2021.09.30
◎真実は裏から見ないとわからない
北京オリンピックのとき、スラムは塀で見えないようにしている報道写真を見たことがある。裏から見れば一目瞭然というのがあからさまであった。
私たちが、算数の問題に立ち向かうとき、実は同じようなことが仕掛けられている。入試問題は、選抜のために作られる。そこが学習者に理解してもらうために作られる例題、基本問題と違うところである。選抜問題は、特に偏差値が高いほど、裏が見えないように高い塀が建てられている。通常算数では裏に回って裏を見るということはできない仕掛けになっている。私たちは、算数では、塀を一つ一つ外していく、という作業をすることになる。与えられた情報が極端に少ないというときは、私たちは、知恵を働かせて裏の状態を読み取ることをする。面積図やダイヤグラムは少ない情報だけで視覚的に裏の状態を可視化してくれる。
情報が必要十分なら、図は要らないか?
情報が十分なら私たちは「定義」を軸にもつれた糸を解きほぐしていくであろう。しかし、わたしは、どのような問題でもまず図をかいて考えるという癖をつけることが大切なのであろう、と思う。選抜問題の提示する事実を時系列で整理するのは基本かと思う。時系列だけで把握しきれないときは、二次元世界で見る。具体的には、ダイヤグラムや面積図である。
かつて大学入試の問題でベクトルの問題を考えるとき、空間のベクトルの問題があったが、こらは空間座標で考える。三次元的思考ということである。
このブログでも触れた「50点病」については、長い間高校入試の指導をやってきて昭和60年から平成15年の間はそういう子がごく普通にいた。それはそうであろう。当時の親は中3になったらそろそろ塾にでもやろうか、といったレベルの親が多かったから。私は中3になってようやく塾に来たという子たちを様々な高校に合格させてきた。
50点病は特に英語においては不治の病とされた。英語という科目が一朝一夕に成せる科目ではないという、英語の性質が大きかった。三年間コツコツ休まず努力して成せる科目だからだ。
わたしは、50点病に感染、発症しないように、英語を竹の会独自の体系でまとめ上げていった。この病気に罹らないためには、早くに受験レベルの英語を仕上げることである。わたしは中学の英語を一冊のテキストにまとめ上げた。「新英語指導案」である。その上で、竹の会の英語の完成を五文型思考のマスターにおいた。英文を徹底して五文型の目で見ること、これである。五文型思考は、英文の骨格を見抜き、「かかり」の関係を看破することでもある。
かかりとは、例えば、この句は動詞にかかるのか、名詞にかかるのか、という話しである。古文では、係り結びの法則というものがあるが、もちろん国語でも、この修飾句はどの体言にかかるのか、用言にかかるのか、という問題は普通にある。
英語もこのかかりの関係を的確に押さえていかなければならない。
複雑極まりない、この英文の主語は何か、この主語を受ける動詞は何か、この動詞は自動詞か他動詞か、他動詞なら目的語はどれか、目的語は一つか二つか、補語のある英文なのか、だとしたら第二か、第五か、第五の補語なら、補語のバリエーションは何か、形容詞節、名詞節、副詞節の係り方、そもそも形容詞と副詞の働きの違いは何なのか、五文型思考とは、このような識別を的確にやってのけることをいう。
英文解釈の練習をするのは、都合この五文型思考を磨くためである。
50点病に罹る子たちは、五文型というワクチン接種に失敗した子たちである。
竹の会では、とにかく早く早く前倒しで進めなければならない。まだ小3だから、小4だからといろいろ見送ると取り返しのつかないことに必ずなる。小2に来た子たちが今小4で割合中級、上級に到達している、というのはそのことを証明する。竹の会では小5に来ても小6に来ても、特に大手にいたということが何の役にも立たなく、割合の初歩の初歩からスタートするしかないというのが現実である。あなたたちは大手で今の今までいったい何をしていたのですか、と言いたくなります。
いいですか。子どもが一人前の思考者になるのは並大抵のことではない。いずれ自己の殻を打ち破らなければならない。よちよち歩きのままに手取り足取りの介護状態で高学年を、はたまた中学後半を迎えてはならない。
中学は、とにかく早く早く前倒しで、進めなければ必ず50点病に襲われる。勉強は生存競争である。他人のことなど思いやっている余裕はだれにもない。勝ち抜くためにはありとあらゆる機会を無下にしてはならない。わたしは必死に勉強する子にのみ手を差しのべたい。