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模擬試験で試されているものは何か/

2020.09.29

 

◎模擬試験で試されているものは何か
 勉強してきたという経験の証しか、時間をかけてきたという時間の成果か
 

 模試は、どれだけ記憶していますか、ということか、記憶量を検査しているのか。
 模試は、知識の有無を確かめているのか。
 読み取る力、判断する力、論理的に考える力、を試すと都立中高一貫校の目的にはある。
 さて、今の巷の塾のやりかたは、試験の実体に即したものとなっているのであろうか。
 子どもの利益を純粋に追求する姿勢というものはなかろう。塾というのは、どうしても商業主義から抜けられない。まず第一に利益である。その上で、試験の対応も決められてくる。ところがこれがいけない。利益になればなんでもやる。たとえそれが子どもの真の利益にならなくてもだ。親の大手信仰には揺るぎがないから、大手の言われるままにカネを出す。小石川対策クラスとか、志望校別にクラスを作って生徒を集める。だから「小石川に合わせた指導をしてくれるのですか」みたいな質問が出てくる。そもそも都立中高一貫校の志望校別に細分して対策取るなんて意味わからん。
 さて、模擬試験とは何か、である。
 母親には、本番の雰囲気に慣れる為とか言う人もいた。

 時間配分を覚えるためだという親もいた。

 試験慣れするためだという親もいた。

 それぞれに結構なご意見とは思います。
 が、そういう方たちが、この模擬試験で一喜一憂して、成績良ければ天下取ったり、悪ければ地獄に落ちたり、と喧しいのは、いったい、当初の趣旨は何処へ消えたのでしょうか。
 わたしの見解
 わたしにとっては、模試は、血液検査みたいなものです。
 信用ある模試なら合否判断にも使える。去年までのv模擬とか、w合格模擬は使えました。今年は 新型コロナのため自宅受験となり、正確なデータとは言えなくなりました。都立中なら早稲田進学会が昔は信用できました。今でも「まだましか」です。都立中受検のための模試は、ばらばらでそれぞれ母数が少ない。使えないものが多い。
 模試で成績が取れない場合は、まず、ほとんど合格の目はない、思います。その逆に、よければ受かるというものでも当然ない。模試が安定的にいいのはもちろんいい兆候です。変動が激しい子はたとえ飛び抜けていい成績をとったとしてもたいてい落ちています。右上がりに成績が伸びている子は受かることが多いようです。逆に、右下がりの子は落ちてますね。
 
 血液検査と同じだ、という主旨は、実は、模試から、子どもの真実、事実が見えてくるからです。普段から、だれの力も借りずに考えて解いているか、ということは大切です。だからわたしは、親御さんが家庭で教えることをまず禁止しています。ところが、たまに黙っていられないのか、教えている節がある。当の子どもは「ちょっとヒントをもらっただけ」などと言っていますが、それが本当かどうかは、すべて血液検査、つまり模試でわかります。よく人に説明聞いている子というのはまず模試で成績をとることはありません。市販の解答見てわかったとか、説明聞いてわかった、などというのはだめなんです。だからわたしは大手が授業で「わかりやすく」説明するのはだめだと言っているわけです。子どもというのは、「説明」は毒になる。ただ毒をあえて呑ませるというのはあります。しかし、毒を飲ませ続ければいずれ死ぬことになる。

 そうなんです。子どもを指導するというのは、実は非常に困難なことです。説明という毒を使って治療するからです。だからわたしはできるだけ優秀な子を求めている。それだけ毒を投与しなくてすむからです。
 検査を受けたがらない人という人が必ずいます。真実を告げられる、真実を知るのが嫌なのです。模試を受けた回数が極端に少ない、できるだけ受けない方向ですませようとする。かつて「先生が受けなくていい」と言ったから申し込んでいない、という親がいましたが、それはまずない。
 検査の数値の示すもの
 紛れもない、子どもの脳のある段階を示している、あるいは示唆している。普段の勉強の態度、姿勢がわかる。自分で考えてきたのかどうか、が実は模試でわかる。

 受験では、「ひく」子はだめです。何かとひく子のことです。受験はとにかく「食いつく」子がいいのです。かつて夏休み自由研究に没頭してほとんど勉強できなかった小6がいました。これも実は竹の会の指導からは「引いている」ということです。

 事実から目を逸らすな!
 人の意見、言動は、正直信用できない。人の意見にかかわっていると、偏見、無知、無能のリスクから避けられな。
 私たちは、事実のみを信じることができる。だからわたしは子どもが実際「勉強した」という言は言として耳を傾けはするが、それを信用はしてない。わたしが信頼するのは模試という結果から子どもの真実を「見る」ことである。

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