2022.05.23
機関車の音は聞こえないか
これはわたしの高校の徳田先輩の話しである。先輩は、私が高校に入学した年には、既に卒業していて、顔を見たことはない。ただ数学の柿本先生は、よく徳田先輩の話しをされていたので、記憶に刻まれている。先輩は、東大に進み、現役で司法試験に合格、その後弁護士として、有名な公害訴訟などに活躍されている。家が貧しくて、学校には、つぎはぎだらけの学生服、靴が買えないので、古びた下駄を履いて通っていた。家は、日豊本線が通っている線路の脇にあり、列車が通るたびに、家がガタガタと大揺れしたそうです。担任だった柿本先生が、家庭訪問で訪れたときも、何分かおきに汽車が通るたびに家はゴーゴーと地響きをたてて揺れたそうです。先生は、「君は、この音が気にならないのか」と尋ねたら、「勉強していたら何も聞こえません」と答えたそうだ。
凄まじい集中力であると思った。
ただ最近この話しを思い出すのは別の意味からである。
何が重要か、何がどうでもいいことか、重要なことは、一つである。それ以外は、すべて須くどうでもいい、そういう判断、というよりは、割り切りである。そうでなければ、汽車、機関車のゴー音は、いつまでも気になる、だからそちらで、勉強できない、と潰れるだろう。司法試験や司法書士試験の受験生には、基本書にちょっとでも汚れがあれば、もう価値がない、捨てるという変人がかなりいる。高じると他人の触った本もだめという、おかしいのがかなりいる。こういうのは、決して受からない、ことになっている。この奇習は、あらゆる場面で出てくるから、何が重要なのか、わからなくなる。重要なのは、核心は、本に書かれていることである。紙という媒体が汚れていようが、どうでもいい。機関車のゴー音が気にならないというのは、このことである。何が重要か、重要なことは何かが分かれば、大切なものは、一つしかない。それ以外はどうでもいいことである。重要ではない、そう判断したものは、歯牙にも掛けない。そういう姿勢こそ肝要である。何が重要か、それさえわかれば、つぎはぎの制服も下駄も気にならない。大切なものは何か、そこが定まらないから、どうでもいいものを欲しがる。勉強し易い机、自分だけの部屋、最新のスマホ、あれこれと欲しがるのは、何が重要かわかっていない。迷い道の人生を送ることになる、のは、どうでもいいことばかりに気を盗られるからだ。
重要なことは一つしかない。そして人生はその一つのために全身全霊をかける。重要なものを突き詰めるとき、他はどうでもよくなる。気にならなくなる。機関車のゴー音が聞こえなくなるほどに、一つのことに収斂する、そういう人間になりたい。わたしは、そういうことを思うとき、あの徳田先輩の話しをいつも思い出す。柿本先生は、数学の先生でした。既に鬼籍に入られて久しい。
概説が一番難しい
素人が書けば長くなる。司法書士試験に合格した人が、予備校の講師になる。するとたちまち民法やら刑法やら、民訴、民執まで、基本書を書く。それがやたら分厚いのだ。ちょっと待ってくれ、と言いたくなる。私は司法試験を受けていたので、学者の本はいろいろ読んだ。会社法一つにしても、名著と言われた鈴木竹雄の「会社法」があるが、前田傭や江頭憲治郎の会社法は800ページに及ぶ。前田の文は、一文が、数ページに渡ることもある悪文でもある。つまり、まともに研究者が書けば圧巻になる。研究者が書くのはわかる。自分の研究成果を自分の見識で著す。当然のことである。しかし、高々資格試験に合格しただけの、ばかりの青二歳が、しかもかなり国語力が怪しい、そういうのが、いきなり会社法を書くなど考えられないことである。何か学者の本を見ながらつぎはぎだらけの知識になるのは目に見えている。これを予備校は商売だから仕方ないかとも思うが、受験生がありがたがるのは、わたしにはとても理解の域を超えている。
最近、わたしは、かつての名著と言われた法律書をメルカリやヤフオクで、手に入れた。一粒社の民法、通称ダットサン民法は、簡潔な文章で、無駄がない。必要十分とはこのことか。私が大学生の頃は、一粒社のはハードカバーだった。その一粒社は2002年に廃業し、今は勁草書房というところがダットサン民法を引き継いでいる。原著は、我妻栄、有泉亨だった。それから弟子たちにより、法改正のたびに改訂された。ソフトカバーに変わり、厚さも増え、コンパクトさは減じて、もはや名車ダットサンのような小回りは効かない。私は、我妻栄、有泉亨の名文が好きだった。だから、ヤフオクやメルカリで探した。そしてなんと一粒社のハードカバーを見つけたのだ。書き込みなしだ。同じ名著に、鈴木竹雄の会社法がある。これは私の所蔵本にある。兼子一の「民事訴訟法」、これは、鈴木竹雄と同じ弘文堂のもの、アマゾンで見つけた。簡潔な名文である。とにかく無駄がないというのがいい。大学生のころは、持っていたのに。会社法は弘文堂から、神田秀樹元東大教授の名作が出ている。もう24版を重ねている。鈴木竹雄元東大教授の名著に引けを取らない。簡潔というのは、ページ数が減らせる分、説明不足ととられがちだが、簡潔な名文は過不足なく全てを語る。法律の文章ほど、その著者の研究、思索の深さが、抽象化という濾過を経て、簡潔な無駄のない文章として、完結しているものはない。
予備校の講師の書いた法律書に、名著があるとは寡聞にして知らない。ただ大学入試の予備校講師は、別である。こちらは、研究書ではなく、答えが必ずある参考書、問題集の話しであるから。
そういえば、経済学の専門書に名文があるとは聞いたことがない。マルクスの資本論を超えられないままではないか。
政治学では、東大教授だった、先覚者丸山眞男が名文を書く。政治の文は、法律書とは、違い、論説である。仮説的論証である。名著「現代政治の思想と行動」は、私の好きな文章の一つであるが、わたしには、どうしても法律論文集の方が読みやすい。愛読の論文集は所蔵本である。私の自宅の書架には、小林秀雄全集がある。愛読書である。三島由紀夫の「不道徳教育講座」は、初版本を手に入れた。文庫本で出ているが、いずれも鋭い文才というもの、世の中には、文才というものがあるのだとよく教えてくれる。
第7回国語の解き方講座 指示語について
指示語は、問題を解くためによりも、文章を読むためにクリアーしておかなければなりません。指示語は「言葉をつなげる」という重要な役目があります。指示語を使わなければ文章は書けないし読めないのです。
原則 本文中に登場した指示語は、たとえ問題になっていなくても読みながら、その指示名祝うを確認しながら、読むこと
読解のない人というのは、指示語を読み飛ばす傾向があります。指示語の指示内容を追っていないのです。だから、当然文章は読めていないのです。こういう人は、ただ、文字の並びを目で追っていただけということです。しかも、語彙が足りない子の場合、黒塗りの語が多すぎて、内容をとるどころではありません。
◎指示語の種類
①指示語の直前・少し前を指す
②指示語のかなり前を指す
③指示語の直後・少し後を指す
④文中にない言外のものを指す
◎指示語の問題の解き方
①予想する。指示語の直前直後、特に直後を読んで、指示語の内容を予想する。
②探す。その予想に従い、「原則」として、指示語の前から探す。
③確かめる。見つけた指示内容を、指示語部分にあてはめて、文章が通るか確認する。
注 指示内容は近いところから、つまり指示語と同じ段落から検討する。
◎指示語の分類
①ここ、そこ・・・・概念上の場所を指す。
②これら、それら・・・・複数のことがらを指す。
③このような、そのような・・・・広い範囲、または複数のことがらをまとめて指す。
◎まとめの指示語があれば、かなり広範囲の内容や複数のことがらをまとめるという働きがあります。まとめるというのは、当然その下はある程度抽象化された内容が書かれているはずです。この場合、具体例をただ単に一般化して場合もあれば、筆者の意見が書かれている場合もあります。
「まとめの指示語」には次のようなものがあります。
こういう、そういう。こういった、そういった。こうした、そうした。こうして、そうして。このような、そのような。このように、そのように。 以上
こういう指示語の後には、筆者の主張が来ます