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桜修館は竹の会のレジュメだけで受かる!!

2023.05.06

🟡先生❗️ 竹の会のレジュメだけで受かりますよね‼️
 自分のレジュメだけで終わりにする、すると不安になる。だから過去問やったり、さらにレジュメを投入する。これがいけなかった。竹の会のレジュメだけで、しかも本当に少ないレジュメだけで合格できたのに、そのことに気づくのに随分と時間をかけてしまった。
 冷静に客観的に思い返してみよう。
 平成25年の合格者たちのやったレジュメは極端に少ない。
 しかも算数のレジュメも今のように豊富ではなく、それほど高いレベルまで進めた記憶はない。
 適性レジュメは、「入会試験」シリーズ1類、「合格答案への道」、「算数をクリアーにする」だけだ。
 それなのに、桜修館、小石川、白鷗と3人も合格した。
 このときのコンセプトが、合格の鍵を教えていた。
 少ないレジュメをじっくり解かせる。早めに終わらせて、解き直し7回を可能にする。

 たったのこれだけのことだった。

 「先生,竹の会のレジュメだけで受かりますよね」

  合格者たちは言った。

 
 直前は、毎回の指導日に、せいぜい1から2通をじっくりとやらせる。
 それでよかった。それで充分だった。
 あのときは、新しくレジュメを制作して指導で使うということだったので、予め用意されたレジュメなんかなかった。まさに自転車操業だったのだ。それで子どもたちには、充分だった。
 考えてみると、どうも「じっくり考えさせて、じっくり解かせる」ところに鍵があったのてはないか、と思う。
 もちろんレジュメが、選び抜いた、良質の問題であること、その解説も簡にして要を得たすぐれた作品であったことも大きい。
 算数による思考訓練を経て、満を持して適性レジュメに入った途端に失速する子が必ず出ました。特に,最近はこれが多い。
 これはどうしたことか。
 一つは、読解力、つまり要約力が壁になっていると思われる。国語力である。漢字は覚えない。漢検はやらない。作文も書かない。そういう子がいるわけです。これは極端な例ですが、アンバランスな勉強を、やっていても、ほとんどの親は子どもの勉強なんか見ていない。ほとんどの親は仕事でそれどころではないのだ。子どもの勉強に構っている暇などない、というのが本音だろう。それで細かい事実は何も知らないで、結果だけ捉えて塾に文句を言うわけです。すべて塾任せで、後から文句を言う。
 子どもにとってもっとも必要なもの、それこそ読解力である。読解力とは、要は、要約力のことである。文章を読む、これは要約する、ことである。理科の教科書を読む、社会の教科書を読む、数学の教科書を読む、すべて、要約力である。
 暗記するということも、実は、要約力がものをいう。暗記が、成功しないのは、そもそも何を覚えるのか、覚える対象が「曖昧」だからである。漠然と覚えようとするから覚えられるないのだ。覚えるときは、覚える対象を明確にすることが、コツである。そうしなければ脳がはたらかない。脳の特徴はわからないものには拒否、回避反応をすることだ。
 脳は、不分明、曖昧さ、不明瞭を嫌う。だから漠然と覚えようとしてはだめである。何を、どの部分を、どういう意図で、どういう意味で、どこまで、覚えるのか、そこを、自分の言葉で明確にするのだ。複雑なままの情報は脳に忌避される。できる限り単純明快に言い換える。そうすれば、脳は自分が何をするのか、具体的に認識するから、脳が受け入れ易くなる。
 ここまで話すと、あることが見えてくる。要約力というのは、具体的なものを抽象的に言い換えることである。そして抽象的なものは、さらに抽象的なものへと、言い換えられる。
 子どもというのは、具体的なものしか見えない。つまり、抽象世界がないのだ。子どもが読解力をつけるとは、この抽象世界を見える化することにほかならない。抽象力を身につけなければならない、ということである。国語ができない、というのは、物を通してしか世の中を見れないということである。
 要約する力というのは、抽象的概念を操作することによって、具体的なものを言い換えていく、あるいは抽象的概念を更なる抽象度の高い概念に翻訳していくということである。
 幼稚とか、幼児性とか、いうのは、物しか見えない、ということである。世の中は、抽象概念でできている。言語論的転回という思想は、言葉があって初めて認識できるのだということ、つまり、言葉の世界こそ、本質であるということ、をその論の本旨とする。そのために、言葉を通して、物を通してではなく、言葉から抽象という具体的な形のない概念というものを理解すること、これがすなわち国語力である。
 もっと言葉を大切に、大事に考えてみよう。言語というものを、考えることが、読解力の解決になる。
 さて、話は横道に逸れたが、本題に戻ると、子どもたちに、世の中の常識の平均値だけは、つけて然るべきである。
 そこでまず語彙力から手をつけることから始めてもらいたい。
 わたしのやるべきこと、語彙力をつけるレジュメの制作、語彙から言語論、つまり抽象世界へなんとか誘いたい。
 「新読解の素の素」を発展させた新レジュメの制作の青写真が見えてきた。
 「語彙→言語論」。これが竹の会のテーマとなる。
 これからの、竹の会の国語レジュメの方向性が見えてきた。

 

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