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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

🎶ステレオ親子の歩く道

2023.06.24

🎶ステレオ親子の歩く道
 受験というのは、いや将来資格試験を受けるとして、自分をどれだけ客観的にとらえられるか、ということである。これは、大学受験や資格試験の時によく分かることである。

 中学受験、高校受験は、指導者が、その客観性をコントロールする、ことが、必要と思う。
 指導者は、常に、客観的な実力診断をしながら、指導の方向性を調整しながら、適切な指導を実施しなければならないであろう。
 指導は、指導目的に応じて、効率よく、テキパキと要点をマスターさせること、その際、主体的な、自主的な、解決を促す、細かい指導が求められる。
 知識は、要領よく整理したものを与えて、無駄を極力省くことを持って至高とする。
 指導者は、全体を見据えて、鳥瞰し、早期に、前倒しで、最短距離で、子どもを導いていくことを旨としなければならない。
 子どもが、「わかった」というのは、話し半分で聞いておかねばならない。本当にわかったどうかは、テスト問題を解かせて、常に、質を取る、担保を取ることである。過去模試は、診断に使う。過去問も診断に使えるが、過去問は様々な使い道があり、よりいい診断の道具があればそれに越したことはない。
 子どもには、必ず軸となるテキストを与えなければならない。反復繰り返し読ませるためである。
 レジュメ集、問題レジュメは、必ず7回以上解き直しさせなければならない。
 この7回解き直しを確実にするためにも、前倒し、先取りの指導が必須となる。受験は早ければ早いほど成功率が高い。
 早い段階で学習習慣を身につければ周囲に差をつけることができる。学習習慣は、勉強に対する向き合い方を次第に確固としたものにしていくであろう。
 勉強に対するスタンスが確立した子はもはや心配ない。中学になってフラフラしている子も多々いるが、いずれも小学時代の早期の勉強の躾がなかったことにすべて行き着く。そのことは後々まで禍根を遺すことになろう。
 中学生になって、勉強習慣がない、勉強へのスタンスがない、などということは、今更どうにもならないことである。すべては、小学低学年時の基礎訓練がなされなかった故の不始末である。
 大手の広告にある、合格体験記,特に,様々な資格試験,大学受験のそれは、都合よく、後から作られた創作である。編集された物語である。あんなものを信じてばならない。話しがうますぎる。彼が彼女が採用したすべての方法が成功という結果に鞏固に結びつけられて特別のそれとして植え付けられるに違いない。一時期司法試験で基本書をマーカーで色分けすることが流行ったけど,ある若年合格者の体験記にあった方法がいつの間にか受験生に流行り始めた。こういう事例は今でもよく見られる。まあ、あまりにも辻褄が合いすぎる方法には疑いこそ必要であろう。
  さて,早期の前倒しの勉強は,最終的な勉強の伸びが大きく異なる,という決定的な結果をもたらすであろう。
 もうひとつ,受験勉強に大逆転はない,ということは肝に銘じておかねばならない。
 早くから全速力で走り続けた者のみが勝ち抜く,試験とはそういう仕組みになっている。
 ところで,第一志望校が決まると,模試を急ぐ親が多い。これはどうも理解できない。範囲学習も終わらないのに、結果が出せるわけがないからだ。勉強というのは,1冊の参考書なり,テキストなりを7回回して初めてものになると考えなければならない。まだ1回も回っていないのに突然模試を受けて結果が悪いと落ち込む,悲観する理由がわたしにはさっぱりわかにない。

 大手塾には,「わかったつもり」になっている生徒が多いことはこれまでの元大手生の面談を通して知見してきたことである。
 「わかったつもり」になっているバカ生徒に成績向上なんかない。地元で評判がいい中規模の塾というのもあてにはならない。
 大手塾、中規模塾に行っている子や親で多いのが、「塾の授業についていけてる」と安心していることである。「授業もわかりやすく教え方もうまい」、「若い講師なので馬が合いうまく行っている」、そう思う親が大手塾には多い。
 しかし、授業がわかりやすいのは、想定外の落とし穴があること、そしてそのほとんどがその落とし穴に落ち込んでしまうこと、を受験ぎりぎりになって知ることになる。そう,ぎりぎりにならないわからない仕組みに作られているのだ。
 そもそも都立中高一貫校対策の大手塾というのは、小5までは比較的平易な教材、授業をやっている節がある。これは大手から流れてきた子たちが学校の優等生であるにも関わらずあまりに学力が低かったという知見から、そしてその大手塾では上位にあったという報告から、もう推して知るべき事実である。実際にも、ある母親は、「今の塾(某大手)でも別に困ってはいない。土曜テストはいつも2番…」、この2番というのもどうも聞いてみると10人ほどの2番ということらしい。それではなんで竹の会に見学に来たの❓とツッコミたくなるが、竹の会の様子を見て、「公文と同じですか」と言った父親がいたけれど,それとそっくりな反応をする母親ばかり見てきた。決して竹の会に関心を示すことはなかった、平成15年以降だったかな。なぜか、あの当時、塾ツアーなるものが流行っていて、竹の会もそのツアーの一つに入っていたようで、ツアーにやって来る母親や父親が多くてうんざりしていた。アホらしくて、見学お断り❗️ということにしました。
 個人塾には、「わかりやすさ」を売りにするところが多い。いや昨今の大手塾もそういう評価を重視するようになりました。「わかりやすい」というのは、一番いいのは、教える事柄を易しくすればいいのです。頭を悩ませるような問題は絶対入れない。子どもが「わからない」と親に訴えるような問題は使わない。これは教える側にも都合がいい。内容が簡単ならいくらでもわかりやすくできるからだ。親の言う「わかりやすい」の中身というか、実体はそんなところだろう。だいたい小学生の8割はまともに授業についていけないのだ。これは、内申の「よくできる」が、8割以上ある子でも、それほどできないというのが相場だからである。中学受験で進学教室に通う小学生でも半分は能力の高くない子たちだと見ていい。
 内申がいい子の中に逸材がいる蓋然性が高いことは当然として、内申が悪い子の中にも超例外的に(1%未満かもしれない)、逸材がいることがある。
 さてそういう状況を踏まえて言うならば、大手が「わかりやすい」授業を売りにするのもわからないではない。もちろん、教材も易しくして、落ちこぼれをなくすというのも、大手が利益産業である以上当然のことである。授業を難しくすれば落ちこぼれが続出して,そんな難しいなら受験は,塾は止めるということになる。

 しかし,頭に負荷のかからない勉強なんて頭を悪くするだけである。自分の低い能力でわかる内容しか学ばないとしたら、それはただの自己満足ではないか。
 流石に小6になれば、大手も受験のレベルでやるしかないだろう。当然「できない」子が出てくる。そこで大手のやることは、次々と特別講座、オプション講座を作って、もっと受講しなければ受からない、とにかく最大限、いろいろ講座を勧めるわけである。できないのは、時間が足りないからだ、と煽るわけである。しかし、本当の理由は別のところにある。頭に負荷をかけてこなかったからだ。
 さて、特別講座をあれこれ受けさせられて、おそらく本番まて相当カネを、貢ぐことになるだろう。
 だが、こういう頭に負荷をかけていない小学生は、「わかったつもり}になる可能性が高い。わからなくても、わかったつもりになるのだ。つまり、負荷がかからないで来た頭は、その方向へ行く。わかったつもりになって,わかりやすい、と感動する親と子の図がそこにはある。
 わかりやすい授業に感動? しかし、わかりやすい授業ほど危険なものはない。本当はわからないのにわかったつもりになる、これがわかりやすいの正体だ。いやマジックだ。
 頭というのは、ある程度の負荷をかけてこそ、その反動で飛躍す。つまり、伸びていくのである。地球に引力があるから、わたしたちは、その反動で、骨が強くなり、大気圧という重力にも押し潰されないで、生活していけるのだ。引力のない、つまり、身体に負荷をかけない生活をしたら、たちまち骨はふにゃふにゃになるだろう。頭だって同じだ。思考というのは、難局に突き当たるから、働くのだ。誰でもわかる問題をこなし仕事のようにこなしていたら、本当のバカになる。
 誰かが竹の会の教材を難し過ぎるのではないか、と批判していたが、わかっちゃいないね。まず、受検合格を目指しているなら、受検合格レベルを基準に勉強しなければならないのは常識でしょ。レベルが高いというのなら、そもそも受検の能力がないだけの話しでしょ。わかりやすいということを基準に塾の良し悪しを決めればそういうことです。竹の会だって,最初から難しいことをやっているわけではない。順を追って段階的にレベルを上げているだけである。このレベルアップについて行けないというのなら、そもそも合格などない話しである。
 易しくしてもらって喜んでいるのは勝手ですが、それは自分の子のレベルがその程度だというだけのことで、他の塾のレベルが高過ぎると文句を言う話しではない。また、易しい問題の説明を授業でされて、「わかりやすい」と喜ぶ、「うちの子のレベルに合っている」と納得するのも親の勝手ですが、この試験は、8倍、ほとんどが落ちる、競争試験であり、競争と関係ないところでわいわい言ってもしかたない。

 わたしはよく思います。竹の会を誤解する人は多い。中身を全く知らないのに批判する人もいる。またほんの短期間いただけで竹の会をすべてわかったように批判する人もいる。
 しかし,大手から竹の会にやってきた子が、竹の会に感動し、ここにしていればよかった、と心から思っている姿をたくさん見てきた。苦しんできたのだろう、親や子が、竹の会の指導を受けて、目を輝かせ、次第に自信を取り戻して行く姿を何度も見て来た。そういう姿を見ていると、竹の会に出会ってよかったね、と心から思わざるを得ない。
 竹の会が誤解されるのは塾という仕事には避けられない宿命と思っています。世の中には想定を超えた多種多様の人種がいますから。経済的理由の退塾というのが、近年は増えましたが、これは仕方ないですね。
 入会試験を難なくクリアした子なら、竹の会の指導初日目から衝撃を受けることが多いようです。「わかる」というのが、ひしひしと伝わってきます。「こんなやり方初めて」という感動が伝わってきますね。「それまでの塾がなんだったのか」とは、よく言われます。
 

 

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