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桜修館への道

2023.03.13

桜修館への道
 合格に直結するレジュメを、作りたい‼️
 できるだけ少ないレジュメで、合格できるレジュメを作りたい。そういう思いに駆られるのは、令和5年の奇跡的合格者の存在が大きい。彼女は、あらゆる負の条件を跳ね返して、あの8人のうち7人が脱落するという、恐ろしい掲示板に自分の受検番号を載せたではないか。彼女を送り出したとき、いや竹の会の全受検生を送り出したとき、いつもと違う感覚がわたしの心にふと沸き起こった。全員模試にも名前を載せられなかったし、それどころか100点を大きく下回る点だった。だから受かるはずはないのに、何か打ち消し難いモヤモヤとしたものが心を流れた。去年とは違う空気だった。
 このわけのわからないモヤモヤは、やはり合格を、暗示するものだったのだ。虫が知らせる、ほとんどそれに近い。
余談
去年は、100点未満がほとんど、100点超えても冴えない程度。それよりも最後まで大騒ぎで落ち着く間もなかった。2月にはようやく平和が訪れた。正直心が救われたと心底ホッとした。誰一人受かる気がしなかった。「静かにしろ」「おしゃべりするな」……、喧噪の中にわたしの声がかき消されて消えていく。静かに勉強に集中できないままに終わった。嵐が吹き荒んで終わった1年だった。
 無試験入会、仮体験入会、小5晩期入会、小6中途入会など非正規の入会がほとんどだった。雑な、勉強しない子たちが目に付いた。いくら言っても作文を全く書かない子、竹の会では難解とされる速解を家庭で3日でやりあげてきたという子、これはもう母親の判断で進めているのだろう。私に伺って進めるという態度は既に遠くに追いやられて、皆が自分自分の判断で勝手にやっていた。レジュメはもうそれぞれが何をやっているのかもわからなくなった。レジュメにまともについていけてないからだ。直前というのに爆睡する子、腕力で恫喝する女子、直前家でやると塾に来なくなった子、わたしの手から離れた子たちだった。10分に一度トイレに行く子、いつも数人で争ってついには備品を壊す子、ここに試験直前の集中した姿はない。この年ほど塾の備品が壊された年もない。そして決まって「わたしではない」と言う。いつかトイレの便座が真っ二つに割られた時も誰一人として「わたしは知らない」と言ったものだ。およそ自分のやらかしたことに責任を取らないというのが、現代っ子なのであろう。しかし、試験は、自らやったことの責任をとる制度である。落ちたら自分の責任ではない、他人、塾のせいだというのは、現代の親子なのだろう。およそ受験直前の風景ではありえなかった。塾は壊れていた。受ける前から結果が見えていた。
 何がない❗️ 真摯さがない。ハートがない‼️  悪夢の嵐が去ってやってきた静かな日々がこれほどわたしの心を癒したことはなかった。ようやくわたし本来の指導ができる、と心から思った。。

 正直今年の子たちはわたしの想定した通りの力をつけられなかった。能力的なものもあったし、晩期入会ということもあった。また勉強量があきらかに足りないという子もいた。
 ただ竹の会の雰囲気、静かな環境でわたしの指示が「生きる」、そういう風景はあった。
 学科試験(算・国)で普連土学園に合格した子、適性試験で、西部文理、八王子学園(東大医進)に合格した子も出た。竹の会は、中学受験のための指導は頼まれなければやらないが、それでも受験すれば受かる子が多いのは、竹の会の算数のレベルの水準が高いためである。令和元年には、3人定員の算数選抜試験で、巣鴨と攻玉社に合格した男子もいたくらいである。もっともその子は、桜修館に合格したけれど。余談だが、その男子の姉も竹の会出身で、富士に合格、富士では高校2年から特進クラスに入り、現役で早稲田の政経学部に合格している。彼女が弟を介して私に受験のお守りとしてパラコードの制作を依頼してきたのも記憶に残る。あの時に、合格したんだね。パラコードは、竹の会の受験のお守りとなったのはもう10年以上も前のことだ。わたしが興味を持っていろいろ試作品を作るようになった。次第にわたしの制作技術も上がった。いつしか子どもたちは、受験の日に肌身につけて持っていくようになった。何か安心するらしい。先輩の体験談にはパラコードを身につけていったことがよくでてくる。すると子どもたちはこぞってパラコードを「作って」といってくるようになった。
 わたしもお気に入りを作ってずっと愛用していた。もう何年も愛用してきたものだ。車で遠出するとき、飛行機に乗るとき、とお守りとして身につけてきた。今度、その愛用のパラコードを広尾受験の子に持たせた。この子には受かってほしかった。妹は桜修館に合格した。今度は姉だ。正直危なかった。これほど危機意識を感じたことはなかった。母子家庭で頑張っておられるお母さんのことを考えると、私立はとても考えられなかった。それは絶対なかった。わたしは知略をめぐらした。打てる手はすべて打っていった。手に入る、いいという教材をカネを惜しまずすべて手に入れた。都立過去問を毎回検証に使い、弱点を見つけるのに全力をかけた。弱いところは教材を探して手当てしてきた。教材会社、アマゾンの古書店、メルカリ、ヤフオク、なんでも利用して、使えるものを探した。絶対に落としてはならない。こういうときのわたしは異常に鋭くかつ強かであった。お母さんの泣いている顔は絶対見たくない。お母さんに辛い思いをさせてはならない。わたしの信念はそこで貫かれていた。
 合格はわたしにはなによりもの救いでした。たとえ体調はガタガタでも、心は救われました。発表の日、お母さんから、「先生、合格することができました」と、お母さんからの第一報に、安堵し、涙が頬を伝わるのが、心地よく思えた。
 かつて高校受験専門塾を謳う竹の会を外部の人が「受験専門と言いながらたいした実績もないくせに」と批判してきたことがあった。新宿の合格にも、青山の合格にも、みな一つ一つに思いの込められた物語が、しかも深い語り尽くせない秘話があったのだ。子どもたちは悩み苦しみ自殺まで考えた子もいた。そしてようやく勉強に踏み出し合格したということもあった。わたしには一つ一つの合格が、お母さんの喜びとして心に残り、家計精いっぱいの中で受かった都立なのだということをよく知っている。「たいしたことはない」という心無い言葉が、わたしを傷つけることができたのは確かですから、中傷した人は満足でしょう。しかし、それよりもわたしは合格を心から喜び私に感謝を惜しまなかったお母さん、子どもの笑顔を思うと怒りを抑えられなかった。人は事情を何も知らないのに、ステレオタイプさながらに「こうだ」と決めつけて批判するけれど、わたしには的外れで何を言っているのかさっぱりわかりません。あなたたちに何がわかるというのでしょうか。悩みながら精いっぱいに勉強に立ち向かってきた子どもたちは、生まれながらの自分の能力に制約されながらも、お母さんのために頑張ってきたのです。都立落ちたら百万かかる、そんな思いが切々と伝わります。健気に頑張るこの子らにわたしはとても余裕なんかありません。私の全生活はあなたたちのために使うのだ、そう心に決めていました。親のことを本当に思ういい子たちです。お母さんに負担をかけたくない、だから都立、見合った都立に行く、そこを落ちたら不本意な私立に行くしかない。何十万も、もしかしたら百万もかかる私立に行くことになる。お母さんに苦労をかける、だから必死なんです。「たいした都立じゃない」と中傷する人にはわからないでしょう。しかし、わたしは合格したとき心から喜んでくれたお母さんの笑い顔が忘れられない。わたしはいいことをしたと思いました。中傷したい人にはさせておけばいい。わたしは受かりたいという都立にそれこそ全身をかけて受からせてきた。「おまえは都立専門家というがたいしたところ受からせていないじゃないか」。
 君たちはよく頑張りよく受かった‼️ 何よりも君たちの大切なお母さんを安心させることができたじゃないか」。わたしは頑張った君たちのことを思って泣いている。

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