2019.01.09
去年12月7日、父が横たわるベッドのある仏間の床の間に懐かしい貯金箱を見つけた。手に持ってみるとまだ硬貨が半分ほど入っており、重かった。かつて父は職場から帰ってくると、百円玉を小銭入れから取り出して、この貯金箱に入れていた。わたしは、父がいないとき、よくこの貯金箱を逆さまにして二枚、三枚と取り出したものである。ある日、父が、「おかしいな、貯まらないな」とつぶやいたのを聞いて、ドキッとしたことが、今は懐かしく思い出される。父はそれ以上に、だれかが抜き取ったなどとは考えもしなかったのか、それで終わった。わたしはその時から抜き取りは止めた。まだこの貯金箱、あったのか、父が横たわるベッドの陰に隠れてひっそりと置かれた貯金箱、もう四十年の前のこと、わたしはこの貯金箱を見ると涙が溢れてくるのを知っている。父はいつも祖母の金の指輪をしていた。あの指輪は、まだ祖母が生きていた頃、わたしが祖母にねだってつくってもらったもの。祖母は毎日通っていた白湯(小さな温泉)で、温泉仲間に「孫が金の指輪が欲しい」と言った、と話したらしい。仲間たちは、「金の指輪を欲しがるなんて、なんという孫なのか」と非難したらしい。祖母は、「違う、孫は、その指輪をばあちゃんがずっとしていてほしい。ばぁちゃんが死んだらぼくはばぁちゃんの形見としてその指輪をずっとしているから」と孫が言った、と説明した。温泉仲間たちは、涙を流してわたしのことを誉めたらしい。祖母が死んで、その指輪は、母の指に引き継がれ、母が死んで、気がついたら父がしていた。だれもその指輪の言われを知らない。知っているのはわたしだけ。祖母はわたしが九州大学に合格した年の8月にこの世を去った。わたしが大学の合格をもたらしたことだけがわたしにできた孝行であった。祖母はいつも温泉仲間に、「孫が九大に受かった」と自慢していたという。祖母がこの世を去り、母ももういない。そして父ももういない。