2019.08.24
第4章 幼年期に躾けなければ子どもはクズになる!
可愛いばかりで、猫可愛いがりして、わがままを許してきたツケはあまりにも大きな犠牲を余儀なくさせるであろう。子どもというのは、基本的な生活習慣、特に、勉強の習慣を躾けて来なければならない。恣意的に遊びたい一心の子どもの欲求を満たして喜ぶ顔を見て心和む親の心情はよくわかる。だが、子どもは楽しいことへの欲求には際限がない。ペットなら構ってやると喜ぶから際限なく構うということになる。だがそのペットにしても躾けなければ、家の中はおそらくめちゃくちゃになる。保育園児はいつも構ってやらないとすぐ飽きるから、いたずらを始める。
子どもは厳しく律してなんぼである。芸事は七歳から稽古を始めると世阿弥は言うけれど、学問、生活習慣の訓練も、同じと思う。小3、小4というのは、学問を訓練するにはもっともいいタイミングだと、わたしは痛感している。それにもまして、基本的な生活習慣、一定の時間、勉強に集中して立ち向かえるスタンスを取れること、きちんと字が書けること、が、大切である。筆圧のある、字の形を書ける、字の大きさをそろえられる、そういう制御能力は、是非とも身につけておかねばならない。これは小1前後までに必ず親がやっておかねばならない責務である。何がなんでもやっておかねばならない親の親たる使命である。こうした訓練もなしに子どもを学校社会にいきなり放り込むことの無謀な、不作為はわたしにはおよそ信じがたい話であった。
さて、それからである。小3ないし小4からの訓練の話しである。この幼い時期に、子どもたちの考える芽を訓練によって広げていかなければならない。人間の脳は、一生のうちに使われるのは、その数%だと聞いたことがある。これを残りの90数%以上は使われないままに、死していく、と考えるのは早計かもしれない。事実小学6年の時の担任は、そういうことを言っていた。しかし、脳については、何も解明されていない。使われていないと思われている脳も実は私たちの知らない何かの働きをしているのかもしれない。ただそうとしても、数%のうち1%でも広げるのは、意味あることのように思える。大学生の75%が、簡単な割合の問題がわからないという報告があるが、こういうバカの蔓延は、いかに小4前後からの訓練というものが疎かにされてきたか、そういうことに無関心な親というものがいかに多いかを示すものであり、そういう者でも大学生になれるという、大学とは、名ばかりの、大学というラベルを金で買う、社会の劣化がいたるところに進んでいる、ことが見て取れるのである。そういう大学生の多くが、小学時代は、大手塾なり地元塾なりに通っていたはずである。しかし、結局割合を理解しないままに遂には大学生、社会人となってしまったわけである。二流の政治家が、天才を殺し、三流の取り巻きに囲まれるという政治の劣化もその流れの一つとして、理解される。
思考訓練というか、小学低学年からの訓練というのは、まだ眠っている脳の組織の一つを、それは何億分の一とか、何百億分の一とか、そういったものであり、一つの変化がそれとして認識もされない程度の変化であり、しかし、長い間、といっても一年とか二年の間であるが、そうとして確かにわかる変化なのである。小学低学年の指導とは、そんなものであるけれど、これが子どもの、思考スタイルの骨格を形成し、生活習慣の核となるという点においては、これほど重要なことはない。子どもたちは、いずれ高校、大学と進むに及んで、思考の世界に入っていく戦士として、わたしは、その前段階において、訓練することのいかに重要であるかを述べているだけである。小学の間に、計算の達者となり、割合の達者、すなわち思考のスタンスを持った人間となること、そこから勉強を生活習慣の核とする人間となることを、わたしは確固たる信念をもって訓練しているのである。もし何かの縁でこのわたしの指導に巡り会えることがあれば、それはきっとあなたたちに、もう二度と会うことのない幸運なのであったということをあなたたちは確かに悟ることになる。なお、 現小2がもしかしたら竹の会の最後の募集となると予感していります。東京で、三十五年に渡り細々と続けてきた、この小塾、竹の会。最後は、潔く、消える、この「草枕」とともに、この世界から忽然と消える、それでいいと思っております。
子どもが、中学になって反抗する、今生活できることを当たり前と勘違いする、親が子のためにやるのを当然と思って疑わない、親からスマホを買ってもらって当たり前と思う、そういう勘違いをさせるような育て方、つまり何もしてこなかったということだが、そういう親のいかに多いことか。
小学の時に割合を理解しない者が、中学になって割合を理解するようになることはかなり蓋然性が低い、という結果が、報告もされている。小学低学年で、しくじった者は、もはや一生を棒に振るに等しい、結果を招来する、ということである。これは、ほぼ真実である。わたしの指導経験が、そう語るからだ。平成20年代前半、都立中高一貫校を受検したが、失敗した生徒が継続して中学でも竹の会でやることになった。しかし、引き受けて見たものの、わたしには勝算はなかった。小5の何月に来たのだろうか、忘れたが、彼が結局割合を理解していない、言いかえれば、自分で考えて解決する、というスタイルをついには獲得できなかったこと、したがって中学で割合を理解しない者が成功することはまずない、ということ、だから、中学での並ならぬ努力が前提の継続だったはずであった。しかし、彼は並の人間に違いなかった。並の人間がみなやるように激しい部活、サッカーをやり、クタクタになって、塾でもよく居眠りをした。成績は最初だけは小学の貯金があり、まあまあだったが、たちまち下がった。中3まで竹の会にいることはなかった。親が都立トップ校の受験を希望したが、わたしの「無理」という判断、さらにはさらなる成績低下もあって、退塾した。この例と同様のケースは、これまでに腐るほどあった。つまり、小学で、思考スタイルを決められなかった者は、もはや中学では、どうにもならない、ということだ。
わたしは、多くの親たちが、何もしないで、小学を安閑と放置して、やり過ごすことに、正直、驚きを隠せなかった。大分の田舎の高校の方が進学熱は格段に高かった。ただしわたしの出た高校は、当時大分県の御三家と言われた県立高校の一つだった。だからということは承知している。それにしても東京の親というのは、教育に対する関心度が低い、ということを私はずっと思ってきた。高校は都立なら入れさえすればいい、高校出たらほとんどが専門学校、それが東京の普通の家庭だった。地元塾として見てきた東京の普通の家庭の姿だった。
低級国民への道を自ら甘んじるばかりでなく、子にも受け継がせるという、わたしには理解のできない親ばかりであった。大手塾にやりながら、習い事、稽古事に、親子で夢中というのも、東京では普通になる。一見、教育熱心な親の体であるが、深奥にある勉強軽視の思想は実は露骨である。自分都合でいくらでも勉強を犠牲にするのはその態度の表れであり、そもそもが、大手に入れれば、自分は好き勝手にやっても「受かる」という、勉強を、受験を、どれだけ舐めているのか、さらには、失敗すれば、自分ではなく、塾の失敗と短絡する、わたしには到底理解できない人たちであった。
世の中には、スポーツと受験を両立できるという親もいる。「親戚の子がスポーツをやりながら都立中高一貫校に受かった」、「だから」と言う。そういう人がいるのは、聞いたことはある。しかし、そういうレアケースを一般化する、粗い論理にしたがって、両立論を塾で実践したら、合格者はゼロになる。かつて、わたしが塾に行かないのは、アホだ、みたいなことを言ったら、すごい反発があって、「危険な思想だ、うちの子は塾に行かないで、受かった」というメールがあった。世の中には、こういう勘違いした人がたくさんかいる。自分が成功すれば、それは一般にそうだと思い込む。特殊な場合を一般化して躊躇わないという粗さはともかく、こういう人は何を言っても責任はとらないわけで、塾は常に合格で示さなければならない、という責任を前提にしているのである。
竹の会の35年で到達した真理というものがあるとしたら、小学低学年からの基礎学力の訓練〜それは徹底した計算訓練と割合を契機とした思考訓練にある〜が、子どもの未来を決める、ということである。中学受験のとき、高校受験のとき、では決してない。このタイミングを外したら、リカバリーは難しい。余程知能が高いか、類稀なる努力家でない限り、そういう子が、復活することはない。
竹の会の最新の指導ポリシーは、以上に述べたことに尽きる。渋谷では、無名の小塾ではあるが、毎年、ほんの2、3人の理解者、賛同者に支えられて、なんとか35年という年月を重ねて生きながらえることができました。元代々木教室の時代、周りの中手塾、個人塾が、生まれては潰れていく姿を横目に、竹の会はひっそりと永らえてきたのです。その竹の会もわたしにはいつ終わりにするか、そういうことを考える年齢になりました。今、いる子たちが、無事受検、受験に送り出すまでは、頑張らなければ、とそれだけは責務とする決意をしています。
本年桜修館合格者の使ったレジュメ
竹の会合格35年史 竹の会昭和60年(1985年)創設
平成31年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(男子)※併願合格 巣鴨中学 攻玉社中学 都立桜修館中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)
高校受験
都立青山高等学校(女子)
平成30年
中学受験 都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校 都立富士高等学校附属富士中学校 ※併願私立 東京農業大学第一高等学校中等部
平成28年
中学受検 都立小石川中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校 都立文京高等学校
平成27年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校
平成26年
高校受験
都立駒場高等学校
平成25年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校
高校受験 ※1名中1名合格
都立北園高等学校
平成24年
中学受検
都立富士高等学校附属富士中学校
平成23年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立小山台高等学校 都立文京高等学校 都立産業技術高等専門学校
平成22年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立両国高等学校附属中学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等高校
平成21年
大学受験
慶應義塾大学(商学部)千葉大学(法経学部)
平成20年
中学受検
都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立西高等学校 豊島岡女子学園高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)立教新座高等学校
平成19年
中学受検
千代田区立九段中等教育学校 東大附属中等教育学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立狛江高等学校
平成18年
中学受検
東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等学校 都立狛江高等学校
平成17年
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)
平成16年
中学受験
東大附属中等教育学校 成城学園中学校
高校受験
都立富士高等学校 都立富士高等学校 國學院高等学校
平成15年
中学受験
国学院久我山中学校 吉祥女子中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立鷺宮高等学校
大学受験
中央大学
平成14年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校
大学受験
慶應義塾大学(総合政策学部)上智大学(経済)
平成13年
高校受験
都立西高等学校 都立国際高等学校 都立新宿高等学校
平成12年
中学受験
東大附属中等教育学校 日本大学第二中学校 実践女子学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院高等学校 国学院高等学校 東京農大第一高等学校
平成11年
中学受験
立教池袋中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成10年
高校受験
早稲田実業学校高等部(普通科)早稲田実業学校高等部(商業科)立教新座高等学校 日本大学第二高等学校 都立駒場高等学校 都立三田高等学校
平成9年
中学受験
成城学園中学校 大妻中野中学校 大妻中野中学校 恵泉女学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 都立駒場高等学校 成城高等学校 成城学園高等部
平成8年
中学受験
昭和女子大附属昭和中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学 東工大附属高等学校 日大櫻丘高等学校 玉川学園高等部
大学受験
東京理科大学(理工)
平成7年
中学受験
成城学園中学校
高校受験
東邦大附属東邦高等学校
大学受験
中央大学(法学部)
平成6年
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学校 帝京大学高等学校
大学受験
東洋英和女学院大学
平成5年
高校受験
都立大附属高等学校
平成4年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)成城高等学校 共立女子第二高等学校 東京農大第一高等学校
平成3年
中学受験
東洋英和女学院中学部
高校受験
都立戸山高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成2年
中学受験
獨協中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 東京農大第一高等学校
平成1年
高校受験
都立国際高等学校
昭和63年
高校受験
都立駒場高等学校 都立芸術高等学校 都立大附属高等学校 富士見高等学校 国学院久我山高等学校
昭和62年
高校受験
都立駒場高等学校 都立大附属高等学校 都立大附属高等学校 都立目黒高等学校 青山学院高等部 市川高等学校 国学院久我山高等学校