2019.09.17
第14章 割合を家庭で教えられるのか
小学校は学年で教える事項を決めている。「一袋に8個のキャンディの入った袋が7袋と17個のキャンディがあります。全部で、何個のキャンディがありますか」、これは、ある小2の母親がSNSに投稿して話題になった問題である。その小2の子は、8×7+17=73と書いて、バツとなり、担任に、「ナニこれ?」と朱書きされた。教えてない掛け算を使ったから、ダメらしい。正解は、(8+8+8+8+8+8+8)+17とやるらしい。いや一説によると、7+8+17=32 とやった子がマルをもらったらしい。
小学校教師というのは、竹の会からも二人ほど出ている。いずれも新宿高校から学芸大教育学部に進んで教師になった。郷里の大分だと、大分大の教育学部出て、小学校教師になるのが多いが、高校教諭だと、広島大の教育が、一番多かった。たまに、一橋とか、東工大なんかもいた。もちろん東京教育大、今の筑波大もいた。
小学校教師のレベルが低いのか。中学だと体育会系の教師は頭が悪い、と思ったことがある。これは、高校でも同じで、いや高校の方がひどいかもしれない。高校だと、国体に出たとか、体育能力が優れていて、頭は空っぽというのが、ゴロゴロいた。まあ、中学も専科制だから、体育教師は、体育だけやってればいいわけで、頭は空っぽかもしれない。体育教師は、生徒に高圧的な人が多く、やたら威張り散らす、感情でものをいう、という印象が強い。わたしの高校時代は、国体開催ということで体育教師が集められて、三十人はいたか。体育教師だけの職員室が、体育館の横に建てられた。かなりひどい教師ばかりで、まともな授業はなかった。いつも高圧的でガンを飛ばしてきた。警察に逮捕された教師もいた。
小学校教師の常識は、社会の常識ではない。自分たちで決めたルールが、どんなに常識とは、かけ離れていても、つまり不合理、理不尽なことに気づかないバカ教師が溢れているということである。本末転倒も甚しいが、先の小学校教師は、かけ算を教えていないのにかけ算を使うのは、「平等」ではない、という論理のようである。つまり、学校で教えていないことを知っているのは、塾に通える子だろうから、不平等だ、というのである。しかし、先の問題は、かけ算を使うのが当たり前の問題である。かけ算を使わせたくないのなら、もっと問題を工夫しろ、と言いたい。それよりも学問の世界で、向上心のある者、努力した者を不平等として、排除するということは、学問というものの、本質を弁えない愚論である。この小学校教師は、努力を否定したのである。やはりバカ教師だ。こういうバカ教師ばかりだとすると世の中真っ暗だ。
竹の会では、そんな生易しいことはやってない。小2でも、かけ算どころか、小数の割り算をやらせるし、分数だって教えるだろう。要する、学問を6段階に分けて、履修事項を決めるのは、飽くまで便宜的割り振りであり、もともと能力に優れた者が、より上の履修事項をマスターすることが、悪とする、本末転倒の愚考を常識と信じたバカ教師は救いようがないが、学校の決めた割り振りを金科玉条のように振り回すバカ教師はともかく、世界は、天才に飛び級を認めてその天分を称え伸ばしてやるという、当たり前のことを制度化もした。そもそも中学、高校で、より進んだ知識を学年を超えて修得したからといって、非難されることはない。教育と平等を履き違えた、勘違い教師が蔓延するのは、嘆かわしいことではあるが、形骸化した制度と梗塞の進んだ脳の寄せ集めの学校、忖度PTAのコラボでは、先は見えている。
そもそもそんな学校だから、まともに計算もできない小6や割合を理解できない小学生が、蔓延することになるのだ。
竹の会が、小学生の割合指導に取り組んで、早十年以上の歳月が流れた。小学生に割合をどうすればわかりやすく教えることができるか。わたしは、公立小学校の子どもたち、特に、六年生を多数教えてみて、今の学校制度はなんというバカ教育をしてきたのか、強い憤りを感じ、そして落胆した。これほどバカな小学生にする、今の小学教育とは何なのか。それなら竹の会が、公立の小学生に、割合を教える、わたしは、そう決意した。私が小学生のための割合体系を完成させるまでに、それから五年の研究と実践の歳月を必要とした。研究と実践による修正、さらなる研究を重ねた日々。寝ても覚めても「もっといい方法」を考えた日々。うなされて夜中に目が覚めて、メモを取る、朝目が覚めてまたメモを取る。道を歩くときも考えた。そのために作成した、レジュメは、夥しい数と量に達した。次第に、見えてきた。子どもたちの反応もいい。そういうものが積み重ねられていった。塾をやっていたから、その効果をすぐ確かめられたのは幸いだった。ある時、算数の得意な二人が、感動したように、「先生、ミクロマクロは良かったですね、あれで割合がわかりました」と言った。あの時、私は、「そうか、うん、そうだろう」と笑いが堪えられなかった。そうだ、あの時、私は長いトンネルから抜け出ることができたのだ。それからの私は、さらなる研究を続けた。もう何をやればいいのか、わかった。あとは、その理論を完成させるだけだ。竹の会算数が遂にできあがる。完成する。この時から竹の会の算数体系が次第にその骨格を形にし始めた。
竹の会に来た子たちが、親たちが、竹の会の割合指導に一様に驚き、感嘆するのが、わかった。わたしは、子どもたちの急激な変化に驚きながらも、竹の会算数の神的な効果にさらなる自信をもって、その進化形の開発に取り組んだ。
平成31年、桜修館に合格した男子が、攻玉社と巣鴨の算数選抜試験にいずれも20人枠に入り合格したことで、竹の会算数の威力が、本番でも証明された。
さて、塾生ではない、ある親御さんが、「家庭で割合の勉強をさせている」ということを書かれておりましたが、市販のドリルとか、問題集とか、参考書などを使って、勉強している、もしくは親御さんが、そういう教材を使って教えている、そういうことなのかな、と思います。
これは、子どもさんの能力、知能に左右される。当然です。学校で教わってもわからない子どもさんが、参考書を読んで、わかるようになるか、ということです。それはない。それからたいていは素人の親御さんが、対症療法的な、つまり悪く言えば、場当たり的なやり方で、教えて、うまくいくか、ということです。ダメでしょ。
よく親御さんに教えてもらったという子どものやり方を、見ていると、親は、必ずといって、方程式もどきで教えている。つまり未知数をXと置かないだけで、カッコとして、式を立てて、解いている。よく子どもが、勝手に、カッコ使って式を立てて、解こうとしているのを見ますが、私はそんなことは絶対に教えないので、いずれ親の知恵なのかと思いますが、これははっきり言って、指導妨害です。これでは、算数の方法など身につかない。
算数とは、数学とは、違う。世の中のほとんどの、親は、算数は、素人だし、算数というものの本当の価値を知らない。算数は、文字で式なんか立てない。知恵の学問である。知恵を働かせて、解く。数学なんかよりもずっと早く解ける。数学使ってたら、計算の迷路に入り込むのが落ちである。
逆算を数学的発想で解くのも、誤りである。逆算は、基本的に、二つの数から、ブラックボックスの中の結果の数を推理する、というのが、基本の思考である。
例えば、ブ➗数=数 のときは、ブは、数✖️数 、つまり、ブラックボックスの中の結果の数は、2つの数を✖️で求まる。
ここで、ブラックボックスの中の結果の数とは、ブラックボックスには、未知数が、つまりカッコがあるので、本来計算できないはずであるが、運がいいことに、ブラックボックスを何度も使えば、2つの数から1つの数はわかるので、最後には、ブラックボックスがカッコになる、というわけです。
2つの数から1つの数がわかる、仕組み
I型
① ブ➗数=数 ブは、数✖️数 で求まります。
② ブ➖数=数 ブは、数➕数 で求まります。
③ ブ✖️数=数 ブは、数➗数 で求まります。
④ ブ➕数=数 ブは、数➖数 で求まります。
以上の計算で、1番目の数は、「=数」のことです。
次に、II型
① 数➗ブ=数 の型 数➗数
② 数➖ブ=数 の型 数➖数
③ 数✖️ブ=数 の型
④ 数➕ブ=数 の型
II型の③④は、I型の③④と同じです。つまり、✖️と➕は、増える型なので、I型と同じ処理です。こう見てくると、符号が逆になるのは、I型の①と②だけです。
II型の①と②は、符号はそのままです。
これを頭に入れたら、秒速で、処理できるまで、練習してください。
逆算を数学なんかでやってたら、日が暮れますよ。逆算に方程式なんて使えないでしょ。もちろん算数に方程式もない。算数をやればやるほどそう思います。もちろん数学は大好きです。仮説を定義して、論理を積み重ねて、数学言語で論証する。数学には数学ならではの面白さがあります。しかし、私は算数の面白さに病みつきになりました。 算数は奥が深い。いろいろと考えれば、考えるほど、素晴らしいアイデアが浮かぶではないですか。もっともっといい解き方があるのではないか、私は問題を解くとき、このワクワク感が、楽しい。子どもたちに、難しい算数、苦手の算数ではなく、算数のパズルのような面白さに目覚めてもらいたい。だってそうでしょ。必死に、解き方覚えて7回解き直しをしても、覚えたことを思い出す練習してたなんて、ありえない。算数とは、そんな科目ではないのです。やるうちに面白さに目覚める、これがノーマルな算数の開眼なのです。解き方を覚えて7回解き直すなんて、苦痛以外の何があるのですか。あなたたちは算数という科目の面白さに目覚めること、これがない限り算数に開眼することなんかないのです。
さてさて、家庭で割合の勉強ができるのか、勉強はどこでもできます。丁度、剣術を自己流でやれるか、それとも田舎道場で三流の先生に習うか、それとも江戸に出て千葉道場で学ぶか、そういう話ではないでしょうか。
※因みに、幕末の三大道場と言えば、
幕末江戸三大道場(ばくまつえどさんだいどうじょう)は、幕末期の江戸の剣術道場のうち、代表的な以下の3道場を指す。
士学館
鏡新明智流。1773年(安永2年)、桃井直由(初代 桃井春蔵)が日本橋南茅場町(現 中央区日本橋茅場町)に開設し、桃井直一(2代目 桃井春蔵)が南八丁堀大富町蜊河岸(現 中央区新富)に移転。
玄武館
北辰一刀流。1822年(文政5年)秋、千葉周作が日本橋品川町に開設。のちに神田於玉ヶ池に移転。
練兵館
神道無念流。1826年(文政9年)、初代斎藤弥九郎が九段坂下の俎橋付近に開設。のちに九段坂上(現在の靖国神社境内)に移転。
●竹の会練学館
割合道明鏡止水流
江戸渋谷村に立ち寄った 阿部雄彦が開祖 昭和60年10月江戸代々木村に開学
平成18年割合道に研鑽 平成23年割合道開眼 割合道を遍く広める為、厳しい訓練道場として、渋谷に名塾竹の会ありと江戸八百八町に鳴り響くことを夢見て志篤き好学の徒を募る、多くの練学の士を送り出す (済みません、これは冗談です)
竹の会合格35年史 竹の会昭和60年(1985年)創設
平成31年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(男子)※併願合格 巣鴨中学 攻玉社中学 都立桜修館中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)
高校受験
都立青山高等学校(女子)
平成30年
中学受験 都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校 都立富士高等学校附属富士中学校 ※併願私立 東京農業大学第一高等学校中等部
平成28年
中学受検 都立小石川中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校 都立文京高等学校
平成27年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校
平成26年
高校受験
都立駒場高等学校
平成25年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校
高校受験 ※1名中1名合格
都立北園高等学校
平成24年
中学受検
都立富士高等学校附属富士中学校
平成23年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立小山台高等学校 都立文京高等学校 都立産業技術高等専門学校
平成22年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立両国高等学校附属中学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等高校
平成21年
大学受験
慶應義塾大学(商学部)千葉大学(法経学部)
平成20年
中学受検
都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立西高等学校 豊島岡女子学園高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)立教新座高等学校
平成19年
中学受検
千代田区立九段中等教育学校 東大附属中等教育学校 東大附属中等教育学校高校受験
都立狛江高等学校
平成18年
中学受検
東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等学校 都立狛江高等学校
平成17年
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)
平成16年
中学受験
東大附属中等教育学校 成城学園中学校
高校受験
都立富士高等学校 都立富士高等学校 國學院高等学校
平成15年
中学受験
国学院久我山中学校 吉祥女子中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立鷺宮高等学校
大学受験
中央大学
平成14年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校
大学受験
慶應義塾大学(総合政策学部)上智大学(経済)
平成13年
高校受験
都立西高等学校 都立国際高等学校 都立新宿高等学校
平成12年
中学受験
東大附属中等教育学校 日本大学第二中学校 実践女子学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院高等学校 国学院高等学校 東京農大第一高等学校
平成11年
中学受験
立教池袋中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成10年
高校受験
早稲田実業学校高等部(普通科)早稲田実業学校高等部(商業科)立教新座高等学校 日本大学第二高等学校 都立駒場高等学校 都立三田高等学校
平成9年
中学受験
成城学園中学校 大妻中野中学校 大妻中野中学校 恵泉女学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 都立駒場高等学校 成城高等学校 成城学園高等部
平成8年
中学受験
昭和女子大附属昭和中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学 東工大附属高等学校 日大櫻丘高等学校 玉川学園高等部
大学受験
東京理科大学(理工)
平成7年
中学受験
成城学園中学校
高校受験
東邦大附属東邦高等学校
大学受験
中央大学(法学部)
平成6年
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学校 帝京大学高等学校
大学受験
東洋英和女学院大学
平成5年
高校受験
都立大附属高等学校
平成4年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)成城高等学校 共立女子第二高等学校 東京農大第一高等学校
平成3年
中学受験
東洋英和女学院中学部
高校受験
都立戸山高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成2年
中学受験
獨協中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 東京農大第一高等学校
平成1年
高校受験
都立国際高等学校
昭和63年
高校受験
都立駒場高等学校 都立芸術高等学校 都立大附属高等学校 富士見高等学校 国学院久我山高等学校
昭和62年
高校受験
都立駒場高等学校 都立大附属高等学校 都立大附属高等学校 都立目黒高等学校 青山学院高等部 市川高等学校 国学院久我山高等学校
竹の会昭和60年10月開設