2023.10.14
🔛指導の達人になる、名人になる‼️
今の私は、子どもに指導をした瞬間からその子の全能力を瞬時にして理解することができると思います。
高校入試の指導においても、その生徒の全能力をたちまち見積もると思います。
能力とは何か。
もちろん知能がもっとも重要な要素であることは間違いありません。
しかし、それだけではありません。
実は、成否は、性格、特に、素直さがとても大切です。自分の子どもを自慢する母親もしましたが,その真否はどうでもいいのです。わたしが気になるのは,そういう周りの賞賛に慣れてしまった当の本人のことです。そういう子が、人を見下す傾向があるとか、世の中がわかったような口を利くとか、人を揶揄するとか、そういうことすべてが、合格からは遠ざかる行動のように思えてしまうのです。そういう素直さとは真逆の行動が不合格の方向へとベクトルが強くはたらいくように思うのです。
素直さというのは、純朴さ、擦れてないこと、正直さなんですね。
世の中を知ったような口を聞き、人を食ったような態度をとる。確かに、知能もそれなりに高く、精神年齢も高いのでしょう。それは否定はしません。しかし、断言できるのは、受験の成功からは遠ざかるであろうということです。わたしが見てきた成功する人というのは,こちらが敬うほど素直であり,純粋であり,正直であり,なによりも謙虚でした。
みなさんは,これから、高校受験、大学受験、大学院試験、資格試験と幾多の試験を潜り抜けなければならないことでしょう。そのどの試験においても、勝ち抜けるのは、素直な姿勢、先人を敬い先人の教えに従う素直さのある人です。
我流は必ず身を滅ぼします。とかく自信家は、自己のやり方にこだわるところがあり、他人の意見を価値のないものとして聞き流します。なによりも自分のやり方が第一という前提で考えて行動するのです。人を信用しないのです。しかし、自分で考えるより他人のアドバイスにしたがうほうが、効率、成功率が高いのは当たり前のことなのです。
自分で自分を見るより、他人が自分を見たときの方が、断然客観的に見ている。
親が子を見る目は曇っていることが多い。どうしても贔屓目に見てまう親が多い。特に、過保護、超甘の親、特に、母親の目は、偏眼、偏脳で、わたしが母親を苦手とする所以でもあります。
受かってほしいという思いが、偏った判断になるのです。
それから受験、受検というものは、とにかくカネをかけなければ受からない、そういうものだ、ということは、知っておいたほうがいいと思います。この点、早くから、子どもを進学塾に通わせる中学受験の親、特に、母親というのは、よく心得ていて、季節講習は目一杯受けて、さらに土曜特訓とか、日曜特訓も申し込み、中には、家庭教師を雇う家庭もいる。最初から受験はカネだとわかっていて行動している。
ところが、公立中高一貫校制度ができたから初めて受検をと考える人たちは、もともと塾などにカネをかけることなど考えてもなかったわけで、とりあえず右にならえで塾にやるわけです。できるだけ塾にはカネをかけない算段をするし、季節講習もできれば出ないか、出ても最低のコースを選ぶなど、教育効果よりもモノを節約するという考えで判断するわけです。要は、カネをかけない方法で受かろうと考えるわけです。もともと教育は投資であり、カネはかけるときには惜しみなくかけるという人たちと違うわけです。
中学受検はともかく、これから高校受験、大学受験、もしかしたら大学院受験、法科大学院、など、試験は続く。例えば、塾代、予備校代なんかを惜しんでいたら、まず、受からない。教育にかけるカネは節約になじまないのです。東大生の8割が裕福な家庭だというのは、高学歴な親、例えば,医師、弁護士、一部上場企業の会社員など、カネをかけられた人たちということです。親ガチャということが言われていますが、本当のことです。
近年は、都立中高一貫校受検層の少なくとも8割が、私立中学受験の子たちだと思います。小石川などは90%以上は難関中学の併願だと思います。
ご存知のように、私立中学受験の子達は、早い子で小3、通常は小4から、大手進学塾に通い、目一杯のカリキュラムをとります。季節講習も目一杯とり、そのほかに、土曜特訓とか、日曜特訓なんかもとります。大手の夏期費用は、平均30万円前後です。家庭教師をつける家庭もあります。とにかく私立受験の親はカネをかけることが合格に直結することを知っているのです。
ところが公立中高一貫校しかないという家庭というのは、傍らサッカーやったり、バスケやったり、習い事、稽古事もやめません。受検をその程度でも受かるという認識です。カネかけないで受かれぱラッキーと考える家庭も多い。またもともと受験など考えていない、経済的に無理、そういう家庭層が公立ということで色めきたった、そういう特色も大いにありました。
ところが、昨今、これまでのように、以前のように、合格できなくなった。
明らかに私立受験層の影響が出ていると感じています。
これまでのように、塾では最小限カネのかからないコース設定をして、家庭学習時間に託すというやり方が通用しなくなっています。
真のライバルは、公立中高一貫校しかない層、つまり公立中高一貫校対策の大手塾に通う子たちではない。サピックスや早稲アカに通う進学組です。ここを踏まえてわたしはもはやこれまでのようなカネをかけないやり方では受からないということを痛感しています。
ここ数年、そのように考えなければ理解できない不合格例が相次ぎました。すなわちこれまでだったら受かっていたであろう子が落ちるケースが出るようになったのです。
教育投資におカネをかけられない層はもはやこれまでのようには行かない。私立受験層が真の敵、ライバルである限り、それに見合う時間をかけなければ対応できないことは明白なのです。
このことは、高校入試では、当然のこととしてきました。すなわち高校入試にカネをかけない生徒、家庭はこれまでに成功した例はほとんどなかったのです。
わたしは「手をかける」指導というものをここ2年実践しています。ひとつは令和4年の筑駒・開成などの合格を果たした受験生の指導においてでした。さらに,令和4年,令和5年の都立広尾高校の合格でも「手をかける」指導を実践しました。正直このような「手をかける」やり方はとてつもなく体を消耗することになり,体力的にも辛いものでした。塾の指導のない日もほとんど朝から終日レジュメ制作や問題を解くこと,添削・採点に時間を取られました。体調を毀し医者に通いながらなんとか切り抜けたものです。指導で過去問などを使ってチェックを欠かさず,弱点・問題点を発見したら,その対策を思案し,有効策を考え試し,また別の方法を試すなどありとあらゆる手をかける,手を尽くしたものです。ですから,合格したときは,うれしいというよりはとにかかく「これで解放される」とホッとしたものです。いろいろ考えていたら夜眠れなくなって,明け方4時ごろに目を覚ましてしまう。これではその日の指導ができないと医師に睡眠薬を処方してもらいましたが,とにかく受験直前は体力・体調とも限界をはるかに超えていたのでしょう。試験が終わった途端にさまざまなところが一気に病気として発現してしまいました。
わたしにはどこをどのようにすれば合格できるというのがよく分かるのです。都立広尾が危ないということはわたしには大変なことでした。小学から来ていた子ですから,落として悲しい目にとても会わせられない。それでわたしも真剣になりました。というなんとか合格させなければと必死でした。考えられる手はすべて尽くしたつもりです。竹の会は教材費なんかとらないのですが,だからといって教材を惜しんだら受かるものもうからないことは分かっていました。だからもう赤字なんですけどカネはかけられるだけかけてどんな教材でもいいとわかれば調達しました。筑駒・開成の指導のときは正直毎月の教材費が月謝を超えていました。それでわたしは合格を取りました。
手をかける指導とはそういうことです。合格のためにはすべてを惜しまないということです。
受験というのは,中途半端にカネをかけるのなら合格など期待しない方がいいと思います。特に,トップ校を受けるのならそうです。