2023.10.17
🎵もともと竹の会は中学受験をやっていた❗️
「私立受験に切り替えましたので退塾します」
長く公立中高一貫校の対策塾を看板にしていると、こういうのがいます。
正直笑ってしまいます。
もともと竹の会は、公立中高一貫校制度がスタートする前は、普通に中学受験をやっていましたから。いや平成19年初めて受検した年に区立九段の合格者が出ましたが、20年には、慶應藤沢中学に合格者が出ています。その後、公立中高一貫校受検生の中から、宝泉理数インター、東京農大一中学、攻玉社、巣鴨中学など多数の私立の合格者がいます。
竹の会の中学受験の歴史を思い起こしてみます。
第一号は、獨協中学ですね。それから東洋英和女子、実践女子、山脇、昭和女子、大妻、光塩、国学院久我山、吉祥女子、日大二中、立教池袋、郁文館(高校は都立北園に進学しました。受験は竹の会からです)、まだたくさんあります。思い出すのが難しいですね。
平成10年代は、東大附属中学によく受かってます。
ただ私があまり関心がなかったので、ここは手を引きました。
当時、竹の会が取ってきた方法が言わずと知れた「過去問合格法」でした。過去問(志望校の過去問に限りません)を偏差値50あたりから次第にあげて過去10年分ずつぐらい、解き尽くしていく。そしてそれらが冊子になったら7回解き直しをやる。これでたいていは受かりましたね。
竹の会はもともと算数、数学で名を馳せた‼️
平成一桁年代、代々木中学と上原中学の生徒がたくさんいた。彼ら彼女らは、ほぼ全員が数学5を取り、それぞれの中学の数学5を竹の会だけで独占しているのではないか,と思われるほどであった。
当時、竹の会の数学は、近隣に名を馳せた。近隣の秀才、才女が、有名進学教室に通いながらも、竹の会に教えを乞いに来た。」
上原中学で学年一番の女子が、昴(当時渋谷にあった超有名塾)で二番、どうしても1番の筑駒生に勝てないと入会してきたり、英語塾に通う子達が数学の噂を聞いて駆け込むなど、竹の会の数学はわたしの手を離れて遠く一人歩きするようになっていた。
当時の竹の会は地元塾であったから、今のように、23区から人が来るなどということは滅多にはなかったが、それでも横浜の高校から通ってきた生徒や埼玉県の春日部市から通っていた生徒、町田市などからの生徒もいました。
わたしは、高校受験を専門にやっていましたが、依頼があれば、中学受験も、大学受験さえもやりました。中学受験は、高校入試では定番の過去問合格法でした。
今の竹の会は、独自の算数体系を完成させて、竹の会の子たちは算数にずば抜けた子たちが育つようになりました。そういう子たちが私立を受けることもあります。攻玉社の算数選抜は、定員に3名で、算数だけで選抜します。500人だか、900人だか、とにかくすごい人数が受験します。同様な選抜試験を巣鴨もやっています。竹の会の子がその両方に受かってしまいました。その子は桜修館に受かりましたので、少し悩んだようですが、桜修館に決めました。ちなみその子の姉は、竹の会から都立富士に合格し、現役で早稲田大学政経に合格しております。もちろん一般受験でした。
竹の会の算数は、大手のようなテキストはありません。レジュメ指導です。しかし、ここ数年、レジュメの体系化が進み、かなり効率よく算数を進められることとなりました。特に、早くから入会した子たちの算数の実力が著しく、竹の会の算数指導体系の確かさ証明することにもなっています。
こういう子たちが私立受験をしたとしても、遜色はない、そう思います。一般には、知られていませんが、竹の会の国語指導は近年特に充実してきたように思います。
ただ国語の本、もちろん読解の本ですが、いつかは書きたいですが、今はまだその時期ではないと思います。わたしがまだ本を読みたりないこと、わたしの方法が確立していないことによります。
わたしの専門は、数学、算数であり、次に、書くべき本は、それしかないと思っています。
竹の会の数学レジュメは高校入試において考えられない結果を見せてきました。特に、「海城シリーズ」、「学芸大シリーズ」というレジュメの威力が驚異的です。
わたしか、選んんだ、良質の問題に、わたしが考えたオリジナルの解説、解答が、すべてに付けられています。それを繰り返すだけで、爆発的な力となって、現れてくるのです。
わたしは、算数、数学レジュメ作りの天才かもしれません。
とにかくわたしのレジュメで勉強した子たちが、信じられない力をつけていく。これは竹の会では、普段に見られる奇跡です。
令和4年のことでした。小学校4年から見てきた竹の会の男子が、いよいよ中3になって、6月いよいよ駿台模試デビューを果たすときがやったきました。実は、竹の会の中では、わたしは、中2までに、彼が多くのことを成し遂げてきたことを知っています。様々なことをやってきました。わたしは、彼によく言いました。「駿台で全国1番を取ってこい」、これはよく言いました。だからわたしはそのつもりで、1週間単位で、必ずノルマを課しました。たいていは問題集を一冊渡し、「これを1週間で終わらせてこい」でしたね。ひとつ終わる度に、わたしは、次のノルマを課しました。駿台模試全国一位は、わたしが、「取ってこい」と命令しましたね。それだけのことはやったつもりです。考えられるあらゆる手を尽くしましたからね。古典,現代文,理科で何冊やったかな,社会もすごかった。わたしは駿台模試で結果見て見たかった。そういう思いがあった。そしたらほんとうに1番取ってきた。志望校に日比谷書いたら、1500人ほどの一位、慶應志木書いたら2500人ほどの一位、早稲田高等学院書いたらまた1番、開成1位、筑駒1位、これで、わたしは、わたしのやり方に自信持てましたね。わたしのやり方でよかったのだ、そう思いました。
あと、本番まで、病気しないか、それだけ心配しましたね。開成の前日大雪だったのは焦りました。とにかく、無事切り抜けられて感謝でした。
受けさえすれば受かると思っていましたから。
いつも、子どもたちを試験に送り出して、本音はドキドキでしたが、考えないようにしました。何も考えないときの方がいい知らせが突然舞い込んだことが多かった。ずっと不安にしていると、予想通りに不安的中,悪い予想がそのまま現実となったものです。
掲示板のどこを探しても「ない」。そういう経験は何回もあります。そういう経験がしだいに用心深い性格,用意周到な準備,アリとキリギリスのキリギリス的生活を戒めることに向いているのかなと思います。ほんとうに合格したいのなら,手を緩めたらダメですよ。
今の竹の会ほど充実した指導水準にある時期はないと思います。