2024.04.19
🎶小学期の選択を誤ると、その子の一生を底辺とする選択をすることになる❗️
すべての子どもが、生まれながらに高い能力を持ち合わせて生まれてくるわけではない。
すべての子が、好奇心旺盛で、何かに興味を持ち、一つのことに集中するほど、おもしろみを感じるわけではない。
すべての子が、中学受験に才能を発揮できるわけではない。
わたしは、ある程度の、いや少なくとも普通以上の能力のある子なら、の話しをしている。
そういう子なら、小学2年からが勝負だと思う。このときから、計算を訓練し、おそらくかかっても一年はかかるまい、まず計算マスターに仕上げる。計算というのは、形式的な、抽象思考の始まりである。整数から小数、小数では、余りのある割り算まで、次は、分数、最小公倍数の概念、通分、分数の繰り上がり、繰り下がり、約分と進めて、分数の四則混合、小数を分数に、かっこ、計算の順と学び、ここまで来ると、中学受験の難関中の計算問題はすらすらと解けるまでになっている。おそらくかかっても6か月ほど。次に、逆算を学ぶ。ここで手間取る子が多いが、知能に比例しているように思う。知能の高い子ほどマスターが速い。
逆算をマスターしたら、指導の始まりは、計算4題を15分で解くのがルーティンとなる。
計算マスターになったら、いよいよ割合概念の導入に入る。小2から訓練してきた子なら、早い子なら、小2の冬、遅い子でも小3の春には割合に入れるだろう。割合は、徹底して、概念、仕組みをさまざまな角度から考えさせる。小3の一年を割合の指導に使える、これほど素晴らしいことはない。小4には、かなりの割合の思考達者になっていることであろう。
竹の会の割合体系、算数体系
「算数の魁」に入るまでに、「割合導入ドリル」「割合フローチャート」「割合超入門」「割合入門 割合思考」など、
「算数の魁」→「思考の鍵」→「割合問題編」→「新小学思考の素」→「そこ他の問題編」まで、基本〜中級課程
「推理の素」→「思考の源」→「1%下巻」→「新速解」 上級課程
ここで一区切り
さらに、算数を深めたい人のために
2018算数、2010算数などのシリーズ
推論算数シリーズなど際限ない作品があります。
このシリーズの中で、開成、麻布、早稲田中、灘中などの最難問、いわゆる第6問が網羅的に取り上げられて、竹の会オリジナルの解法が示されている。
ねえ、こうした算数訓練をやるには、小2から来ないとダメだということことが、わかってもらえましたか。
大手で、潰される、将来を棒に振る子どもたち
大手のカリキュラムが、能力の限界を遙かに超えた知識を詰め込む、理解不十分のままに、進める脳破壊システムが、続けば我が子がどうなるか。まともな親ならわかりそうなものだが、子がストレスで変調を来すまで、親の叱咤激励は加速するばかりだ。思考というものを知らない、理解。暗記することで、回避する習性を組み込まれた、ロボットの完成まで、親は受験成功の夢を追い続ける。
駿台模試全国1位、開成高校合格、筑駒高校合格、渋幕合格をもたらした、生徒も小4から育ててきた❗️
彼は、小石川志望だった。模試では、全回成績優秀者に名前を連ねた実力者であった。その彼が落ちた。そういうことはよくあったから、驚くことはあってもそういうこともあるのだという試験はやってみなければわからないという恐ろしさを再認識しただけだ。
彼は竹の会の最強のメニューをすべてこなしていった。そうしたら、全国1位になっていた、ただそれだけのことだ。
竹の会には、そのノウハウがある、それだけのことだ。
信じた人が受かり、疑心、懐疑、不信の人は落ちた。竹の会を去った。それだけのことだ。
不信の人は、大手に行く。大手だからと迷わず信じる。その結果が、子どもを路頭に迷わせる。選択される道は、どのように美化されようとも、底辺にある道しかない。何処かの塾の、若い塾長が、ネットで、第一志望に落ちた子が、「その子の好きな道(身丈に合った中学)を選んで今は幸せだ」、なんてまとめていたけれど、綺麗事で、終止符が打ててハピーエンドになれば世話はない。選択した道がよかったのかどうかがわかるのはずっと先のことだ。選択した時点に満足していたなんてことでよかったなんていえるはずがない。
それよりもそもそも中学受験で、よかったのか、が問題だ。
中学受験で低学年から詰め込むことで潰されてきた脳の話しだ。
脳を生かすのが、指導だとわたしは思う。幼い子にいつか考えるということの意味をわからせる。小2は、右も左もわからない。未熟な頭をひねって、最初は、「操作」から覚える。「操作」の意味なんてわからない。しかし、難度の高い計算ができるようになる。そこから「考える」、「操作」の意味を考える。自分がやってきたことの意味を考える。初めて考えるということの体験をする。割合の概念がその子の未開の脳を切り拓く。指導のたびに概念に触れる。なかなか見えないのだろう、盲人が像を触って想像するように、最初はみんな脳は未脳、盲人の如し。だから指導回数は多い方がいいのだ。像に触れることが、想像力を逞しくする。
最初から答えのわかっている問題しかやらないのが受験だ。考えろ、予習しろ、復習しろ、そして授業で解説する、子どもたちはそれをノートに写すだけ、頭なんか何も使ってない、ノートに写したことを覚えるのが復習、わからないので授業で説明してもらうのを決めるのご予習、いったい、いつ頭を使うの、考えるの。そもそもあなたたちは、計算をミスしなくて正解出せるの、そもそも割合とは何か、わかっているの。あなたたちが、追われるように、大手のカリキュラムにしがみついてあくせくしてきた結果、実は、何もできていない、ただの張子の虎だった、という話しですよね。
何が大切だったのか。
塾に行かない選択のこと
天才かつ努力家ですか。
そういえば、中学の話しですけど、学年1番の女子の話しがあります。彼女は、中2まで塾に行かなくてもずっと学年1番だったそうです。これは、同じ学年の生徒が竹の会に通っていたので、知りました。中3になっても成績を維持することは難しかったようですが、内申だけはオール5でした。学年順位は下がったので、さすがに塾に通い始めたそうです。志望校は日比谷でした。推薦試験に落ち、一般入試では、都立目黒あたりだったと聞いております。
高校入試にあまりにも無知、無垢でした。なぜ天才たちが、大手進学塾に通っているのか、その理由を考えたこともないのでしょう。慶應などの難関校をめざす生徒に対して、大手では、遅くとも中2までに中3までを終わらせてしまいます。中3になったら、高校入試だけに集中するのです。
大手は昔からそうでした。かつて河合塾には、中学グリーンコースというのがありまして、わたしは、そこに通っている中2の補習をしたことがあります。もう30年以上も前の話しです。あのとき河合塾の過去問を網羅的に編集したテキストに感動したものです。これはとても敵わないと思いました。まだパソコンが普及する前の話しです。今なら驚かない。逆に、中2で、あそこまで詳しくやる必要があったのか、と思います。わたしなら、中2までは、さらっと終わらせて、中3の範囲に時間をかけますね。
パソコンのおかげで、竹の会も大手に負けない教材を作ることができるようになった。わたしのアイデアで、どんな教材も作れるようになった。もはや大手の独占領域ではなくなった。
今、わたしは、これまでの蓄積を本にすること、これを全国に公開することを次の仕事と考えるようになりました。
特に、今まで叶わなかった数学の本を出せることとなりました。わたしのような小塾の、一介の塾の先生などが、本を出したくても、取り合ってくれる出版社などないことはわかっています。
ですから、Amazonから本を出せるようになったことは、時代の急速な変化を感じます。わたしの最初の著書「割合の魔法の算数」は、出版社経由Amazon発行でしたが今は、出版社は必要ありません。出版社に高いカネを払う必要がなくなりました。アメリカでは、ハードカバー版も出せます。日本でもそうなる日も近いのでは。カラー版もきっと可能になる。時代は変わる。強い者が独占する、そういう時代は一掃されていき、ただグローバルな強者が支配をすることになれば、新たな専制支配の懸念は残ります。
今年は、書き溜めている時代小説も発表してみようか、と思っています。