2020.11.26
◎楽して済まそうとしてはダメだ!
先人の教えに遵うこと、これは、DNAに本来組み込まれているはずのものです。しかし、このDNAは、環境によっていくらでも潰される。人間には、野心、自尊心という厄介なDNAが、こちらの方はかなり鞏固に組み込まれているからである。いやもっと怖いDNAがある。怠ける心である。この怠ける心というのは、人間にとってもっとも恐ろしいウィルス(鬼)のような存在です。忌むべき「不作為」の元凶になる。私たちが最も忌避しなければならないもの、それが、不作為です。ゲームに興じる、家に篭る、働かない、こういう不作為が己が人生にもたらす災厄は計り知れない。
楽して済まそうとする神経、このニューロンは確実に怠ける心の中枢に繋がっているのではないか。
人間の心は弱いものである。ちょっとでも気を緩めれば、この「怠ける心」が頭をもたげてくる。いつしか心を支配するまでに成長も速い。
辛くても苦しくても楽する方に逃げるな!
そのために自分に都合のいい口実を作るな!
子どもというのは、どう言えば親が動くか親の弱みをよく知っている。自分はこんなにも一生懸命に頑張っているのに、頑張っているから、と親の琴線に訴える。
楽して済まそうとする安易な性格というのは、受験には向かない。勉強をセーブする、ノルマを軽くする、時間を少なめにする、こういう姿勢は、本人には、少し少なめという軽い気持ちなのであろうが、もちろん僕はこんなにも頑張っているという言い訳がその子の心を支えているのだが、これは破綻の竈門に身を投じる行為です。少し楽にやる、これは本人の都合です。客観的な情勢を見てこれだけのものが必要だからということではない。飽くまでも本人の主観を優先させただけである。一方で受験合格という目的はある。これは両立しない話しである。目的というのはその実現に向けた努力を必然とする。1年も、経てば、その答えが如実にあからさまになる。取り返しのつかないことになっている、破滅の竈門に、身を投じて、気づかない。
そもそも子どもが「こうしたい」というのは、ほとんど破滅の選択である。親は「うちの子がこうしたいと申しております」とよく言う。しかし、子どもの「こうしたい」は破滅の選択以外はない。「道」というのは、先人の知恵を借りて進むものである。この道に本人の選択の余地はない。道は進むしかないのである。道の進み方は自由である。途中の景色を楽しみながら進む道もあるだろう。人それぞれである。年齢は道の進み方を規定する。若い時は、一気呵成に進むのがよい。道草は後々人生を詰める。目標を定めたら無我夢中で進むのがよい。よそ見をしない。寄り道もしない。道は迷わず一直線に進むのがよい。迷っても休まないで信じる道を進むのが良い。辛いからと言ってすぐ逃げれば、そういう生き方を選択したことになる。逃げ場所は、親の懐ではないか。本来、道は親から離れる道なのである。いつか一人立ちして親の元を離れる。道を進むとはそういう選択をすることにほかならない。
ところで、未来の道は、みずから乗り越える性質のものではない。先人の教えに従いながら進むのである。先人の教えに倣う。これが最も正しい選択である。先人の教えには素直にしたがう。自らの考えなどちっぽけなものである。狭隘で偏見に満ちた己の考えなど捨ててしまえ。歴史は先人の知恵の宝庫である。いやいや学問というのは、すべて先人の遺した知的教訓ではないか。わたしたちは若いときに、先人の遺した知恵を教育という機会を通して学ぶことができる。ただわたしの言っている先人の知恵とは、そうした遺産をどうやって学ぶかということの先人たちの教えのことを指して言っている。少し例を出してみる。
難関国家試験というのがある。文系の日本で難関と言われるのは、かつては司法試験であった。今は、法科大学院に行けば普通は受かる。合格者も年間1500人という量産である。仕事のない弁護士が溢れている。かつては医師を増やせということで各県に医大が設立されたが、こちらは量産というわけにはいかなかった。しかし、それでも流行らない医院というのはある。今、難関と言えば、公認会計士試験だろうか。公認会計士にしても弁護士にしても仕事のできない人間が必ずいる。藪医者が必ずいるのと同じである。試験に合格するまでが精一杯だったという人間が少なくとも2割はいる。
さて、この難関試験に効率よく合格するには、今は予備校の世話になるのが一番早い。要領のいい人は2つの予備校をうまく利用している。教材が欲しいからこの予備校、こういう講座をやっているからこの予備校、導入を学ぶにはこの予備校といった具合である。そうなのである。とにかくカネがなければ受からない。法曹も会計士も医師もなるにはとにかくおカネがかかるのだ。独学ではなかなか受からない。難関試験をクリアした人たち、つまり狭い意味での先人に学ぶのが一番いい方法である。こういう試験では若い人ほど受かりやすいのは、若い人は自らの考えに拘らず先人の教えに素直にしたがう人が多いからである。自分が知らないことをよく理解しているのだ。ベテランは自分の考えに固執するから一生受からない。
そんなことは歴史が教える、当たり前のことではないか。難関資格試験の勉強をするときに、最短で合格する方法は、先人の教えに従うことである。先人は何人いてもいい。ただ船頭多くして船山に上ることのないように注意しなければならない。ただそれにしても自分の判断だけは信用するな! 信用してはならない。
勉強のコツだって同じことだ。先人の教えにしたがって勉強すればいいだけのことだ。独学は回り道になる可能性が高い。
受検や受験では、口出しする母親、たまに父親は、害となる。合格を妨害する存在でしかない。学校説明会やママ友との情報交換で情報を持て余して、余計な口出しをしてくる。こういう人たちは、先人ではない。受検、受験を差配する母親の子が失敗した例なら事欠かない。
さて要約すれば、成功には、先人の教えに「素直に」従うこと、である。