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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

🔛「手をかけなければ落ちる」

2024.01.16

🔛「手をかけなければ落ちる」
わたしが体験を通して達した受験指導の真理
養老孟司「手入れの思想」
子どもというのは、常に見ていなければダメなんですね。見ているだけでいい。植木だと、斜めに伸びれば剪る。剪っても剪っても伸びる枝は逆に伸ばしてやる。とにかく常に見ていること、これが手入れである。
 竹の会では、「手をかける」という言葉を使います。「手入れ」とは、やや違うかもしれません。共通なのは、「いつも見ている」ということでしょうか。「いつも見ている」から、なぜできないか、何が理解できていないか、どこで躓いているか、全てわかる。だから「手が打てる」。手は尽くす。手を打つ。それでだめなら「次の手を打つ」。わたしは、これを「手をかける」と呼んでいるわけです。
 養老先生が、言われる「手入れの思想」とは、要するに、自然に任せるということなのか、と思います。
 勝手に養老先生などと呼べぱ、「先生❓ おれはお前を教えたことなんかない❗️」と言われるかもしれません。養老先生が著書の中でそう言われています。確かに、世の中には、会ったこともない人が勝手に「〇〇先生」とまるで「習ったことがあるのか」のような言い方ほする人がいます。養老先生なら「お前から先生と呼ばれる筋合いはない」と一蹴されそうです。

 民法学の大家我妻榮はもはや、歴史上の人物として、敬称はつけない。しかし、大著「民法講義」を何回も読んだ人間としては、ただの歴史上の人ではない。とても対等ではない。同著は、総則・物権・担保物権・債権総論・各論I・II・Ⅲ・Ⅳまでありました。不法行為と親族・相続が未完のままでした。と言っても先生はダットサン民法Ⅲで、有泉亨と共著ですが、親族・相続という名著を書かれています。今考えれば民法講義は通読に適しない本でした。先生のダットサン民法全三巻や、名著「民法案内」の価値が今になってよくわかります。民法案内は、10巻を超えていますね。それにりに大著だが、平易な語り口で読みやすい。
「手入れの思想」について
 学ぶ者のなかにある「成長力」の凄さ、教わろうとする態度が持つ「生命力」,この2つが大切なことはわかります。
 子どもが伸びる素材かどうか。

 これには,子どものなかにある秘めたる「成長力」と教わろうとする態度が持つ「生命力」の2つが大切なことはそのとおりだと思います。

 竹の会が入会に際して実施する入会試験では指導の可否を診断するものですが,入会後でなければわからないのが「教わろうとする態度」(生命力)です。指導が成功するかどうかはこの生命力にかかります。小学低学年にはこの生命力が顕著に表れます。この生命力の強い子というのは将来成功する可能性が高い。事実小2のときに4時間計算に集中した,体験の子がいましたが,この女の子は後に東北大に現役で合格しました。小2,小3で飽きっぽい,つまりは普通の子は普通のままに終わるのかと思います。
 
 手入れというのは,少しずつ手入れするものです。
 手入れというのは,放っておいてもひとりでにそうなる。実がなる。草木がそうなる。無理をしない。自然に任せる。これが養老先生の考えです。
 
 竹の会の指導の根底には,手入れの思想が流れているのは間違いありませんね。

 

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