2018.02.17
おはようございます。昨日はうっすらと雲がかかっておりましたが、今日は、また青空が戻ってましりました。心なしかやや暖かくなってきたような気もしますが、油断をするとすぐに風邪をひきそうな、かなりの低温であることは変わっておりません。まだ寒冷が軸足ですね。体を冷やさないようにと注意しております。インフルエンザを発症したというご家庭の話しも伝わってきます。都立入試も目前に迫り、正直心からくつろげない日が続いております。今年は、受験生1名のみです。結局そうなりました。中学生というのは、3年間竹の会に「いる」ということが難しいものです。勉強しなくなるからです。最近も居眠りしかしていなかった中2がいたのですが、正直ストレでしたが、自主的に身を引いてくれました。秀才でしたが関係ないですね。勉強しない子というのは頭がよくても悪くても塾ではストレス以外の何ものでもないですね。中学生については、指導時間中にいつも居眠りしているとか、いろいろと休む機会が増えてきたというときは、早めに自主的に退塾をしてほしいと思っております。塾で宿題をやる、なにかわたしのわからない勉強をしている、まんがをかくなど勉強していない、こういう常態の場合即刻退塾してほしい。わたしはストレスをもって中学生を指導すること、そういう無理をしてまで中学生指導はしたくありません。
竹の会で都立高校というとき、23区では、日比谷、西、戸山、青山、新宿、小山台、駒場の7校を念頭に置いております。竹の会では、日比谷のみ過去に受験者がありません。これはかつては学区制限のため受験がそもそも不可能であったということがあります。今は東京都に住んでいればどこからでも受験できるようになりました。7校のうち小山台と駒場のみが、共通問題です。他の5校は、英数国について独自問題を出します。当然共通問題よりも難度が高くなりますから、内申がよくても実力のともなわない生徒には無理です。逆に、内申が少し足りなくても能力の高い生徒にはチャンスがあります。共通問題校は、内申がなければ無理です。共通問題は優等生のほとんどが高得点をとるので、結局内申が高い方が有利になるからです。
竹の会は、上記7校を志望する生徒のみの指導を想定しております。これは必然「勉強する」中学生を前提としておりまして、ともすれば勉強しなくなる中学生の実態を熟知しているから、そういう中学生は絶対に相手にしたくないというわたしの強い意思の表れでもあります。したがいまして上記7校を受験できないほどの学力・能力の中学生は竹の会への入会を希望するべきではないし、また現塾生についても、この要件に及ばなければ早めの退塾をお願いすることになろうかと思います。
また現在特に新規塾生を募集するなどの広報はしておりませんが、もし、竹の会に入会したとしても、入会後2、3か月は試験期間として、ようすを見ることになります。大手経験の長い子というのは、大手特有の、わたしから見れば指導しにくい癖がついておりまして指導困難なことが多い、ということがあります。あるいは入会試験では、わからなかった指導を困難にする事情、特に、能力的に無理だった、ということが入会後1、2か月もすればつまびらかになります。要するに、わたしの思惑通りに進捗しないという事態が生ずる場合には、退塾を願うことがある、ということです。竹の会は、確かに、学習不振児にもかなりの効果を発揮する指導をしております。わたしの指導にかかれば、たいていの子は、基本的な学力を身につけるはずです。ただ多少は時間はかかるとは思いますが。そのへんのそうした子を専門にする塾よりはよほどいいことも確かでしょう。しかし、そういう子の指導は、少なくとも今の竹の会の仕事ではないと思っております。わたしには残された時間はそれほどない、だから今は見込みのある逸材の指導に専念したい、こう考えています。
入会試験は、いつでもご希望がありましたら、受検可能です。ただ竹の会の入会試験は、小4早期に逸材を発掘することに主眼をおいたものです。また入会試験受検者については、通知表の8割が「よくできる」であることを想定しております。これはこのブログでも再三指摘しておりますが、どうしたことか、「よくできる」が5割前後で申し込まれる方が非常に多い。5割前後だからこそ悩まれということなのでしょう。しか、そういう子はたいていは落ちるのですが、仮合格にしてようすを見ようということもたまにあります。ただこれは一応入会は認めても、通知表5割前後だと、指導が順調に進められないことが普通にある、実は、今そういう子たちが何人かいます。仮合格だと指導に支障がでることが多い、手がかかるということです。先ほども申し上げましたように、竹の会はもうわたしの年齢にともなう体力的事情もありまして、そう長くは続けられないだろうと思っております。ですから、成績不振児を気長に導いていくというようなことはできなくなっております。それが入会後2、3か月を試験期間とする主旨です。仮合格、小3では簡単な試験で入会を認めるかわりに、試験指導期間を設けて、ダメなら退塾をお願いするという主旨です。
◎わたしの合格の手順どおりに進められたのは1人しかいなかった
不合格になった子というのは、たびたびわたしを失望させてきたと思います。失望の頻度が多い子ほどやはり合格からは遠かったようです。平成28年に小石川合格者がいましたが、実は、あの年は4名が小石川合格圏内にいた。しかし、合格したのは1人だけでした。前年の夏休みには、1日7時間以上の勉強をと希望しましたが、このときこれを実行したのが、合格した、1名だけだったのは、受検に失敗する子というものを象徴的に示していたと思っています。失敗する子というのは、「やらない」のです。親がまたそれを追認するところがあるのも共通してます。去年の話しですが、どうしても課題を出してこない子がいて、「どうして課題を出さないのか」と詰問したことがありましたが、わかったことは「やらない」という強い意思だけは固いということでした。しかし、塾は休まないでやってくる。きたらきちんと勉強もやる、不思議な子たち(そういう子が複数いたということです)でした。指導レジュメを大量に積み残していた子の中にはそのことに関して気にはしていたようですが、だからといってその「やらない」という姿勢は変わりませんでした。家庭での勉強がなかったのか、わたしにはそうとしか思えません。前回の指導でやり残したレジュメの続きをやっていたからです。
例えば、その日の指導で課したレジュメをとうとう「わからない」からという理由で出さないままに終わる、すると次の指導日までにやってくればと思うのですが、なぜか必ず前回の続きからやるのです。こうして指導レジュメは積み残されていきます。3か月経ったらどういうことになっているのか。その3か月の間に、そういう子に限って、様々な家庭の事情による勉強の中断があるものです。いや「何もしない」ということが、常に勉強に優先される子たちもいるのです。落ちる子の生活行動というのはたいていこんなものです。
「やらない」理由はよくわかりません。どうもなにか稽古事を続けていたのではないか、という節もありました。課題も出さない、指導レジュメもほとんど進まない、そういうことが続く、それがわたしの落胆の原因だったのですが。そういう子はよく「もっと早く来ていれば」ということを言いましたが、早く来ても同じだったと思います。勉強に優先させることが多すぎる子たちだからです。「なにもしない」という不作為をも勉強に優先させる子たちだからです。
勉強というのは闇雲にがむしゃらに進めても効果はほとんどない、と思います。指導者がいればそれに素直にしたがうのが一番の早道なのです。大切なのは必ず実行することです。勉強でやってはならないのは、先送りすること、つまり積み残していくことです。これが受検直前に破綻する最大の理由です。とんなに優秀でも「やらない」子は落ちます。仮に、模試の成績がよかったことがあったとしてもそんなものはあてにはなりません。模試は合格の根拠には必ずしもならないのです。模試が悪くても(極端に悪い子はやはり落ちる蓋然性が高いとは言えますが)受かった子もいるし、模試がよくても落ちた子ならいくらでもいます。
普通に指導レジュメで「合格はんこ」がとれないとしたら、たぶん都立中は能力的に無理なのだと思います。それほどに都立中の求めるレベルが高いということです。竹の会の指導では、合格はんこをとりながら、進捗めざましいくらいに進められなければ合格はほぼないと思います。今年の富士合格の2人も、実は、合格はんこをとりながら進めたわけではありません。むしろ不合格はんこをとることが普通だった。ただ他の失敗した子たちとの大きな違いは、不合格ながら、「算数をクリアにする」とか「推論算数」、「撰」シリーズなどをすべてやったということです。今年落ちた子たちはこうしたレジュメを全くやってないか、途中放棄した子たちです。だから不合格をとりながらも終わらせて7回解き直しをしたことは大きかったことになります。最後まで「必ず合格してやる」という強い意思と実行力に満ちた子たちでした。小5のみなさんはここから何かを学びとってほしいですね。
◎わたしの本音
竹の会渋谷教室というのは、私の最後のやり残した仕事と考えております。わたしは年齢的にもう体力は限界に近づきつつあることを自覚してきました。確かに、元代々木教室の時代には、学習不振児、授業についていけない子たちなどもみてきました。そして竹の会の指導技術がそうした子たちを救ってきたことは確かです。わたしの手にかかればたいていの子は早晩できるようになる、そんなことはわかっております。竹の会にいったん入会すれば多くの子たちが「わかる」ようになる、だから止めたくない、そういうふうになることはわかっていました。わたしはどんな子でもその子の持てる能力を最大限引き出すことができると思います。しかし、竹の会渋谷教室はそういうことで始めたわけではない。残されたわたしの最後の仕事として、いわばやり残した仕事をしたかったのです。だから一定の能力ある子を求めたのです。それが入会試験を始めた理由でした。だから仮合格などというのはそうした主旨をなし崩しにする懼れがありました。わたしは、最後の仕事として、この東京に、「こんないい塾があるんだよ」、そして「あったんだよ」と23区のみなさんに噂されるほどになればもうそれでいつ止めてもよかったのです。竹の会は交通の便の悪い元代々木というところで27年もがんばりました。ほんとうはあのときには止めるつもりでした。しかし、わたしの積年の夢であった、渋谷駅のそばに塾を、という願いをどうしてもあきらめられなかったのです。わたしはもし渋谷教室が実現したら今度はほんとうにわたしのやりたかったようにやりたい、もう親のわがままな申し入れなどきっぱり断って好きなようにやりたい、そう決心していました。塾というのは、お客さんである親や子までがわがままを言うところです。つまり親が口だしをしていながら、成績が下がればすぐに「おカネを出して塾にやっているのに」とクレームを言ってきます。勉強なんかまともにやらない子ができるようになるわけがない。ところが親は塾とはそういうバカをなんとかするところだと思っている。こういうバカは相手にしたくない、ずっと思ってきました。東京で塾をやるとは、そういうことなのです。わたしはがまんのきかないほうなので、よく親と喧嘩して退塾させてきましたけど、世間の塾は親に阿って言いなりになる、そういうこともよくわかっております。だから世間の塾では成績などよくなるはずがないのです。勉強しないバカ息子、バカ娘を承知で、カネ出すから、なんとかしろ、と塾に入れるからです。
竹の会の子どもたちは、わたしが、大の大手嫌いだと思っています。大手といっても、進学塾と公立中高一貫校のための塾ではだいぶ趣が違いますけど、どちらもダメですね。進学大手は大量の落ちこぼれを必要悪として生産している。こういう大手に1、2年いた子というのは、実に指導しにくい。悪い癖が身についてしまっている。とにかく考えない。公式にあてはめようとする。勉強は知識を覚えることと信じこんでいる。こういう子に思考力をつけていくのは難しい。公立中高一貫校専門の大手は、なにも指導していない。ただ適性類似問題を練習させているだけです。だからいずれにしても、こうした大手の子たちを診断してみると、まともに計算はできないわ、割合は形式的に公式を使ってとければいいほうで、まあ竹の会の4年生が1年かけて割合までやったとして、その足下にも及ばない小5や小6ばかりでした。世の親というのはこういうことがまるでわかっていない。なんで2年も大手に通わせて、まともな計算ひとつできない、割合の簡単な問題も解けない、そういう結果なのか、そもそもそういう我が子の素の力さえわかっていない、知らないのである。
天才なら進学塾はいいでしょう。しかし、学校の優等生クラスでは、進学塾では潰されるの落ちです。また公立中高・・・塾では、腐るのが落ちです。世の親というのは、塾の本質というものがまるでわかっていない。子どもというのは、指導すべき手順にしたがって、指導していけば、類い稀なる思考力を引き出すことができるのです。竹の会のわたしの指導とは、そういうものです。竹の会では、レジュメと呼んでおりますが、わたしは、子どもたちの能力を引き出すために、様々な工夫を凝らして、教材を製作、執筆してきました。わたしの製作になる、過去問を題材としたものを中心にあらゆる情報を取り入れて、レジュメに集約しております。これまで中学受験の過去問はを解き尽くしてきました。そういうわたしだからできることなのだと思っております。過去20年以上に遡って、指導に適切な問題を探し、レジュメに構成していきました。受検指導のためのレジュメにはすべて詳細なオリジナルの解説を作成しています。これは考えに考えた結果、読むとき、さらなる思考の飛躍を約束するはずだという意図があります。
竹の会の子どもたちは、わたしの指導を、指導があるから、伸びてゆく、そう実感しているはずです。実際に、わたしの指導を受ければ伸びることはわかっています。だから竹の会に通い始めた子たちは、勉強ができるようになる、そう実感するので、遠いところから竹の会めざして通ってくるのではないでしょうか。