2023.11.11
🔛開成、筑駒を征し、駿台模試全国第1位を獲った、竹の会の数学
令和4年、筑波大学駒場附属高校、開成高校、渋谷幕張高校(特別特待生)、城北高校、すべて合格。筑駒は、40人枠。開成受験者、落ちた者も受かった者も、その他の慶應、早稲田などの合格者(もちろん不合格者も受けるでしょう)が一斉に受けるところです。この40人の中に入るのが、どれほど難しいことか、想像はつくはずです。
私立受験もしない、ただ公立中高一貫校狙一択の親は、無知を隠さない。竹の会が筑駒合格と書いても、その意味がわからない。その程度です。
竹の会の合格者、仮に、F君と呼びます。F君は、駿台模試の全筑駒志望者中常に3番以内をキープしてきました。これは開成志望者中でも同じでした。F君は、渋谷幕張高校では、特待生合格のさらにその上の、特別特待生合格をしています。かれはそのために、特に、渋谷幕張の過去問を解いたこともありません。一度もない。多くの受験生がやるように、過去問をやる、ということは一切していない、まったくの準備なしの受験でした。これが竹の会数学の真価なんです。竹の会が筑駒合格と書いても竹の会の数学の凄さを認識した人など一人もいないでしょう。多くの、世間の、我が子も開成と考えている、親たちは、F君は、天才だったのだろう、と片づけたことでしょう。竹の会の数学が、優れていたから、受かったとは考えない。いや、考えたくないのでしょう。自分の子が通っている大手の特別講座のテキストが最高だと信仰している人たちです。
わたしが、よく大手のやり方を批判すると、非難する人がいましたが、感情を意見と勘違いした人種が多いのは、受験生の8割が、低偏差値の高校の単願で流れる8割と妙に一致するような気がします、
大手の最大の欠陥は、仮に50人の天才たちが、大手に通い、大手の用意する、かなり高額の特別講座を受講した場合に現れます。いいですか。同じ講座、だから同じテキスト、同じ講師、だから同じ授業、これで差がつくとしたら、それは能力です。努力と時間ではありません。だいたい努力と時間だけで受かるなんて思っているから、受からないのです。
この天才君たちの、後塵を拝するする人たち、これはこのままでは、逆立ちしても受からない。努力と時間型の人間です。
ここで群を抜くには「同じ」から脱するしか、ないのです。
竹の会の数学は、この大手の同じの呪いはもちろんない。特に、わたしは、「変える」、「進化する」ことが、竹の会の特質であったと思っていますから、同じはあり得ないのです。わたしの指導の特質は、常に「変える」ことにあったと思います。
竹の会の今の数学は、日本でも最高レベルにある。わたしのレジュメだけで、駿台模試全国第1位を取った。よくどこそこの大手塾の特別講座の数学のテキストを手に入れたら、そのテキストだけで慶應志木に受かったなどという、その大手塾の合格体験記が頒布されていますが、まず合格体験記というのが、眉唾ものですが、竹の会のレジュメは、そういうものを遥かに凌駕しております。その大手のテキストを見たこともないのに、という非難がありそうですが、いや大手のテキストはみな手に入れて、ざっと目を通しております。その上で、竹の会のレジュメを「その上」と判断しただけです。なにしろ、開成合格、などで、実証もしたつもりです。
竹の会は、天才が来れば、天才のために新たにレジュメを作る。
ただ世の天才は、竹の会に来ても一日で、止めるだろう。彼らには大手しか信頼しないという信仰が強く浸透しているからです。過去、高校入試で、私立受験なのでと大手に行った人もたくさんいましたが、同類です。竹の会を信頼もしていないし、むしろ竹の会では受からないと踏んだわけでしょう。そういう人種ばかりなので、これまで結果を出す機会がなかった、それだけのことです。
大手の天才諸君に一言、どうしても席次が上がらないのは、努力と時間で勝負しようとしているからです。大手の用意した「同じ」テキストでやる限り、自分より能力が上の者には永久に勝てない。わたしなら、「変える」、それがヒントです。
竹の会の数学は、いや指導の特異なところは、やはり、レジュメ指導と、解き直し、です。
まあ、あとわたしの状況を読みながらの「変える」指導、手を打つ指導なのかもしれません。かつての卒業生は、よく「竹の会って、進化する塾ですよね」と見事に竹の会を言い当てていた。昭和の終わりごろから平成10年代の頃は、竹の会は、いつも、理想の塾のあり方を模索していた。平成十年代の後半は、少子化、公立中学では学習不振児が目立ち、都立高校の凋落が新聞、雑誌を賑わせた。
そういう嵐の中に、竹の会は、静かに身を潜めていた。平成17年、これまでのテキストをレジュメ化する事業に取り組む。2年ほどかけて、高校入試数学の体系を構築した。これで竹の会の指導を受けた者は、最短2年で、偏差値70の数学まで一気に到達が可能になった。竹の会の数学体系は、数学の効率化に尽きる。わたしの選んだ数学の問題、わたしは解説に手を尽くした。あらゆる受験数学の情報、特に、高等数学の知識を織り込んで、知識の幅を広げた。わたしの作った数学レジュメが、どこまで通用するのか。結局、開成、筑駒で、1番を取れるほどのものであった。それがわかって、わたしは、都立中高一貫校のためのレジュメが、合格をもたらしていたことを改めて認識した。すべて子どもたちが、証明してくれた。そうでなければわたしはいつまでも確信が持てなかった。
過去、竹の会を去り、大手がいいと竹の会をやめていった子たち。わたしは、違うんだ、あなたたちは、竹の会の本当のことをわかっていない、いつもそう思っていました。去る者は追わず、わたしの心に迷いはなかった。わたしを、竹の会を信頼してくれる、そういう親子にしか、理解されることはない。打算に満ちた、目先のコスト、大手の掲げる成果、そういうものを信頼する、権威主義的志向、物事をステレオタイプでしか認識できない、そういう類いの親や子には、竹の会の本質は見えることは永久にない。受験を能力主義の、平等な、誰にでも機会が平等に与えられる制度と素朴に信じ、自分の子の能力なら、大手のシステムで、能力を伸ばしてくれる、と信仰する、そういう親、そういう子には、竹の会は、目にも入らない存在に違いない。結局,そういう親子が第二志望,第三志望でお茶を濁すことも知っている。そう,かれらは彼女らは結局大手では成功していないのだ。
わたしは、天才がわたしの下に来れば、大手の天才たちを凌ぐ技を有している。ただ不幸なことに、天才は竹の会には来ないであろうし、わたしと邂逅することもない。世の中に、判断力を持たない、他人の意見でしか判断できない人たちが、絶対的多数を占める、この世の中では。
竹の会の算数指導力、数学指導力は、全国一番にあると、わたしは確信している。
今、この時、竹の会に、わたしに、出遭った、あなたたちは、幸運と思う。どうにもならない塾に、滞留して時間とカネをドブに捨てることのないことを祈るばかりである。