2019.09.10
第11章 あの時、やめなかった女子のこと
結局、一人になった女子、やめるかな? でもやめないでやり抜いた!
。あの時は、中3は、男子ばかりで、その中で、女子が一人だけ。代々木中とか上原中の男子生徒ばかり、本町中の女子が一人だけ。大勢の中で、喋る仲間もなく、一人ぽつんといた。成績は優秀で、高い成績を維持した。私はよく嫌にならずに通ってくるな、と正直驚いた。この女子がやめなかった理由、それはおそらく彼女は、頭が良かったからと思う。勉強がうまくいっているのにやめる理由はないはずだが、多くの生徒は、仲間がいないからやめる。彼女は、頭が良かったから、竹の会の価値を本能的に嗅ぎ分けていた。裏から言えば、竹の会を信頼していた。だからどうでもいいことに影響されなかった。
今年の竹の会だって、結局高校受験まで残ったのは、ただ一人の女子だけだった。中1の時に、仲の良かった生徒たちはみな早々といなくなった。みなやめていなくなったとき、やめるのか、と見ていたら、最後までいた。そして都立青山に合格した。
小学生にも似たようなことがあった。2011年原発事故の後、子どもたちの心は勉強どころではなかった。あの時、同じ小学校からたまたま4人の小6女子が通っていた。原発事故で、うち一人が中国に帰国、また一人は夏のホームステイが、原因で、落ちこぼれ脱落、さらにまた一人が、学習不振で脱落、一人だけ残った。わたしは仲間がみないなくなり、やめるのかな、と思った。が、やめる様子もなく、結局最後まで通った。あのとき、「なぜ、やめなかったの」と訊いたら、「お母さんが最後までやり抜きなさい、言ったから」と言った。友だちに影響されなかったことにわたしの心は熱くこみあげるものがあった。友だちよりも勉強、部活よりも勉強、そういう姿勢に心打たれる。
小学生や中学生なら女子よりも、中学生男子の方が、仲間がいなくなることに弱く、たちまち情緒不安定になり、脱落していくことが多い。そういえば、大手に行く子たちの理由に、友だちがいるからとか、友だちとわいわいやるのが楽しい、とかいうのがあったが、男の子というのは、孤独に耐えられない、弱い子が多い。
一般に女子の方が強い。女子はどんな環境にもよく順応していく子が多い。特に、知能の高い女子ほどその傾向が強いように思う。男子は、逆で、知能の高い子にも、弱い子がよくいる。もちろん知能が高く、孤独を好む天才もいる、いやいた。男子というのは、なにか芯のところが弱い気がする。自分に軸がなく、常に、何かに依存しているところがある。そう言えば、熟年離婚では、憔悴するのはたいてい男の方だと聞いたことがある。男は社会に出て働いていると何かそのことが自分の力かのような錯覚を起こすようで、妙に強がり、自慢したくなるようだ。自分がどんなにできるか、優秀かをアピールしたがる。これなどは、実は、孤独に耐えられない、弱い人間であることの裏返しなのであろう。
女というのは、土壇場で強い。野村監督の夫人は、逆境に強い人であったらしい。男である野村監督の方が、実は、弱かった、という話しである。
最後に試されるとき、その子の本質が出る。「依存心」という、その子を測る、真の尺度が露わになる。女が強いというとき、表面上は、依存しているかのように、つまりか弱いように振舞っているだけで、実は、芯は、依存心などないということではないか、と思う。反対に、男の方が、いかにも独立精神旺盛で、女子どもを養っているかの、鼻息であるが、実は、中身は、妻や子供に依存しきっていた、ということが、往々にしてある。
これも、私の説く、小学低学年からの訓練論に繋がってくる。幼い子どもというのは、本質的に「依存心」の塊である。あなたたちが、甘やかせば甘やかすほど、子どもに、依存心という心の中のモンスターを育てていることになる。甘やかすということが、あなたたちにべったりと寄り添うしかできない生き物を育てていることになる。子どものためには、依存心ではなく、孤独に耐える精神を養わなければならない。ペットのように、飼い主がいなくなると、たちまち情緒不安定になるような育て方をしてどうするのか。こと勉強となると決して譲歩してはならない。例外を簡単に認めれば、子どもは勉強というものをもはや崇高なものと考えることはない。連休、夏休み、年末年始と実家帰省やらなにやら繰り返していると、子どもにはそれなりの勉強観しか形成されない。子どもに、これだけは、どんなことがあっても絶対優先なのだと植え付けること、これが教育である。あなたたちの恣意的な、都合優先の生活行動が、子どもに勉強をご都合的なものと考える訓練をしているのだということを知らなければならない。
あなたたちの責務は、子どもが、勉強という、自己を律する修行をやり抜くことを助けることであって、あなたたちの、生活を楽しむという主義というか、本性というか、そういうものを子どもたちに押し付けて、子どもたちの将来を奪うことではない。
勉強というものは、本来孤独なものである。いずれ大学受験はやってくる。そして国家試験を受ける人も出てくる。その時に、もちろん大学受験の予備校、資格試験の予備校などを利用するとしても、成否を左右するのは、勉強というものの孤独性を悟ったか否か、にある。既に、高校受験にしても、孤独な戦いであることが、わかったか否か、が実は成否を決めていたということに気づくはずである。
ここに一人の竹の会の卒業生がいる。彼は小6の4月の入会であったが、その時から、高校受験を視野に入れていた。彼の頭の中には、「都立西→東京工大」という未来がすでに明確に敷かれていた。だから、彼は類い稀なる実行力を見せた。私の指示を常に100%実行した。中学での、実行の力は、舌を巻いた。彼はテニスを部活として楽しんでいたが、それで勉強が疎かになることは決してなかった。中2の6月には、漢検2級に合格し、秋には、英検2級も合格した。常にトップの成績を維持し、8科目5で、西に推薦合格した。懇願されて、西高の三年間も、指導した。孤独に裏打ちされた実行の人であった。西では、三年間50番内にいた。彼には、数学と英語を指導した。現役の受験では、東大受験失敗、早稲田理工には合格、東大の夢は捨て切れず、一浪、この時の三大予備校の模試で、全て全国順位20番台を取っている。東大合格確実の予想は、数学のミスで挫折、慶応理工に進む。在学時代に、ソフトを開発、現在資本金数千万円のIT企業の社長として活躍している。
いいですか。あなたたちは、子どもに、孤独を教えなければならない。勉強というものは孤独に耐えることでもある。あなたたちは、家族愛か何かは知らないが、やたら子どもを自分たちの都合で引き回す愚をやってはならなかったのである。子どもが、いつか必ず来る、社会への旅立ちのために、子どもが孤独に耐える、苦しむのを、離れたところから、そっと見守るしかできないのだ、ということを思い知らなければならない。
仲間、家族に癒しを求める弱い人間に育ててどうするのですか。
竹の会に、仲間がいない、いなくなったから、止める、こういう子たちは、昔から、必ずいたが、わたしには、その甘えの精神に失望するとともに、その甘さが、親の過保護、甘やかしに、帰因するであろうことを思わざるを得ない。
甘い親の勘違いは、小学低学年の間はとか、小学の間はとか、家族との行動を優先し、甘やかし、過保護も止まるところを知らない。小学低学年の間はという親も、結局ズルズルとこの自立を引き延ばしていくのは、常のことである。
親が人生を楽しむ、結構なことです。しかし、わたしは、そういう選択はしてこなかった。子を自立させる、そのためには、自分の人生をそのために全てかける、そうしなければとてもできない、と思った。よく、部活に熱心な子を、「若い時代には、勉強だけではなく、いろいろと経験をした方がいい。だから部活にかける青春を大切にしてあげたい」という親もいます。自分の子ですから、どう育てようと勝手ですが、正直わたしには、そのことが、将来の子どもにどう結びつくのか、さっぱりわかりませんし、勉強という孤独と戦い、耐え抜いてきた、子たちと、そういう子たちが、つまりまともに勉強してこなかった子たちが、社会で、つまり一流大学、一流企業に就職した子たちとの較差に腐ることなく、部活を楽しんだ時のように、人生を楽しむことができるのか、さっぱりわからないのです。勉強よりも部活という、その親の言う、ゆとりのある、人生を楽しんだ子たちが、将来確実に被るであろう、学校較差から始まった身分格差の問題を、いかにもそれが教育のあり方だと言わんばかりに主張した親たちが、その現実をどのように受け止めていくのか、興味深い。
子どもは元々依存心の塊です。その子どもから、依存心を取り去っていくこと、それが、親の果たすべき教育のはずです。ところが、勘違いした親たちは、依存心を取り除くどころか、逆に、植え付ける、固定する、ことに迷いがない。子を甘やかし、過度に社会を危険視し、つまり「危ない」という理由で冒険させない。過保護という、依存心固定を、日常化する。
そもそもどうして子を躾ないのか。勉強を軸として生活するのも躾でしょ。
子を見れば、親の姿勢が、わかる。子どもとしてかわいいのは小学生までである。中学になれば思春期、自我の目覚めから親に反抗するようになる。高校になればもう親の制御は利かない。大学になればもう親は容喙できない。社会に出たらもうひとりの人間として試される。あなたたちがかわいいと甘やかし、危ないと過保護に育ててきた子が、あなたたちのせいで苦労する、挫折するのは、あなたたちの想定したことなのでしょうか。
要は、小学低学年における厳しい躾が、信念をもった教育が、それだけが子どもが将来社会に出て独り立ちしたときに、唯一の力になる、ということです。小学低学年のときに、勉強というものの大切さを教え、勉強に対するスタンスをもつ、もたせる、それを生活の一部として習慣化する、日常化することの大切さはいくら言っても言い足りない。多くの母親が、習い事、稽古事、さまざまなスポーツとわが子がやるのを微笑ましく見るという光景が一般の風潮なのでしょう。勉強も習い事のひとつとしてしかの認識しかない。だからいろんな理由で勉強は後回しにされる。子は親のそういう恣意的な態度に、勉強というものの本当の順位を教育される。そもそも勉強は後回しにされるほど価値序列の低いものではない。生活の一部としてなによりも優先されなければならい最優先事項である。
小学低学年のときに、勉強という孤独に耐える、精神を培うことを始める。遊園地で遊ぶこと、ゲーム機で遊ぶこと、実家で遊ぶこと、習い事で遊ぶこと、稽古事で遊ぶこと、スポーツで遊ぶこと、要するに遊ぶことを教育してきたつけはいずれ払うときがくる。
竹の会合格35年史 竹の会昭和60年(1985年)創設
平成31年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(男子)※併願合格 巣鴨中学 攻玉社中学 都立桜修館中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)
高校受験
都立青山高等学校(女子)
平成30年
中学受験 都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校 都立富士高等学校附属富士中学校 ※併願私立 東京農業大学第一高等学校中等部
平成28年
中学受検 都立小石川中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校 都立文京高等学校
平成27年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校
平成26年
高校受験
都立駒場高等学校
平成25年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校
高校受験 ※1名中1名合格
都立北園高等学校
平成24年
中学受検
都立富士高等学校附属富士中学校
平成23年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立小山台高等学校 都立文京高等学校 都立産業技術高等専門学校
平成22年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立両国高等学校附属中学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等高校
平成21年
大学受験
慶應義塾大学(商学部)千葉大学(法経学部)
平成20年
中学受検
都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立西高等学校 豊島岡女子学園高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)立教新座高等学校
平成19年
中学受検
千代田区立九段中等教育学校 東大附属中等教育学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立狛江高等学校
平成18年
中学受検
東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等学校 都立狛江高等学校
平成17年
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)
平成16年
中学受験
東大附属中等教育学校 成城学園中学校
高校受験
都立富士高等学校 都立富士高等学校 國學院高等学校
平成15年
中学受験
国学院久我山中学校 吉祥女子中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立鷺宮高等学校
大学受験
中央大学
平成14年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校
大学受験
慶應義塾大学(総合政策学部)上智大学(経済)
平成13年
高校受験
都立西高等学校 都立国際高等学校 都立新宿高等学校
平成12年
中学受験
東大附属中等教育学校 日本大学第二中学校 実践女子学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院高等学校 国学院高等学校 東京農大第一高等学校
平成11年
中学受験
立教池袋中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成10年
高校受験
早稲田実業学校高等部(普通科)早稲田実業学校高等部(商業科)立教新座高等学校 日本大学第二高等学校 都立駒場高等学校 都立三田高等学校
平成9年
中学受験
成城学園中学校 大妻中野中学校 大妻中野中学校 恵泉女学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 都立駒場高等学校 成城高等学校 成城学園高等部
平成8年
中学受験
昭和女子大附属昭和中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学 東工大附属高等学校 日大櫻丘高等学校 玉川学園高等部
大学受験
東京理科大学(理工)
平成7年
中学受験
成城学園中学校
高校受験
東邦大附属東邦高等学校
大学受験
中央大学(法学部)
平成6年
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学校 帝京大学高等学校
大学受験
東洋英和女学院大学
平成5年
高校受験
都立大附属高等学校
平成4年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)成城高等学校 共立女子第二高等学校 東京農大第一高等学校
平成3年
中学受験
東洋英和女学院中学部
高校受験
都立戸山高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成2年
中学受験
獨協中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 東京農大第一高等学校
平成1年
高校受験
都立国際高等学校
昭和63年
高校受験
都立駒場高等学校 都立芸術高等学校 都立大附属高等学校 富士見高等学校 国学院久我山高等学校
昭和62年
高校受験
都立駒場高等学校 都立大附属高等学校 都立大附属高等学校 都立目黒高等学校 青山学院高等部 市川高等学校 国学院久我山高等学校