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検査指導とアウトプットの威力

2024.09.07

検査指導とアウトプットの威力
 指導の極意は、アウトプットを中核とするところにある。大手の授業、というか一般に授業形式というのは、インプット100%なのである。そもそも「教える」というのは、インプットにほかならない。インプット段階では、理解することに神経が集中する。また家庭学習のインプットは、理解と記憶が主な思考の使われ方であろう。
 アウトプットにおいてこそ、理解しているのかどうか、知能の限界、転向の才、法則を抽象化し使い回すこと、事実を図に表すこと、図から意味ある関係性を読み取ること、そうした体験が初めて為し得るのである。
 またアウトプットにこそ理解の綻び、実は理解していない、そういうことがわかるのです。インプット重視の大手の方式は、自信家、自尊心の高い天才、凡才には、わかったつもりを増殖させることになります。また、インプット段階で、消化不良がかなり出るはずです。そうなると大手のアウトプットは大商売となる模試ですから、成績が取れないことが、公証されることになる。大手に子どもを通わせる親の憂いは尽きることがない。大手に通う大半の子が、別に個別指導塾に通うのも大手の想定内の戦略です。できないのは、大手のせいではなく、自己責任ということです。だから能力の足りない生徒は自分でなんとかしなさいというわけです。こうなると落ちたとしてもこれも自分に能力がなかったからだと文句を言う者はいない。
 もともと受験というのは、塾に行ったから100%受かるということにはならない。予備校に何浪もしているのは、あくまで自己責任だから成り立つ話しである。竹の会で「先生の言う通りにやったのに落ちた」などと文句を言う親には、受験が自己責任だという意識はゼロである。「言う通りにやった」というのは、コースに通い講習も出た、つまりカネを出したという思いからだろうが、講習は節約型、子どもが言う通りにやったこともない。親は知らないのか。課題はほぼ出していない。解き方は自己流、つまり学ぶ姿勢の欠如、答えが一致したらいい、それでは工夫脳は育たない。素直にわからないものは教わる姿勢は実は大切である。反省の機会がないのは進歩もない。
 よく大手の親に共通してあるというか、世間一般の親に共通なのかもしれないが、教材の答えがわかり、解き方がわかればすべて解決、ほかになにがあるという姿勢である。補習塾に通い、家庭教師をつけて、とにかく答えがわかれば、解き方がわかれば、終わり、だから、竹の会の教材を家庭で教えてはならないというと、「納得できない」と文句を外で言う。
 何度も言ったきたが、竹の会の教材は、わたしが子どもの思考力を測るために開発し、そのために提供している。だから大手のように膨大な数の問題ではない。わたしは検査とその後の対応、つまり指導をどうすればいいのか、それを常に把握しながら指導したいのです。家で親が解いた問題に丸をつける意味はない。子どもがとにかく持ってきた答えに丸をつけて、次へ進める、それではわたしは、本当にその子が解いたのか、わからないままに、とにかく丸だからと進める、が、すぐにオチがくる。新たな問題になんの心境の変化もなく、相変わらず解けないのだ。
 かつて竹の会では難関とされる「新速解」を3日でやり上げてきた子がいた。教室では1問を何時間かけても解けないのに、家庭で自分で解いてきたなどという。この3日で何が育ったというのか。
 答えが合えば、それで思考力はたったの3日でそのままに実力者になったというのか。大手から来た子は得てして竹の会の先に進んだ子たちを見てとにかく早く進めて追いつこうとする。しかし、それは不可能に近い。それよりもあなたたちはいったい大手で2年も何を学んで身につけてきたのですか。と問いたくなる。
 その子は桜修館をなんなく落ちた。意味のない勉強というのが親はわからない。その子は大手から小6の夏前に来た子であった。

 これも余談になるが、竹の会に小学低学年からいた子の中には受検に成功してもしなくても高校、大学と成功を収めた子たちが多い。東大、京大、一橋大、東工大などに竹の会から多数合格している。しかし、なぜか中学から来た子たちには成功した者もいるにはいるがどうしても落ちこぼれが出るようである。

 受検と受験は違います。都立中受検は私立には出せる経済的余裕のない家庭の希望の星でした。しかし、平成28年にはもう小石川受検者の80%が併願者でした。つまり経済的に余裕のある層が都立を受けるようになったのです。これまで塾にもそこそこしかカネをかけられない家庭がここで放逐される事態になったのです。私立受験というのはかなりの経済的負担を覚悟しなければならい。特に、大手の費用は膨大である。ある話では開成中学に合格したところで預金通帳が底をついていたということである。

 

 

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