。慶應、早稲田、開成、武蔵、海城、巣鴨と、とにかく解き尽くした。数学、英語、国語を解き尽くした。そうしたら、見えてきた。わたしには見えてきた。過去問の使い方、それはわたしだけができる、指導の妙。 これまで様々な知能段階の子を教えてきた。わたしは、バカを教えるのは、もういいかな、ミリ単位で引き上げる仕事に疲れてきた。渋谷教室になった時、入会試験で、選別した。無名の小塾が、烏滸がましい話しだが、それで生徒が集まらなければ、廃業するだけのこと、そう腹を決めていた。
悩ましいこともある、救済のつもりで、作った仮合格、伸びることもあるが、伸びないことの方が多い。さて、困った。すっかり竹の会に心酔してしまった子どもたち、いや親御さんも含めて竹の会への信頼の厚さを実感した。ここで指導困難ということで、正直退塾というのが、筋なのだが、さて、困った。ただ勉強熱心な間は、流石に退塾にはできまい。 他所の塾よりは「いい」というだけで、進捗もないのに居続けるのは、さすがに抵抗がある。 この点は、親御さんが、子どもを見ればわかることです。伸びているかどうか、そこを見てほしい。それで頭打ちなら、止めるしかないじゃないですか。 竹の会はそういう意味の神塾ではないのだから。わたしには、退塾の労を取るのがかなりのストレスとなる。ただあまりにも目に余ると我慢できずに、本人に告げる。ストレートに告げる。親の反応は様々で、わたしの意図通りに退塾することもありますが、抵抗もある。 とにかく進捗なし、指導が暗礁に乗り上げるというのは、わたしにはかなりのストレスで、それが証拠に退塾するとスーッと体が楽になる。体調が良くなる。これがわかっているから、 退塾してもらうことはわたしの健康管理でもある。
〇 %の闇
「濃度4%の食塩水400gの20%を取り出して」という問題がありました。これだけで、仮合格レベルの子は、もう混乱してしまう。濃度4%が、食塩水400gを元にした食塩の割合、20%が、食塩水400gを元にした取り出した食塩水の割合、その区別ができないのです。そもそもの%というのが、呪文のように、思考を停止させている。%というのは、元にする量が、違えば、違う。この当たり前の論理が理解できない。こういうレベルの子が将来都立中に合格できるか、と言えば、望み薄である。これが真実である。わたしは期待させることなど言わない。ところが、親はそういうことには、耳を貸さない。
突然受検したい、と言いだすのは、たいてい小5の夏頃あたりから。たまに小6の夏以降というのもいる。親はそれならと動き出すが、遅すぎる。いろいろな意味で遅い。それまで何をしていたのか、勉強の基本などまず期待できない。基本だけでどれだけ時間がかかると思っているのか。親の認識もかなり甘々。まあ、わたしはこういうのには、取り合わないことにしている。いずれ失敗するのが見えてるからだ。
竹の会は、本当に細々と生きながらえて来た。元代々木教室の27年間、どれだけの塾が生まれては消えていったことだろうか。あれほど隆盛を極めた地元の中規模塾もいつしか姿を消していった。竹の会は、何度も消滅の危機にあいながら、その時々に熱心な親御さん、子供たちに救われて来ました。でも、流石に原発事故のあった年はめげました。いやそれよりも公立中学の学力不振、都立高校のレベル低下、深刻な都心部の少子化、そういう激動期にあって竹の会は行く道を見失いつつあったのです。元代々木の教室27年で竹の会は廃業かな、そう覚悟したものでした。 わたしの夢半ばで竹の会は終わろうとしていた。 なんとも不便な地でよく頑張ってきた、と思います。渋谷駅そばなら違っただろうに、わたしの思いを理解してくれる親御さんは必ずいるだろうに、と嘆いたこともよくありました。 竹の会を、わたしの指導の力を知らずに、多くの人々が、過ぎていった。わたしを知らない、知ろうともしない、ここに本物の先生がいるのに、とよく思ったけど、世間の親はあたりまえだけど見向きもしなかった。 渋谷教室は、わたしの、最後の夢でした。もう最後だから自分の思いどおりにやりたい。それでだめなら、潔く廃業しよう、そう決めていました。地元密着塾ではない 23区から集めるんだ、入会試験をやるんだ、もうバカの相手はいい、集まらなければ、やめる、それでいい、最後なのだから、わたしの最後の夢、竹の会を「生きる」、生き抜いて終わろう。全生活を子どもたちの指導に尽くそう。わたしは、渋谷教室、東京23区の皆さんが、竹の会を目に止めてくれるなら、こんな嬉しいことはない。もう後何年もないと思う。もしかしたら、今年終わるかもしれない。それほどわたしは年齢的な限界に直面しています。だから精一杯尽くしたい。いつか別れがくるだろう。もういいか、わたしは精一杯がんばったよ、竹の会、さようなら、そう言う日がくるだろう。その日まで、竹の会と生きていかなければ、だってわたしにはまだまだやることがある。子どもたちが独り立ちできる、思考の芽を出せずにもがいている、都立中に入りたいと真摯に希う子どもたちがいる、勉強ができることを願う子たちがいる、高校受験にかける子たちがいる、 公立中高一貫校をめざす子たちがいる。
平成17年だったか、初めて白鷗だったか、受けたいという子がいた。わたしにはピンとこなかった。平成18年の4月、九段に行きたいという父子が来た。わたしに確たる策はなく、過去問合格法で指導してみようと漠然と考えた。あの時は、東大附属に行きたいという姉妹もきて、小学生は3人もいた。なにしろ普段から小学生はいなくて。そしてみんな受かった。わたしには過去問合格法しかない。ちょうどあの頃は、高校受験のためのレジュメ化を進めていた。過去問合格法からの脱皮を意図した一大計画であった。20年に都立西、豊島丘女子合格、20年あたりから小学生指導の研究を本格化させた。20年、21年、22年と今のレジュメの原型制作に没頭する。開眼したのは、24年制作開始の「竹の会入会テスト1類」「合格答案への道」「算数をクリアーにする」、この3部作の制作に全生活を投入した。微に入り細に入り、精細精緻な作品を制作することに情熱を燃やした。25年、小石川、白鷗、桜修館に、あの3部作だけで合格した。初めて過去問合格法なしに合格した。竹の会レジュメ指導の完成であった。さらに竹の会は、都立中指導から多くの稔りある成果を得た。小学生指導体系の型が次第にでき上がっていっのである。
高校受験は、相変わらず、強く、25年北園、25年駒場、27年戸山、28年戸山と合格した。わたしには合格に持っていく 合格の型があった。特得意な型である。わたしのスタイルに100%従えば必ず合格させられると確信があった。事実、わたしの指示を100%遵守すれば必ず合格ししいった。
中学生に必ずいる、自分勝手にやる子、レジュメをやらない、出さない、市販参考書をやる、こういう子は、破滅していった。必然的な破滅である。竹の会に来ているのに、指導から距離を置く、意味分からん。 総じて、レジュメを理解できない子はダメ、来てもダメ。 これは小学生も同じ。 ただ小4のように、これから能力開発というのとは自ずと異なる。中学生のようにすでに固まってしまったものを指導するというのは正直無理である。実は、中学で成功する子と破滅する子の差は、素直に指示に従うかどうかにある。破滅型の子は必ず自分勝手である。自分の裁量で市販の参考書なんかを塾でやる、レジュメをやらない、竹の会に入ったことの意味、というか塾、予備校に通うということの意味を完全に曲解している。将来、大学受験で、あるいは国家資格を取るために、予備校に行くことがあるかもしれない。その時にこういう人というのは、折角予備校に行きながら、自分勝手にやる、予備校の教材だけ手に入れる、という自分流の変則をやる。結局早く受かるのは真面目に律儀に予備校の先生に素直に従っていた人ということになっている。与えられたものに全力を尽くすこと、これである。受験というのは、素直な人が成功する。
親がしゃしゃり出て、かき回すというのが、小学でも中学でもいる。何かと塾を批判論評し、喧しい。サピックスはどうだとか、早稲アカはどうだとか、希学園はどうだとか、あそこは講師が東大だとか、とにかくやたら詳しくて頭の中はそういう下らん知識というか、ガセ情報で埋まっている。ガセなのはすべてママ友間のネットワークや塾訪問しての聞き取り、つまり、実際に自分が確かめたわけではない。誰かが言っただけ。根拠を示さないで言っただけ。たいていこういうバカな母親、たまには父親は、我が子を振り回して、ダメにして終わることになっている。 実際にやるのと、他人のやるのを高みから批判するのとでは、全く局面が異なる。 こういうバカ親というのは、肝心なことを忘れている、というか抜け落ちている。表層的なことばかりに目がいって、肝心の子の実力をどうつけるか、ということが、全く抜け落ちている。要するに、アホなのである。子どもというのは、教育方針が、日替わり定食のように、ブレまくっていたら、絶対に力はつかない。だいたいこういうバカ親は自分の子を方法で弄ぶ。方法論ばかり言っている。そしてバカの真骨頂なのは、何か目新しい、斬新な、そういう方法ばかりをありがたがる。そうすると子どもは、普通の方法、ありきたりの方法、地味にコツコツやる勉強というのをバカにするようになる。飽き足らなくなる。親はいつも飽きの来ない方法を探しては子に与えることになる。子は自分で地味に考えことができなくなる。だれかが環境を満たしてくれると信じている。勉強というのは孤独で、単調な仕事であり、ただ黙々と自分で切り拓いていくものであるという、その本質を悟らない。こういうバカ親が、高学歴というと、意味のない自負を纏った親になる。こういうのが、溢れているのが、受験の世界である。 竹の会はこういうバカ親を徹頭徹尾忌避してきた。こういう親は、必ず自分の子の優秀性を語ることで、共通した性癖がある。子ども自慢、孫自慢のジジババとレベルは変わらない。昔、中学の頃、近くの温泉に行けば、必ずだれかれと相手に息子自慢するおやじがいて、「今の子はダメだ、英霊という言葉も知らない、うちの息子は東大出て今課長補佐になっている」これを見るたびに、たまたまいたどこやらのおっさんに世間話しの体でやっている。全くこれしか回路がないようで、辟易としてしまう。自分の今は没してない。アホに気づかないのが哀れでした。昨今のバカ親もこのアホな年寄りと変わらない、息子自慢、娘自慢というところでは。
小6の勉強時間の少なさに絶句しています。最近勉強時間の記録表を配布して、提出してもらっていますが、呆れるほど勉強時間が少ない。学校も塾も休みの日に1時間というのはどういうことなのか。それから全くスルーする子もいますが、勉強時間を隠す、いやしていないことを報告するのが嫌なのでしょうね。 要するに、していない。去年の小6も、初めは、かなりの合格を見込んでいたけれど、勉強時間が足りなくて、次第に失望に変わっていった。期待されている今年の小6も雲行きが怪しくなってきた。勉強時間があまりにも少ないのだ。 例えば、今年桜修館に合格した女子のこと、あるい、27年に桜修館に合格したTさんのこと、を思い出して見て、あまりにもの勉強スタンスのないこと、姿勢の脆弱なことを思い合せると、暗澹たる思いに駆られる。
竹の会の小5の子らも育ってきたのかな。わたしがどこまで持つかわからないけれど、いい子に育ってきた。小5の子らの時にも、元気でいられたらいいな、と思うようになってきた。
子どもたちが竹の会をわたしのことをどう思っているのか知りませんが、突然こういう手紙をもらいますと、なにかわたしの気持ちが通じてたみたいでとてもうれしいですね。
🔵瞬間で技を写し取る
対策の本義は、敵と全く同じ技を返すこと、にある。 剣の奥義に、相手の技を刀と刀が触れた瞬間に写し取り、瞬間に同じ技を返すというのがあるらしい。ほんとかな? それはともかく敵の技をそのまま写し取るのは、実は勉強の本義に通じる、かなりに有効な対策であると考えられる。この奥義、瞬間というのが、一つのポイントになる。一瞬で読み取る。柔道なら、背負いにきたら、一瞬で、逆背負いをかける。内股透かしというのも、同じ発想かな。透かしという言葉がいい。見透かす、問題に対して一瞬で見透かす。 試験というのは、一瞬で決まる。一瞬で見透かすかである。初見で、見透かせば必ず解ける。見えなければ、落ちる。これが試験である。 試験というのは、一瞬で決まる。 あっ、何のこと言ってるか、わかる、わからない、これで決まる。落ちる人というのは、最後まで、これがわからない。だからできないこともわかっていない。なにか書いてきてそれでできた気になっている。 だから、試験というのは、問題見た瞬間にわかるか、である。 だったら、普段は、何を勉強すればいいのか、である。ここから受験勉強のありかたというものが見えてくる。問題を理解する、読み取ることにすべてをかける、そういう訓練を積み重ねることである。ところが頭のいい子も悪い子も「問題の意味がわかりません」などと言ってくる。こういうのは落ちる前兆でしかない。試験というのは、初見勝負である。一瞬で見透かした者が受かる。だったら一瞬で意味を読み取る訓練に明け暮れることである。