2020.09.26
◎独自校に合格するには
甘い認識の親が子の夢を摘む、わたしはこの場面を幾度も見てきた。竹の会だったら、合格できてたかも、とよく思った。27年の戸山合格のときは、合格者からいろいろと話しを聞けた。当時同級生は戸山志望が3、4名いて、みなエナに通っていたそうだ。一人は中1から戸山命で取り組んできたという。学年一位は女子で日比谷志望、しかし、全員落ちた。結局受かったのは、竹の会の生徒だけ。日比谷志望の女子は推薦を落ちて、駒場より低い都立に行ったようなことを聞いた。結局、160人いた、彼の中学では、彼が一番いい都立に入ったという話し。彼はよくエナに行っていた連中が得意げにエナ配布の理社のまとめをやっていた、という話をしていた。わたしは彼が羨ましがってるのかな、と思ったが、よくわからない。ただ彼は惑わされずにわたしの指示を守ってくれた。わたしが選んだ、理社のそれはそれは某塾専用教材発行会社の薄いテキストだった。ときどき狂った生徒は過去にいた。狂うとは、こっそり参考書を買ってやったり、大手に鞍替えしたり、わたしから見れば竹の会を信ずることができず挙動不審な親子を言う。ところで27年戸山合格の生徒は今は一橋大生である。
竹の会は信ずる者が救われる塾である。疑い、迷い、不信を抱く者は、竹の会を、去るほかない。
独自校の戦い方
スタートは、小6の2月からでいい。ただし、これは小学時代に基本ができているのが前提である。竹の会で小3から訓練してきた子なら必要な訓練はできている。さらに独自校に入るには高い知能が必要である。つまりは、理数系に強いことが条件になる。これが満たされれば以下の手順をこなせば独自校は合格できる。わたしならほぼ99%合格に持っていけると思う。
竹の会の指導の特色は予め受験までにやるべきレジュメが体系的に完成されているからそれをただひたすらやるだけでいい。数学なら早い子で中1の終りまでには受験レベルに達している。以前は中2の夏あたりを受験レベル指導の開始時期としていたが、今は中1の終りまでにそのレベルに到達する者も出るようになった。
竹の会で必要なのは、努力とそれなりの理解力であろう。わたしのレジュメを読んで理解できなければ、そもそも独自校を受験できるレベルの能力はない、ということだ。
レジュメはやる気さえあればどんどん先へ進めることができる。
英語については、膨大なレジュメもさることながら、竹の会には定番ともいえるテキストがある。「新英語指導案」と「入試英語指導案」。前者は100ページないが、基礎から受験に必要なすべての知識が網羅されている。後者は私立難関向けに製作したものだが、国学院久我山クラスの英語ならほぼ8~9割は取れる、と思う。27年戸山合格者は、これのみで國學院久我山で90点超を取っている。
英語は、さらに英文解釈の訓練が必須となる。竹の会では、高校用副読本を使用することが多い。
数学は、中学の全範囲をレジュメ化している。さらに難関校の過去問を体系的にレジュメ化したシリーズを軸として受験数学を鍛え上げる。竹の会の数学は早実、開成などを想定した最高水準のものといえる。
国語は、読解に重点を置いたレジュメがあるが、むしろ国語については過去問を年度単位で実践練習してレベルを積み上げていく指導が得意である。
理科、社会については、去年までは、某教材会社発行の、テキストをやらせた。かなり薄いものだったので、例のエナのテキストなんかをやっているのを見た、竹の会の生徒には、不安だったかもしれない。しかし、彼は合格後、「あれで十分でした。ただ地理は少し補充が必要かもしれません」というようなことをわたしに言っておりました。地理については、例年の問題を見ると、完全なテキストはないのではないか、と思います。ただ、ここで一つ大切なことがあります。竹の会指定の、あの薄いテキストで合格点が取れるということの意味です。それは決して試験に何が出てもすべて載っているからできるという意味ではないのです。ここで理科社会の勉強というか、試験の対応といったものに誤解があるかもしれません。社会、特に理科は、必要最低限の知識を使って未知の問題に対して推理で解く科目なのです。ここを勘違いしてはなりません。知識の量を追えば、知識の無限地獄に落ちます。知識は追い求めれば際限がないものです。知恵のある人間は推理で解くのです。かつて都立鷺宮に高得点で合格した不登校の生徒がいました。彼は不登校の故に内申はほぼオール1をつけられました。定期試験の時は登校し、それなりの点を取っていたのに、1でした。ただ担任が数学でしたので、数学は2をくれた。彼の内申で鷺宮クラスの都立でも500点満点中460点以上取らなければ合格できない。彼は竹の会に中2から通っていましたが、理科社会はわたしの与えたテキストをさらりと読み流すだけなのに常に9割以上取った。同じく同級生の新宿志望の男子がいたのですが、理社がどんなに勉強しても6割前後なんです。その彼のテキストは赤や黄色のマーカーでもうボロボロになっている。かなりやりこんでいる。それなのに点が取れない。それでわたしは不登校の生徒に聞いてみた。「君は理社の勉強をどのようなやってるのだ、どうしていつも点がいいのか」と。すると彼は答えたものです。「これかな、と思って丸をすると、だいたい合っている」と。彼はテキストを読むとき、問題を解く場面を想定して、これが問われるとしたら、どう問われるか、答えはこれを覚えていたらわかる、そんな読み方をしていたのではないか。ただ見て丸暗記するなどということはやっていなかった。読み方が違ったのだ。だいたいこれかなと思ってマルすると「合っている」として、それだけで90点取れるのか。
理科や社会は、これが問われたときに、これ知ってれば解ける、みたいな勉強でいい。「これ」をから推理、推論して解くのだ。例えば、歴史で、金閣寺だけ覚えてもしかたない。足利義満から金閣寺が出てくる、そのような「つながり」から言葉が出てくるように勉強するということだ。少ない知識で答えられる勉強をするのだ。
竹の会の薄いテキストを知識を網羅したエナのようなテキストと比べても意味がない。要は、目的を意識した勉強だ。もし問われるとしたらどう問われるか、そのとき、何を覚えていたら、推論で引き出せるか、その何をは必要最小限の知識でいい。これが勉強の要領であり、受験経済の論理である。
竹の会では、これまで薄いテキストを使ってきたが、ここ3年は、かなり分厚いテキストも渡すようにしている。都立で満点を取れるテキストと思う。このテキストは昔竹の会で使ったこともあるが、何しろ分厚いので、躊躇していた。三年ほど前に、通っていた中3の女子が、日比谷に受かった先輩(女子)が、このテキストを何回も読み返して理社100点を取った、と言ってわたしに話したことがある。そのテキストなら竹の会でも取れますけどかなり分厚いので何回も回すのは無理かな、と思ったけど、欲しそうなので、そのテキストを発注して取り寄せた。しかし、時間的に結局やれなかったようだ。竹の会では、中1から使える参考書としての意味もえて、特に、夏期などに申込みがあった場合に費用の一部を当てて当該テキストを渡すこととしている。これを受験にも使うので一石二鳥というわけだ。ただし、分厚いので、使い方は細かく指示することにしている。
わたしは高校受験、特に、トップ都立、難関私立受験のプロとして、自負している。わたしの指導、指示に100%従えば、必ず成功すると思う。ただし、一定の理解力と飽くなき努力を惜しまない性格でなければわたしの指導は成り立たない。
高校受験も、小学生低学年から訓練することがベストである。学力の基本をまず身につける。学力の基本とは、計算力、割合の基本などはもちろんであるが、要は、そういう基本の習得過程を通して身につけられる、思考する姿勢、勉強のスタンスみたいなもののことである。小学生の段階で、思考する態度、勉強姿勢を身につけておかないと、中学になっていきなりどうにかなる話しではないのである。
竹の会では、レジュメをとにかく先へ進めることが大切である。早ければ、中1の終わるまでには中3の履修事項は終わる。遅くても中2の夏前には終わらないと、少なくとも独自校は戦えない。
わたしが、小学生低学年から鍛えた子たちなら、問題ない。問題は小学5、6年からとか、中学1年からとか、である。中2からというのは、ない。後者、中1から、これはすでにある程度成績を遺していること、知能がそれなりに高いことが、指導の要件となろう。小学高学年も似たようなものか。これまでの成功者は、知能が高く、勉強に対して真面目であったということで共通している。
正直な心境
わたしはもともと高校受験で生きてきた人間である。本来ならできのいい中学生を導いてトップ都立に合格させる、私立難関に合格させるのが、わたしの最も得意とする仕事であった。しかし、いつの頃からか、そういう優秀な生徒に出会うことがなくなり、高校受験からは離れていった。竹の会には高校受験のノウハウが蓄積されている。かつて早稲田実業高校に合格した鈴木君が、後年渋谷教室の開設に駆けつけてくれたとき、「先生、高校受験をやらないのは、もったいないですね」と残念そうに言ったことがある。「でもわたしの欲しい中学生はもう集まらないからね」、わたしはそう言ったように思う。元代々木教室時代と違って、今や竹の会の子どもたちは、23区全域から、かつては三鷹市や調布市、町田市から通っていた子たちもいる。今の竹の会ならそういう中学生が来てくれる日もあるのかも。