2024.04.09
🔛子どもが高学年に伸びる条件
今木智隆という人がその著書をヤフーで紹介させて、算数ができるようになるには、小3までの勉強習慣が決め手で、小4でギリギリみたいなことを言っていた。その主張は、小1には小1の教科書をきちんとマスターさせて、小2には小2の教科書をきちんとマスターさせて、勉強習慣をつけさせる、ということだと思う。最近のヤフーはこの手のやり方でおそらく高額な宣伝量を払うのだろうが、本や塾を宣伝している。ニュースの体裁を取った、宣伝方法で最近は特に目立つ。著者はそういうことをしないで、小4になったら、いきなり小4から始めることはできない、と言うのだ。この人は自分の指導した小学生30人が全国模試で1番を取ったと言うのだ。
はてさて小学生の全国模試とはなんであろうかわたしは無知でいっこうに知らない。その人の本を買うカネは無駄なので、買わないから、わからない。
この人の言うところで、わたしと同意見なのは、小学低学年から始めなければ取り返しがつかない、というところだけかな。
小1の教科書をきちんと習慣をつけて終わらせるとか、何言ってるのか、わからん。
竹の会では、小2に入会すれば、計算しかやらない。足し算、引き算、かけ算、割り算とひたすら計算をやらせる。整数の計算をマスターしたら、小数の四則、余りのある小数の割り算をマスターしたら分数に入る。実例だと、小2の夏から始めた子だと、小2の冬には、分数の四則、逆算をこなせるようになる。時間のかかる子でも、小3前半までには、難関クラスの中学受験の計算問題を10分で4問は正解できるほどの計算達者になる。竹の会は、計算は、指導前のウォーミングアップとして、10分ほどで4問を解くことが義務づけられているから、2年、3年と計算は絶やさずやっている。
計算達者になった小3の後半からは、割合概念を頭の中に構築していくことになる。小4の夏には、芝中の割合問題は解けるほどに上達している。これは思考スタイル、勉強習慣がついたことを意味する。竹の会では、割合は、思考スタイル、習慣をつけるための手段である。割合を通し様々な考え方を、学んでゆく。だから、小4には、思考するということが、習慣として身についているのだ。
先の学年にこだわった指導とは、まるで違う。
世の中の親たちは、ママ友を通じて大手塾群に洗脳され、我が子を迷いなく、大手という集団処理マシーンのベルトコンベアに乗せ、機械的に、子どもを型にして、廃棄していることに気づかない。その悲劇は、子どもが「考える」という人間に本質の性能を育てられることなく、そのまま公立中学に送られることだ。大手に行った子たちのほとんどが失敗して、第三志望以下に流れるか、公立中学に進むか、なのは、最初からわかっていたことだ。人気校、難関校の定員は、一握りなのだから、最初から分かりきっていたことなのだ。親たちは、なんの可能性を信じきってカネをかけたのか。
竹の会は落ちた親から非難されても、思考を育てるという信念は決して譲らなかった。落ちても、公立で困らないように腐心してきた。いやこの子は無理だろう、落ちるだろう、それはわたしの中では確信に近いものだったからこそ、わたしはこの子たちには基礎力だけはつけて上げて送り出したいと手をかけてきた。受検に失敗した親たちが、その当座はわたしを非難したことは知っている。しかし、中学になって伸びてゆく我が子を見てきっと後から竹の会のことをちらりとでも思い出してくれたことであろう。非難はあえて受ける。しかし、まったく関係ない、竹の会を知らない人たちが、そら見たことかと非難する、そういう現代の罠にハマった人たちについて、そういう人たちの開示請求をして次から次に訴えて何百万と稼いだ、どこかの出版社の編集者が言っていた。そういう人たちのほとんどが、自分よりかなり貧乏な階級の人たちだったことを知ったとき、なにか悲哀を感じたいうことを。
小4からでは遅い。これも わたしはまったく同意見である。受検には、確実に間に合わないと思う。基礎学力をつけること、思考スタイルを身につけること、自然と勉強習慣を身につけること、これは、小2しかない。遅くても小3である。
現代の中学受験は、受験情報に毒されたママ友間の情報交換という洗脳補強装置によって、洗脳されてしまったママたちが、子を無意味な勉強に駆り立てる、気がついたら、基本は蔑ろにされ、思考するということがどういうことかも知らない、哀れな子どもたちが大量に生産され、公立中学へと送りこまれる、それが実態である。
中学受験の、いい話しばかりを鵜呑みにして、そのほとんどが失敗するという負の面は「ない」として打ち捨てられる、まさに大手の思う壺通りの行動をするママ友軍団に支配された親たちの祭りである。
小2からなら、どんな子でもいいのか。そんなわけがない。犬は、好奇心の強い犬でなくては、駄犬になる、と言われる。これと同じだ。勉強に好奇心のない子は、小2からでも、高学年になってからでも、無理である。子どものすべてが、勉強に向いているわけではない。よく大器晩成型ということをいう人がいますが、あれはほぼ嘘です。というか別の意味ですね。人生についての格言です。
子どもを考える人にすること、そのために、早期から取り組むこと、それは小2が理想であること、これが最後にみなさんに竹の会が送る真摯なメッセージです。
最後というのは、竹の会は、現在の小4が最終の受け入れになるからです。