2022.04.19
釘を刺す! 算数やレジュメを親などに訊いてやったら落ちます。説明聞いてばかりの勉強だと落ちます。よく親に「ヒントをもらっただけ」と言う人がいましたが、考える、解くとは、正解を求めることではなくて、解決の糸口を見つけることです。そこのヒントをもらったのでは、あなたの考えるところはもうありません。
現小5のみなさんへのお願い
なかなか指導が進まない、同じことを十回も二十回も注意されながら、なかなか修正できない、こういう状態が続いていますのを指導困難と言いますが、こういう状況が続けば、基礎力はつけられても、とても受検には間に合わないと思います。今年の受検の小6にはそのような人たちが多かったのです。この1年の指導によっては、竹の会にこだわることなく、別の道を是非考えてくださればと思っております。いい塾は東京ですから、たくさんあるはずです。
◎消去法の本質
選択問題では、通常消去法が使われる。司法試験では、択一式試験があり、5肢から1肢を選ぶ形式が昔から取られている。「正しいものを選べ」というのが、定番かと思うが、「誤っているものを選べ」というのもある。
経験のある人はわかると思うのだが、曖昧な勉強をしていると、2つまでは絞れるが、どちらかわからないという事態にンならず出くわす。
高校受験でも選択問題は定番化している。
ところで、
正しいものを探すのは、かなり難しい。正しらしさを装うのは容易だからである。正しい肢を作るとき、本文そのままにわかるような選択肢は通常作らない。もしそのような肢があったら、99%誤りの肢である。これはよく古文の問題に多い。問題文の古語をそのまま使って現代訳とするものである。普通なら、同じ言い方でも意味が違うから問題にするのでしょ。同じわけがない。ところが得手してそれに引っかかる子がいるのである。この一時を以てもそういう子が感覚で解いている、考えていない、ということがわかる。
消去法の解き方は、間違いの肢を消去していくのが正しい解き方である。間違いというのは、本文と比べればわかるからである。本文にないとか、似て非なる文とか、本文と矛盾しているとか、とにかく、間違いというのは、わかりやすい。しかし、正しい肢というのは、探すのが難しい。読んでそのまま正しいと判断できる肢など出題者は決して作らないだろう。私なら、本文の前提を正解肢にするとか、趣旨を言い換えるとか、一工夫入れる。単純な本文比較でわかるような問題は作らない。それでは選抜試験にならない。試験とは、不注意で、考えの浅い子をはじく、篩にかけるものだからである。
小説の選択肢問題が苦手な子が多い。なぜか。彼らは、感情で判断しているからである。「この時、主人公はどういう心理だったか」と問われれば、感情を推測して、悲しかったに違いない、と決めつけて、肢を選ぶのである。
論理的な言葉判断はない。そうではなくて、判断の基準は、本文に表れている主人公に変化を与える原因となった登場人物の言葉の変化である。変化の前後で言った言葉に必ず何かしら矛盾があるはずである。その矛盾さえわかれば、主人公の感情もわかる。決して、あなたが勝手に推測した主人公の心、感情などではない。国語は、矛盾を根拠に判断する、論理的な科目である。
間違った肢はどれか?
5肢選択問題なら、4肢は正しい。先程も言ったように、正しい肢の確認は難しい。なら、間違い探しをするのか。間違いが1肢なら、その間違いは即座に間違いとわからないように作るはずはない。つまり、間違いを探すのはかなり困難と言える。いかにも正しいようにウソをつくであろうからである。単なる言葉、表現の比較だけで、正誤を判断するのは、おそらくできない。本文の趣旨、価値観から判断することになるのだろうと思うが、それにしてもこの型の問題は難しい。
正しいとされる4肢を消去していくことは、正しさの判断の方が、誤りの判断より難しいという真理は依然としてあるからである。
ちなみに、筑駒、開成には、選択肢問題はない。全問記述問題である。
さて、以上を踏まえて、消去法の解き方についてさらなる思考を重ねてみたい。
よく骨董の真贋を見抜くのは難しいと言われる。プロでも騙されることもある。
本物を何百回も観る、つまり、本物を知ることしかない。
ただ素人目から言えば、真贋は比べるのが一番いいのではないかと思う。本物と比べれば、贋物も歴然とするはずである。
ここで、国語の選択問題の解法は、比較で解く、という結論になる。選択肢どうしの比較も有効である。矛盾する選択肢があれば、そのどちらかが正解である。「似た」肢があれば、どちらかが他方を念頭に作られている。どちらが本家か、本家が正解である。問いそのものの前提を問うのも有効である。そこから本物がわかることもある。本物がわかれば比較すればいいだけのことである。本年、広尾を受けた生徒が選択肢問題をほとんどとれなかったために、いろいろと手をかけたことから考えることもあった。
比較論はわたしのこれからの研究課題である。