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現代受験論 人は、綺麗なところしか見ない‼️

2025.05.02

🔷人は、綺麗なところしか見ない‼️
 誰もが嫌がる汚い部分からは目を逸らす。いわば臭いものには蓋をしてやり過ごす。そのことは、現代の人たちが、「死」を正面から見ることをしないところに顕になる。よくテレビで流される芸能人の葬儀のシーンは、涙ながらに「天国に行っても楽しく暮らしてね」と語りかける、参会者の涙を誘うショーである。これほどまでに、死を直視しない、天国、楽しく暮らして、などと、現実の死というものに背を向けた、美化した話しはない。
 まさに臭いものに蓋をしたショーである。
 あなたたちは、年に何頭の犬猫が、殺処分になっているか、知っていますか。

  
 「可愛い」という文化
 可愛いいから、いい❗️ 可愛くないならどうでもいい❗️ ペット産業で食っていく人たちのために、とにかく可愛いいペットが量産される。可愛くなければ殺処分する。
 保健所に引き取りを依頼してくる人たちの70%は、飼い主なのだそうです。老齢になって毛が抜けて肌が荒れたから、子犬が成長したから、要は、可愛くなくなったから、捨てる、という感覚ですね。飼い主死亡というのもあります。

 捨てる感覚の親世代から生まれた子どもたちの感覚も怖い。老人を見て「キモい」と普通にいう子たちです。今の二十代、三十代も似たようなもんです。そういう親の下で育っているから。
 汚いもの、人の暗部は、見たくないのです。それは、大人がそういうものを見ないように、まるでないかのように育ててきたからです。直視しない生き方です。死なんてない。老人施設・障害者施設なんて近くに建てられたらたまらない。それで反対運動する。厄介なものには蓋をして生きていく。それで平穏無事と考える。近くに保育園・小学校ができても反対する。そういうものは自分の見えないところに置いてくれ、というわけだ。そういう親の下で育った子がどうなるか、わかりきったことだ。イジメの真因も親の身勝手さが子に見事に刷り込みされたことにある。普通でない者、弱い者を排除する心性は、親世代から受け継いだものでしょ。気に入らない者を排除する。この排除の論理は、臭いものに蓋をしてないことにする、という、リアルな事実と向き合わない姿勢からきている。というか、そういう人たちは、人間の「死」、いや生命あるものの「死」というものを直視できない、その意味で本当は弱虫の性(さが)からきている。
 「可愛い🩷」というのは、汚いものは見ない、背を向ける、排除する、という心が隠されている。
 芸能人の御葬式ショーで、「天国でもゆっくり暮らしてね」とか、キレイゴトを言う人間は、汚いものは、なかったことにする、ないものにする、排除の論理が透けて見えるから、何かそぐわない、違和感がするのは、そのせいなのだろう。
 屠殺は、現代の人たちには、見えないところで、まるで世を偲ぶように、働く仕事と、観念され、わたしたちは、肉屋に並べられた肉を製品として買う。そこには生々しい屠殺の事実は、何事もなかったように、隠蔽される。私たちは、そういうことには、蓋をし、綺麗な肉屋で綺麗な色の肉を買う。子どもたちは、死というもののリアルを知らないままに、大人の排除の思想を当然のように受け継いで、自分の感覚に合わないものを「キモい」と言って排除する。現代の子どもたちに、死する者の立場に立って考えることはできない相談である。可愛い、綺麗で、可愛くないものは、排除する親たちは、見事に子に排除思想の刷り込みに成功している。「そんなものはないのよ」「知らなくていいのよ」と。
 排除思想は、一人歩きして、老人排除、障害者排除などなどとあらゆる場面で発揮される。
 生きるということは、食料として殺される牛、豚、鶏の命を絶つことである。殺される場面(仕事)を知らない人たちが、そういう現実から目を逸らし、子どもに刷り込む(印刷)する。子どもは、老人を見て「汚い」と言う。人の痛みのわからない人間が、キレイゴトを言い、感覚的に違うからと排除する。

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