2023.10.23
🔛わたしに出会ったことは幸運である!
もし、小学2年で、わたしに出会えば、それは幸運というほかない。
あなたたちには、竹の会という塾の凄さはおそらく永久にわからない。
竹の会に小2からいる子たちが、すくすくと思考力を伸ばしていることは、永久に知ることはない。
竹の会の算数の凄さを永久に知ることはないだろう。
世の中に、このように算数がわかる教わり方があるなんて夢にも思わないだろう。
もともと天賦の才に恵まれた者には、感動を与え、普通の才しか持ち合わせない者には、迷路から救ってくれる案内人の安心感をもたらし、理解の底辺に位置する者には、基礎だけでも確実に備えるべく手立てを尽くす、それが竹の会の精神である。
さて、みなさんは、塾に何を期待しているのでしょうか。
わたしはもう随分と長く子どもたちと関わってまいりましたが、長くやっていれば、様々な形で大手の子たちを見る機会に遭遇してきましたが、わたしの見た大手の子たちは、失意と自信のない所作で共通していました。大手は少数の成功者と大多数の敗残兵の集合体です。
大手に行って、うまくいかなかった子というのは、もはやリカバリーの効かない人たちでした。大手でつけられた、考えない姿勢、勉強とは分かりやすく教えてもらうものと信じて疑わない頑な信仰にはもはや踏み入ることなどできない、絶望感さえを持たされます。
一つには、思考力というのは、小2くらいから訓練していかなければならない、ということがあります。長じてからでは手遅れなんです。
この大事な時期に、大手で、一方通行の、説明を聞くということに慣れたきた子たちに救いはありません。
それが証拠に、今、小6で大手に通われている子たちです。どうですか。所記のとおりに実力はつきましたか。親御さんには、塾内模試である程度のことはわかっているのかと思います。わたしが、最初から分かっていたこと、それは、今大手に通う小6の大半がまともに割合の問題も解けないであろうということです。計算をやらせてみれば、まともな計算もできないことはすぐわかるはずです。わたしの経験では、思考力をまともにつけている小6はほんの少数を除いてほとんどいないはずです。そうですそれが親御さんが、2年前か、3年前にした判断の結果です。
中学でなんとかなるとお考えですか。
思考力のない子が、中学で、できるようになる、それは、ありません。
竹の会の子たちは、たとえ試験に落ちても、中学でトップクラスにいる子が多いのです。都立中学に失敗しても、日比谷や戸山に行った子も多数います。落ちるということが、この世の終わりではない。わたしは、中学、高校で通用する基礎学力、思考力、勉強習慣をつけてあげること、そのことを大切に指導してまいりました。落ちて恨むという人もいましたが、それから中学に進んで、その中学で落ちこぼれることなく、やっていけている、そのことが、後々になってわかっていただければ、それでわたしのやっていたことを理解していただけるのだと思っています。
大手のように、煽るだけ煽って、通わせて、落ちたら、何も残らない、そういうことにはならない、と思います。
目先の合格不合格で、子どもの未来を摘んではならないと思います。少なくとも親のすることではない。親の見識がそのまま子どもの未来をどんなものか決めてしまう恐ろしさを感じます。
大手を睨みながら、竹の会を値踏みする人ばかりですが、その判断、選択の結果は、小6の今、わかっている通りです。
おそらく竹の会のような塾はもう東京には二度と現れないと思います。それは竹の会がわたしの個性そのままの塾だからです。
竹の会で学んだ子たちが、「わかる」という収穫を得て、嬉々として通うこと、それだけで竹の会という塾がどんなものか、わかりそうですが、外から噂だけ見聞きしているだけの人には永久にわからないことだし、竹の会を知ることもないのかと思います。