画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

母と共に歩んだ竹の会の道

2024.08.20

 母さん、あなたと共にあった竹の会ですが、あなたがこの世を去って、胸を締め付けられる思いで頑張ってきました。そろそろ竹の会と別れる日が近づいてきている、そのことはひしひしと実感してきました。
 時折、体調を崩し、病院に行くことも増えてきました。わたしが生涯をかけて付き合ってきた竹の会、わたしには、竹の会はいつしかかけがえのない存在となっていました。最初は母さんの支えで頑張ってきました。子どもたちの合格の報告を毎年何よりもたのしみにしていました。合格を報告するといつも言葉をかけてくれました。竹の会はいつのまにか、わたしとは別の大きな存在になっていました。わたしは、竹の会を理想の塾に成長させることをいつも模索して来ました。得意な数学は最初から竹の会の看板でした。まず1990年前後は近隣の評判の英語塾にやられていました。わたしは、市販の参考書、教科書、学校、特に、青山学院のプリント、大阪のプログレスという人気教材、全てを読み、研究しました。こうして、それらを参考にプリントを作り始めました。一年、二年とすぎて、わたしは、英語指導案の制作にとりかかりました。英語指導案は初版は誠に粗末なものでした。この初版を踏み台に、いよいよ本格的な英語指導案の作成に取り掛かるのです。完成した英語指導案は、3分冊に分かれました。当時一世を風靡した、ワープロ専用機を使いましたので、ポイントは小さく読みづらいものでした。そうそうワープロ専用機では、中学の数学を項目ごとにテキスト化する事業にも取り組みました。まだパソコンがほとんど普及していない時期の、竹の会の姿でした。ワープロ専用機は何台も買いました。理科や社会といろいろ取り組みましたが、意に適った、イラスト、図、写真はまったく無理でした。この点で、大手のテキストに大きく差をつけられ、とても敵わない、大手のテキストを横目にわたしは絶望を胸に、その時竹の会にできること、それはいいテキストを使っての指導でした。平成十年前後ようやくパソコンが普及し始めました。インターネットの走りです。わたしは最初にMacを買って使いこなせず挫折しました。それからNEC98の時代でした。わたしはNECのノートで教材を作っていました。プリンターはどこも性能はよくありませんでした。それからDELLを何台か使いました。DELLのノートは全くのゴミでした。DELLのデスクトップで初めて数式ソフトを使ってレジュメを試作しました。ところがDELLは一年も持たない。後で富士通に変えてわかったのですが、富士通もよく壊れました。他の富士通ユーザーはそんなことはなく、結局、数式ソフトの負荷がパソコンを壊しているのではという結論に達しています。富士通ももう何台か潰しました。この数式ソフトが竹の会のレジュメ製作と指導の武器でした。大手に負けない教材をつくることを可能にしたのですから。このソフトは今も活躍しています。 
 英語は2005年に3代目となる「新英語指導案」を書きました。これまでの集大成として、1冊90ページに受験の基礎レベルまでの中学英語の全てを網羅したのとして、竹の会の生徒が短期間に英語を仕上げる最強の問題集です。1カ月で終わらせてしまった生徒もたくさん出ました。英語は早く仕上げたほど伸びていきます。というか勉強は先送りが一番危なくて、かつての全滅小6は先送りで大量のレジュメを溜め込んでいました。その挙句塾には来ないで家でやるなどということを言い出す始末です。要するに、こういう人は、あらゆる選択を外してきたということです。根底にあるのは、都立志望の家庭に見られる、教育費をケチる姿勢です。心のどこかに塾にカネをかけるのはもったいないという意識があるのです。だから中途半端になる。
 教育というのは、カネをケチってはいけないのです。大学入試になると、例えば、河合塾にカネを出す、おそらく100万弱かかるでしょう。一括です。それで授業を受けない予備校生もいます。テキストだけ手に入れてという予備校生もいます。これをもったいないと言うのではなくて、カネを惜しまない、これが大切なのです。
 わけもわからなかった時代、夢中に頑張った時代、これではいけない、生き残れないといろいろ試みた時代、平成9年ごろ、初めて買ったパソコンはMacで使いこなせず放置した。それからNECのノートシリーズ、随分高かったですね。その後、DELLのデスクトップ、何台潰したでしょうか。このころ初めて今必需品の例の数式ソフトに出会ったのでしたね。一年も放置してから、怖々と算数のレジュメを作りました。最初はソフトがこんなこともできるのだと感動しながら、いろいろ試してみました。平成17年本格的に、高校入試のためのレジュメに取り組みました。この過程で腕を磨きました。そう、独学でしたね。このレジュメ創作が未来の竹の会につながると信じていました。竹の会は小さな塾ですから、集まる人は数えるほどでした。地元密着型から東京都、特に23区を対象にしたのは、平成24年のことでした。もっとも平成20年前後がら他区の生徒が集まる傾向はありました。都立中高一貫校制度が一気に竹の会の募集エリアを23区へと広げました。
 今の算数のレジュメのほとんどは、平成20年から23年に制作したものです。
 平成24年から、わたしは、あたかも芸術家なように、精緻なレジュメ制作に没頭しました。適性、算数で精緻な図をかくことに喜びを感じました。
 わたしは、何か、と尋ねられれば、わたしは、「受験指導家です」と答えるでしょう。勉強を教えるというのと、違います。わたしは、目的を見据えて、子どもを目的地にまで、導く指導をするのです。子どもの学習段階、理解の域を常に見切り、その時にもっとも適切な処方を下すことでしょう。わたしは、その子の心のどんな変化も見逃さない、ように注意しています。何がわからないのか、その子にとっての壁を、なぜ壁なのかをを、考えますね。どんな処方(レジュメ)がいいのか、新たに作らなけれならないのか、想像します。わたしは、想像力こそ指導者に必要なものとずっと思ってきました。
 子どもの心の中を想像する。何がわからないのか想像する。「パーセント」という言葉だけで思考停止してしまう子もいます。まるで頭の中を真っ白にする魔法の呪文のようですね。
 習うより慣れろと言いますけど、小学生というのは、慣れるのが、まず基本の学び方なのですね。一つのことを理解するというのは、複合的な、関係性(繋がり)を総合的に理解するということであり、あること、「ここ」がわかったからと言って、理解したということにはならない。そもそも子どもの「わかった」を真に受けるのがあり得ない。子どもは何度も説明されると「わかった」と言わないと悪いような心情に陥りがちである。また自分は頭がいいと思われたい、そのために「わかった」ということもある。子どもの「わかった」は、様々な心理がそうさせることが、往々にしてある。だから本当にわかったかは、試す、検査するしかない。わたしのレジュメは検査としての意味もあり、家庭で教えると、その子が本当に理解したのか、さらにわたしのどこまで理解しているのかの判断が不能となる。よく家庭でわたしが検査の意図で出した問題を解いて来る子がいるが、なぜか必ず正解で、その子に「親に聞いたのか」と問うと、「自分で解きました」というか、「少しヒントをもらいました」と言うのもいる。しかし、圧倒的に「自分で解いた」という返事が多い。さて、この家庭で解いて来た子たちからはなぜか合格者が出た試しがないのは、別に不思議なことではない。自分でやったというのは、嘘だかである。塾で何時間もかけて解けない問題が家庭で次の指導日までにすんなり解いて出すというのは、あり得ないからである。
 中学が高校へのただの架け橋に過ぎないとすれば、どこの高校へ行くかが当然重要になります。
 中学というところは嘘がスルーされるところです。
 中学の嘘
 内申は偏見に満ちていること。
 教師に高校受験を導く力はないこと。
 中学の文科省指導要領に従ったカリキュラムでは高校受験に対応できないこと。高校入試を差配しているのは、塾である。学校の授業は高校入試のための教科書も終わらないところが多い。あるいは終わったことにする。
 部活をやっていては、受験勉強には全くマイナスなのに、部活を強く勧めるのは、教科書もまともに終われない学校のやることか。
部活、学校行事に消極的な生徒の内申を落とすのも朝飯前である。
 夏休みなどの学校の大量の宿題は、受験勉強に熱心な生徒には受験妨害以外の何者でもない。そもそも学校は、生徒が勉強しない前提で宿題を出している。しかし、その宿題は、並以下レベルの生徒基準で、上位の受験生には時間の無駄でしかない。受験の責任は塾に丸投げなのに、よく邪魔ばかりしたものだ。
 塾を学校の授業についていくため、補習してもらうなどという考えを持っている親ばかりだから、受験は偏差値の低いところしか行けない。昔から都立志望の家庭は経済的に余裕がないため、都立を志望したのだが、結果的には、単願で低偏差値の私立に行くことになるのがほとんである。結果私立高校の高い学費は払っている。ただたいていは高卒か、専門学校ならいい方で、退学というのもそれなりにいる。
 今は、都立も独自校クラスか、小山台、三田クラス以上に行かないと大学もGMARCH(学習院・明治・青山学院・立教・中央・法政)とは行かない。早慶は別格だからなおさらである。
さらに、国立大学、医学部となるともう高校の選択が左右する。
 大学を鳥瞰して、高校を選択するなら、都立でも私立でも難関高を選択するほかない。そうなると中学をどう過ごすかが、何よりも重要となる。ここで学園生活を楽しむなどということを言う親は、大学も成り行き、高校も成り行き、現実には、Fラン街道を真っしぐらとなることは、明らかであり、わたしから言わせれば、そういう思考は、最初から将来の選択肢を狭めて、というか今決めて底辺を低空飛行する人生を選択したことになる。
 答えははっきりと出ている❗️
 中学という期間の過ごし方、その必然としての小学という期間の過ごし方、それぞれに共通することは、ただひたすら勉強することである。
 小学期間は、基本訓練期間である。剣道に喩えれば、計算を毎日やるのは、素振りに当たるだろうか。素振りは、ただひたすら竹刀を振り下ろす行為である。何事も単純な行為ほど奥が深い。徒然草に出てきそう。計算道の達人になる。割合の達人になる。その過程が知能を大いに刺激する。割合から算数へ。思考という世界に入る。トラブルの解決が思考の働きを活発にする。トラブルとは、ここでは、目の前の障害一般、当面は、算数の問題、数学の問題、適性検査問題を言うであろうか。
 より俯瞰して言うと、人生は、様々なトラブルを通して、成長していくものといえよう。トラブルが人生を作るのであり、何のトラブルにも直面しない、すべて親が解決する、いわゆる過保護、甘やかしは、子どもにトラブルにたいする耐性のない子の製作である。トラブルで潰される子を温室に閉じ込めてそのまま大人にすることになる。
 親は昔から過保護でしたが、その中でも、超過保護というのがいまして、子どもが泣けば飛び上がり、子どものやることをすべて親が率先してやる、という親が普通にいました。そういう親の子は、弱々しく、周りの言葉に傷つきやすく、親に最高と褒められてきたせいか、自尊心が強く、他人からの批判に弱く、どうしても社会的協調性に欠けるきらいがある。浮き上がるわけです。
 小学を成功裡に過ごすこと、そして中学は高校への通過点に過ぎないということを前提として、諸々の判断をしなければならない。例で説明します。関係代名詞を中3になるまで学ばない、というのは、なんともばからしい話しです。中1の夏に終わらせれば、英語の世界は一気に広がるのです。ここで英語5文型を学べば、英文解釈へと進められるのです。中3になって英文解釈を始めるなんてゾッとします。かなり長い長文だらけの入試問題を50分で80%正解する力が必要なんです。のんびりと学校を信じて学校のペースでやっていれば、まともな都立さえも受けることはできないでしょう。
 受験というのは、ここぞというときカネをかけなければまず成功しない。これは受験の常識です。東京の渋谷で40年近く、第一線で子どもたちを受験という激闘に送り出してきた私の揺るぎない結論です。直前期にカネを惜しみ、節約コースでやり過ごした人はほとんど落ちています。まだ都立中高一貫校がスタートしてから4、5年は良かった。節約型カリキュラムでも合格できた牧歌的時期があったのです。ところが私立難関受験者たちがこぞって小石川などの有力都立を併願するようになり、もはやこれまでの節約コースでは合格できなくなりました、彼らに負けない目一杯の指導時間を取らなければ勝てない時代になりました。
 竹の会の指導は、もともと直接の指導を通して、実力をつけていく、指導時間に比例して右上がりに実力がついていく仕組みです。節約型のコースだと、指導時間が足りない分、成績は緩やかな右上がりのカーブか、最初は少し上がるもそれからはほぼ横線になるかと思われます。緩やかな右上がりのカーブ、かつてはそういう子が駒場などに行けた時期がありました。
 いずれにしても十分な指導時間を取った、かつてのSコースは、少子化と学習不振児の蔓延により、平成10年を最後に消滅した。平成10年代後半には、高校入試の募集を打ち切り、平成18年に都立中高一貫校対策に完全にシフトした。レジュメ制作は、平成17年に本格化した。まず高校受験レジュメの制作に2年を費やす、平成20年都立西、豊島岡女子、桐蔭理数、立教新座などに合格で証明した。平成20年から23年は、小学生のための算数レジュメの開発に没頭した。試行錯誤と紆余曲折の末、ミクロマクロ法を完成させた。適性検査レジュメは、平成23年12月あたりから入会試験問題の制作がきっかけとなって、制作を始めた。平成24年5月6日竹の会渋谷教室開設。一時期渋谷教室と元代々木教室が併設されていた。元代々木教室はのちに渋谷Bへと受け継がれる。
 この年から、本格的に、適性検査レジュメの制作開始。入会試験問題の制作から始まった適性検査レジュメは、それからずっと「竹の会入会試験シリーズ」として、数百枚制作された。
 受検生は毎年3人前後、なぜか必ず合格者が出た。最初合格は必須レジュメをできるだけたくさん使ったためと思い込んでいた。しかし、25年合格者は、「入会試験1類」「合格答案への道」「算数をクリアにする」の三種だけである。すべてのレジュメは、指導の前の日に製作したものだけである。課題にするということもなかった。ここに合格の秘密があったのだ。わたしは中々それに気づけなかった。26年はそのためできるだけたくさんのレジュメを投じた。ここで大きな失敗をしたことに気づかなかった。レジュメは、家庭に託したものは役に立たなかった。レジュメは塾でじっくりと考えて解いた、ないしは指導したものではければ合格には結びつかないということを悟るまでさらに何年かの年月を要した。
 少ないレジュメで、じっくりと指導する。ここで指導時間の多寡が大きく合格に影響した。
 竹の会は、指導で受かる❗️このとき、これに気づかなければならなかった。
 そもそも一人で家庭でやる勉強では伸びないのだ。少なくとも中学までは、徹底して指導時間を取るしかない。伸びないのは、指導時間が足りないからだ。過去成績を落として去って行った人たち、もともとの能力的な問題があるとしても、伸びないは、家庭学習があったとしても、それは無意味に近い、指導時間が豊富なら回避できた人もかなりいたと思う。しかし、この人たちは、竹の会の決められた規定の指導時間では伸びない人たちであり、講習も節約型しか申し込まない人たちなのだから、それを棚に上げて竹の会を批判するのは、なんとも的外れなことである。
 竹の会は、最高の指導を受ければ、確実に、伸びていく塾だということを、知らないで、最低の指導時間で済ませて、「ダメな塾だった」という人の如何に多かったことか。
 「難関高校に行きたいから」と竹の会をやめて、大手に行った人たちもいた。竹の会でダメだ、と判断したのには、いつも苦笑するしかない。竹の会を、私を知らない、信用しない、見くびる、のは、勝手ですが、わたしを見くびるのは、それだけの親、子ということだと思っている。
 わたしの、竹の会の本当の力を信じる人たちもいました。不思議なことですが、そういう人たちに限って完全にわたしにお任せして何も言いません。
 何かと注文をつけてくる、クレームを、言ってくる、そういう人たちは、必ず失敗しましたし、また大手などに行く人たちでした。

 子どもは家庭では勉強などやらない。またやっていたとしてもそれは「ふり」をしているだけである。親はその「ふり」に単純に騙される。夏休み講習に参加しない人はこの「ふり」で空を切るが如し。他方、竹の会で指導を受けている時間の勉強は、その効果絶大なること計り知れず。

ページトップへ