2019.09.25
秋到来! 秋晴れの朝は清々しく、ほどよく冷たい空気が心地よい。そろそろスーパーに秋の味覚柿が出揃い始める。和歌山産の柿から奈良産の柿へ移り変わる頃には秋も深まる。毎年一泊で京都の紅葉を見に行くのが楽しみでしたが、外国人に埋め尽くされ、拝観料ばかりがやたら高くて中身に落胆することたびたびとなって、遂に去年は京都を見限り、金沢へと出かけました。紅葉は思ったほどではなかったけれど初めての地ということで新鮮な気持ちになれました。魚はことのほか美味く東京にはない、少なくともわたしにはそう思えました。またいつか来たい、そう思いました。
第16章 深く根を張れ!
根がヒョロッとしたままだと、痩細った幹しか育たない。そういう木ほど青々とした葉を茂らせるのだそうだ。宮大工の西岡常一さんがそのようなことを著書に書いていた。子どもたちを指導するという、わたしの仕事は、この根の部分を如何に深く張らせるか、太い根にするか、長い根にするか、ひげ根を増やすか、そういう仕事なのかな、と思う。根のところさえしっかりと育ててやれば、後は自分の力でスクスクと伸びてゆく。根が丈夫であれば栄養の吸収もいい。大きな幹をしっかりと支えて、安定している。
伸びない子というのは、根が痩せて細い、短い。だから安定も悪く、栄養の吸収もよくない。だから自力で伸びてゆくことができず、倒れたり、曲がったり、支えを必要としたり、する。
竹の会の、わたしのやっていることというのは、根の部分をとにかく育てることに力を注いでいるということだと思う。そうなるとできるだけ若い苗木が絶対に育てやすい。まだ癖もついてないから、真っ直ぐ育つ。わたしはこの時期が、小2ないし小3くらいなのであろう、と考えている。そうすると小1前後に何を施すべきかも自ずと見えてくる。まず「字」を丁寧にゆっくりと書く練習をさせる。これが後々の勉強人生を大きく規定することになる。この時期だけは、親がつきっきりで、どんなに子どもが、面倒臭がっても躾けなければならない。この大切な時期に、早期英語やら、習い事やら、稽古事、スポーツなんかに夢中にさせて、字を書く、覚えるということを蔑ろにさせる親の如何に多いことよ。特に、男の子というのが、とにかくゆっくり丁寧に書くということを面倒臭がるから、要注意である。この時期に公文にやってとにかく字よりも早く終わらせるということに親が暗黙に是とする態度をとっていると、もう悪字街道まっしぐらということになる。厄介なのは、一旦身につけた悪字はほとんど治らないという経験値があることである。早期英語やらなんやらと最近の親は喧しいが、肝心の日本語のそもそもの始まりを軽視する風潮には何か不穏なものを感じる。英語よりも日本語でしょ。まともな日本語を使えないままに、中途半端な英語、習い事、稽古事、結局遊びに終わるであろうスポーツと、親たちの勘違いは終息することはない。
さて、将来伸びるということ、これが所期の目的であり、そのために、根を張らせる、根を太らせる、ひげ根を殖やす、そういう指導を心がけなければならない。根が張るということ、長い太い根が張るということ、これは、栄養分を吸収し、幹を太くし、枝をたくさん伸ばし、葉をたくさん茂らせるために、是非とも必要なことである。
そういう健全な根を張るために、最近のわたしは、小2、小3を視野において、根の健全育成についての研究に余念がない。研究といっても、様々な処方レジュメを製作して、実地で試す、そしてその反応、効果を見る、そういう実験、つまり試行錯誤がほとんどであるが、そういう中からわたしは根を張る指導に資する方法を見つけてきたのだ。
一時期は、わたしの指導術では、小4前後が限界かなと思ってきたこともあったが、小4からでは、根を張り切れない事例が続出して、私も考え直さざるを得なかった。しかし、小3の指導では、過去に手痛い失敗を経験していた。男の子ということもあったのか、とにかく落ち着きがない、机にじっとしていられない、周りに何かとちょっかいを出す、周りを散らかす、周りとなんやかやと衝突を繰り返すと、これは無理だわ、と観念したものだ。しかし、わたしは思い直して、指導室のわたしの机の前で見張りながら勉強させて、なんとか乗り越えたこともあった。また、小3の男の子だったが、なかなか理解が進まないため、面白くないのだろう、ほとんどやる気のない態度で、これはダメだと結局一月で終わった子もいた。これらの経験がわたしをして小学低学年の指導を躊躇させたことは間違いない。ただかつて小2の女子が、見学にきて、ちょっと体験ということになり、計算をさせたところ、2時間経ってもうそろそろと言ってもやめない、それで3、4時間か黙々と計算していた子がいて、小2にもこんな集中力のある子がいるのかとわたしを驚かせたことがある。結局その子は、小3の2月に入会した。当時の竹の会は、小4前後を推奨する入会時期としていたからだ。利発な子だった。小2でもそういう子なら指導できる。ただそういう子は少ない。ただそういう難点はあるとしても小学低学年から竹の会の指導をすることには、大きなメリットがあった。 低学年ほど思考が伸びてゆく可能性が高いということだ。もちろんこれはわたしの経験値からの結論である。小4、小5と学年が上がるほど思考の伸びは鈍る。小5にきたとか、小6にきた、そういう子の失敗確率が高いのは、経験値が示している。さらにそういう子の中学に入ってからの停滞もほぼ確かな経験値としてある。ただ中学の場合は、部活その他で勉強しなくなるというお決まりの事情が大きく影響してくる。勉強だけに専念できるか、中学の場合は、この要素が大きくまた伸びに影響する。話しは単純ではない。
わたしが、これまで何度となく出会ってきたのは、小5や小6にきた子たちの学力の酷さであった。これらの子らに共通していたのは、本人や親たちに、できない、特に、親に、自分の子ができない、という認識がまるでない。どころか、自分の子はそれなりにできる、これまでとにかく塾に行っていたのだから、という意識がある、ということであった。竹の会の基本チェックテストで、基本がボロボロなのを示されて、慌てている、これまでの塾は何だったのか、そういう親がほとんどだ、ということである。親の能天気さは、自分の子が、大手に早くから通い、テストでも成績がいい、だから、自分の子はそれほど酷くもない、だから、部活は受験ギリギリまでやらせるし、塾は何かと後回しにする。そういう態度であるということである。
学校の成績も悪くない。よくできるは八割ある。字も上手い。ハキハキもしている。つまり学校の優等生なわけです。学校のテストもいつも100点近い。こうなると親は、少しくらい習い事、稽古事やっていても、大丈夫と思うようになる。これがまず第一の誤解、勘違いである。こういう子は結局大量の積み残しをするのが常であった。わたしはこういう類いの親子が、例外なく、失速してゆく光景をそれこそ幾例も見てきた。こういう親子は、根っから楽天的というか、習い事のキリがつくまで入会時期を先延ばしするとか、一週間の実家帰省もあたりまえにやるとか、結局直前まで習い事は続けたとか、驚かされる材料に尽きることはなかった。この子たちが直前に同じように、本当に判で押したように、「しまった」、「あ〜」とため息ばかりついていたのは偶然ではなかった。わたしは親の最初の一言から未来がどうなるのか予測できていた。強い親の意思であり、それなら思うとおりにやってみてください、いつもそういう気持ちであった。
わたしは竹の会に面接に来た人たちの多くが、早くから大手に通いながら基礎学力さえもつけられていなかったこと、地元の補習塾に低学年からずっと通いながら、まともな学力もないこと、塾とは無縁に生活してきて学校のレベルの遥か下にあること、そういうそれはたくさんの子たちを、見てきました。こういう子たちが、竹の会にやってきたのは、みな都立中高一貫校を受検したいということが契機となっておりました。大手から来た子たちは、大手に結局不信感を抱くにいたった人たちでもありました。わたしは、そういう形でしか竹の会に来てもらえないということを知っております。世の中の親たちはまず迷わず大手に行くということです。行って知るしかないのが現実です。初めから竹の会を目指して来てくれる人たちというのは、ほんとうにごく稀な人たちに限られました。
竹の会に、小学低学年から来れば、あなたたちの子どもは、じっくりと根を張る指導ができたのにとよく思います。
竹の会は小さな個人塾ですから、大手大好きな東京の親御さんの目にとまることはほとんどありません。わたしは、ほんとうにたまたま竹の会に目を留めてくださった人たちが、竹の会に関心を持たれて、邂逅した、ほんとうに偶然の出会いに巡り合わせた少数の人との出会いを大切にしてきた。そしてひとたび竹の会に出会い、竹の会の指導を受けてみて、竹の会を心から信頼できるに値するという意思をひしひしと感じながら、信頼されていることを実感してきました。いつもそういう流れでした。
竹の会は、昭和60年10月の開設ですから、もう35年の長きにわたってわたしは竹の会という思想を訴えてまいりました。
竹の会の終わりはそう遠いことではない、そういう思いがわたしの中にはある種の覚悟とともに常にありました。正直わたしはいつ来るともわからないその日をおそれおののいてきました。しかし、いつも新しい指導のアイデアに思い悩み、新しい考えを思いつくとすぐにレジュメにして、試す、そういう習性は変わることはないようです。子どもたちが、健全な根を張り、その根を土台にして、太い幹となって、自らの力で、成長していく、これがわたしが願って来たことではないかと思います。わたしは、竹の会は、子どもたちの根をがっしりとした根にする、そういう仕事をしてきた、しているのだと思います。
わたしの竹の会、あとどれだけの子どもたちに出会い、竹の会という考え方を知っていただけるのか、わかりませんが、命尽きるまで、この東京に存在することができれば、竹の会ここにあり、と終わることができるのではないか、と密かに思っております。
竹の会合格35年史 竹の会昭和60年(1985年)創設
平成31年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(男子)※併願合格 巣鴨中学 攻玉社中学 都立桜修館中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)
高校受験
都立青山高等学校(女子)
平成30年
中学受験 都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校 都立富士高等学校附属富士中学校 ※併願私立 東京農業大学第一高等学校中等部
平成28年
中学受検 都立小石川中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校 都立文京高等学校
平成27年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校
平成26年
高校受験
都立駒場高等学校
平成25年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校
高校受験 ※1名中1名合格
都立北園高等学校
平成24年
中学受検
都立富士高等学校附属富士中学校
平成23年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立小山台高等学校 都立文京高等学校 都立産業技術高等専門学校
平成22年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立両国高等学校附属中学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等高校
平成21年
大学受験
慶應義塾大学(商学部)千葉大学(法経学部)
平成20年
中学受検
都立桜修館中等教育学校
高校受験
都立西高等学校 豊島岡女子学園高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)立教新座高等学校
平成19年
中学受検
千代田区立九段中等教育学校 東大附属中等教育学校 東大附属中等教育学校高校受験
都立狛江高等学校
平成18年
中学受検
東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等学校 都立狛江高等学校
平成17年
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)
平成16年
中学受験
東大附属中等教育学校 成城学園中学校
高校受験
都立富士高等学校 都立富士高等学校 國學院高等学校
平成15年
中学受験
国学院久我山中学校 吉祥女子中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立鷺宮高等学校
大学受験
中央大学
平成14年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校
大学受験
慶應義塾大学(総合政策学部)上智大学(経済)
平成13年
高校受験
都立西高等学校 都立国際高等学校 都立新宿高等学校
平成12年
中学受験
東大附属中等教育学校 日本大学第二中学校 実践女子学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院高等学校 国学院高等学校 東京農大第一高等学校
平成11年
中学受験
立教池袋中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成10年
高校受験
早稲田実業学校高等部(普通科)早稲田実業学校高等部(商業科)立教新座高等学校 日本大学第二高等学校 都立駒場高等学校 都立三田高等学校
平成9年
中学受験
成城学園中学校 大妻中野中学校 大妻中野中学校 恵泉女学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 都立駒場高等学校 成城高等学校 成城学園高等部
平成8年
中学受験
昭和女子大附属昭和中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学 東工大附属高等学校 日大櫻丘高等学校 玉川学園高等部
大学受験
東京理科大学(理工)
平成7年
中学受験
成城学園中学校
高校受験
東邦大附属東邦高等学校
大学受験
中央大学(法学部)
平成6年
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学校 帝京大学高等学校
大学受験
東洋英和女学院大学
平成5年
高校受験
都立大附属高等学校
平成4年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)成城高等学校 共立女子第二高等学校 東京農大第一高等学校
平成3年
中学受験
東洋英和女学院中学部
高校受験
都立戸山高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成2年
中学受験
獨協中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 東京農大第一高等学校
平成1年
高校受験
都立国際高等学校
昭和63年
高校受験
都立駒場高等学校 都立芸術高等学校 都立大附属高等学校 富士見高等学校 国学院久我山高等学校
昭和62年
高校受験
都立駒場高等学校 都立大附属高等学校 都立大附属高等学校 都立目黒高等学校 青山学院高等部 市川高等学校 国学院久我山高等学校
竹の会昭和60年10月開設