2023.06.30
🟡心配しすぎる親=過保護(大甘ママ)の末路
「小4だから心配なので地元の塾にします」、「もう少し大きくなったら竹の会に来ます」。竹の会ではよくある母親,たまに父親のお断りパターンである。過保護の親にこのタイプが多いのは間違いない。「遠いから体力を消耗してかえつて勉強に差し支える」というのもありました。電車通塾が不安、そういう母親、もしかしたら父親、が少なからずいます。それはそれで一つの判断なのか、と思います。ただ、地元の塾で、おそらく大手の駅前塾か、地元密着型の個人塾、あるいは中小規模の塾に行くことにのだろうが,その行動が何をもたらすかは長い間塾をやってきた私には容易に想像できます。
おそらくこの選択は失敗に終わる。わたしは巷の塾にどこまで期待できるのか、かなり懐疑的である。それは塾というものがどういうものであるのか、よく知っているからでもある。塾を選ぶとして、その成否は様々な要因に規定される。
そもそもの子どもの能力が成否には決定的なのは当然である。能力が低ければどこの塾でも失敗する可能性は高い。大手は最初から無理だ。個人塾を選ぶとしても個人塾はそういう子ばかりに関わっていられない。個人だから手が回ると考えるのは誤解だ。個人だから手を抜いてもわからないのだ。
だいたい一人の理解障害の子にかける時間は、他の大勢の子の時間を犠牲にしない限り捻出できないのだ。
ここで理解障害というのは、特に、定義は問題にしない。要する、教えられない、日本語が通じない子のことだ。例えば、「分母と分子に同じ数、共通の倍数をかけるんだよ」と言っても、言葉が通じない、キョトンとしている子がいるのだ。こういう子にかけられる時間は限界があるということだ。
地元の塾に通わせるという親の考えは、ほとんど失敗に終わることであろう。なぜ? 経験が教えている。そのことは母親が一番よく知っているはずである。地元の塾に1年、2年と通わせてみたけれど、成績はパッとしない、そういう実感を持っている母親、たまに父親はおそらく相当数いるに違いない。
今,大手に通わせている親の中には心当たりのある人たちが相当数いるはずである。
渋谷まで1時間ほどかけて通わせることのデメリットを言う母親もいたが,竹の会では、1時間は普通の話しである。またまだ小4、中には小5だからという親もいたが、竹の会では早くて小2あたりから世田谷区や杉並区などから通う子ばかりである。そういう子たちにとっては「この母親は何を言っているのかわからない」ということになる。
問題はそういうところにあるのではない。そのことが竹の会の子どもたちにして「わかる」のである。
多くの小学生が,大田区や江東区,台東区,葛飾区,そういうところから通ってきたのだ。
そこまでして竹の会には通う価値がある、そういうことではなかったのか。
地元の塾の何が、ダメなのか。
地元塾には出来の悪い子が集まる。騒ぐ、勉強しない、塾が社交場となる。仲間に会うために塾に行く。
おそらく授業形式、テキストは既製品、中規模だと学生雇ってやらせる。個人塾も授業をするのが普通であろう。既製品のテキストを使うのも変わらない。大手のように自前の高価なテキストを講座とセットにして売りつけるということはもちろんできないけれど,塾専用テキストと言うのは塾が好きな値段をつけていいようにテキストには価格は印刷されない仕組みになっている。竹の会にはテキストはあまり使わないけれども,テキスト代は取らないことになつている。
さて、それでは,地元の、大手、駅前塾はどうか。
テキスト、授業、アルバイトの学生講師、これはどこの大手もだいたい同じだ。地元だから安心して通わせられる、多くの親の落とし所のようだ。
まあ、一年も通えば、投資は無駄だった、ということが、わかるはずだ。2年、3年と通うのは、たいてい仲良しがいるから。だから塾は社交場なのだ。地元塾に子どもたちが喜んで通うのは、たいてい仲間がいるからだ。安心の内容は,そのレベルなのだ。子どもが本質的にどうなっているのかは問題にしていないのだ。塾に通わせているからなんとかなっているだろう,その程度の認識なのだ。子どもを心配するポイントが違うのだ。
多くの子は,旧来のテキストと授業で教えるという形態では無理なのである。
子どもは、教える、のではない。職人、芸事と同じ、訓練に次ぐ訓練を強いることなのだ。
職人は、師匠を見て覚えるという。教えない前提だ。教えないことが一番の教え方だというのは公理である。しかし,芸事は、稽古をつける、というほどに体に叩き込まれる。つまり,教える前提である。
勉強事、そう勉強事も同じだ。稽古をつける、これだ。
計算という芸を仕込む。割合という芸を仕込む。
芸事と違うのは、勉強事は、頭、脳そのものが相手ということだ。
芸事は体の捌きを学ぶのに対して、勉強事は、頭の捌きを叩き込む。
だから、わたしは、さまざまな頭の捌き方を考案していった。
例えば、小数から分数。一気に分数の達人に持って行くために,わたしは、頭の捌き方の工夫を重ね、子どもたちが自然に道を歩いていると錯覚を起こすほどに自然に難度の高い捌きをマスターさせてきた。
気がついたらこんな難しい問題を解けていた。
巷の塾が旧態依然としたやり方で変わらないのに、親たちは、満足している。それは何よりも子どもたち自身が喜ぶ、楽しげに通う姿を見てのことだろう。しかし、一年、二年と経っても何も変わっていないはずである。
親が子どものそういう実態に、忙しさにかまけて、放置してきた何年か。
しかし、それはもはや取り返しのつかない何年かになるだろう。
芸事も同じだ、子どもの将来を決めるのは、7歳が勝負と言われる。
勉強を躾ける、小2から躾る、小2までに備えること、それは「字」だ。ゆっくりと丁寧に字を覚えさせる。
一字一字を丁寧に躾る。これも芸事と同じ、だから勉強事だ。
小学生に頭の捌きを教え込む。
割合というのは、未成熟な、小学生の脳を、思考という型に成型していく、のだ。
世の中は、割合という概念を理解することで、まずその一端を理解することができる。全く抽象的な概念ではない。現実に、お金という具体的なものとの結びつきを通して学ぶのだから。
しかし、割合そのものは全て頭の中で完結する、抽象的なものだ。このイメージを、全体像を、まるで脳腫瘍の手術のように、すっぽりと入れ込むのである。
よく算数や数学を解いていて、わかるのは、細かいところをつつくようなやり方では、決して身を結ばないということだ。
全体像を捉える、構造を見る、そういうことがいつも解決に導いてきたように思う。同じことは、指導の場合にも言える。指導するときは、全体像を与える、全体を簡潔に示す、これが子どもの脳を刺激する。わからないという子どもには、子どもと同じ目線、地点に立って、問題を見る。まるで子どもが分析しているかのように、共に、一緒に解析していく。子ども目線でたどりつけるということをわからせる。
わたしのやり方は、芸事の稽古をつける、のと変わらないから、時間はかかる。それでもわたしはそれが一番のやり方だと確信しているから、黙々と稽古をつける。一年経ち、二年経ち、子どもたちは確実に成長して行く。確かな思考の方法を獲得していく。いつしかわたしと同じ土俵で考えている。わたしの考え、悩み所をわかってくる。
竹の会で学ぶということの真の意味がわかった親は、試験に落ちて恨むこともない。何が本質なのかわからない親もたまにいるが、後々竹の会のやってきたことに感謝できればまともな親だったというこどあろうか。
竹の会には、小2から杉並区、世田谷区、大田区、品川区、豊島区、板橋区と23区のあらゆる区から時間をかけて通ってくる子たちばかりである。
国分寺市や調布市、町田市、狛江市、吉祥寺、荻窪などからも通ってくる。
遠いから、時間がかかるから、まだ小4だから、まだ小5だから、心配、そんなことを言う人もよくいた。しかし、通う人はそんなことは一切言わない。竹の会を選ぶ親御さんは、通う前提、竹の会に通いたい、その強い意思を、確信が伝わってくる。
養老孟司先生は、ある種の母親、それは実は大多数の母親なんですが、言葉で子育てしていると指摘しております。私たちが書物やインターネットで見る、文字、画像、動画でさえも、静止したもの、つまり「変わらない」、いつ見ても「変わらない」という意味なのですが、そういうもので子どもを育てることの愚かさを言っております。子どもは動いている、変わっている、だから親も変わらなければならないのに、ネットの文字だけでものごとを判断する。頭の中だけで判断する。判断は既成の静止した,変わらない,陳腐なままの文字である。
入塾すればすぐわかる。子どもが変わるのが。今までに、そういう指導を受けて来なかったことの理不尽を悟ることになる。わたしにはそれが手に取るようにわかる。
竹の会と出遭う。それは余程の奇跡、偶然がなければ、と思う。けれど、出遭う人は、すべての価値が子の真の教育に劣るということを知っている。
子どもが体力と時間を消耗して、と考える人は、前提として、塾はどこでも変わらない、同じという、自分でも気がつかない考えに支配されている。
しかし、違うと考えたから踏み出そうとしたはずなのに。
竹の会と出遭うこと、それは邂逅という言葉に象徴されるであろう。この言葉は転向という言葉の呪縛、迫害からの脱出に苦悩した亀井勝一郎の著作の中で初めて出会った言葉であった。以来この言葉を使うのは余程の出会いでなければ亀井に申し訳ないと思ってきた。だから竹の会との邂逅という使い方をするときは、わたしにはそれほどのこと、つまり子の教育の苦悩からの脱出を助ける邂逅という思いがある。
竹の会40年の節目に、竹の会指導論集「新心の指導」を記したいと考えた所以がここにある。
竹の会と出遭った人こそ幸いであった。と後から、思うに違いない。竹の会は過去にもこれからもそういう塾でありたい。