2025.01.21
🟥国語とは何か❓
文章を読み取れない子どもたち❗️
文章に書かれた事実を図にできない子どもたち❗️
適性検査問題の問題文の意味するところが読み取れない子というのが、多数いる。文章に何が書かれているのか読み取れないから、そもそも問いに答えられるわけもない。
総じて文章を断片的に読み、語彙力が貧困だから、抽象語は飛ばし、だから斑読みである。これなどはまず語彙力の問題かと思われるが、特に、抽象語が言葉として脳内に思考言語として設定されていないために、思考の段階が恐ろしく幼稚なこと、また小学低学年に特有の幼さというものが思考を妨げていることがある。合格者を見ていると、他の子に比べて特に際立つのは、成熟度である。下世話にませているのだ。世間を大人顔負けに知っている。これを要するに、思考言語に長けているということである。こういう子の言語の仕入れ先はどうか。ここからは推測だが、住んでいる環境がある。わたしの経験では、例えば漫画「こちら亀有派出所」を全巻読んでいたというのがある。あの漫画はとにかく世の中を知るには役に立つ。とにかくお子ちゃま環境では世の中はわからない。加えて昨今の過保護、甘やかしの風潮は子どもを子どものままに封じ込める。親が「危ない」と先回りして何もかも手立てするから、子は失敗を通して世の中を、学ぶこともない。国語ができないからと国語教室に通わせる、本末転倒の親は問題はそこにないことを永久に知ることはない。本末転倒❗️これが昨今の親の姿である。よく竹の会に子を通わせるというとき、「まだ小4だから心配」という理由で断念する母親がいたが、何を言っているのか、小2から遠くから通っていた子もいたのにである。何か事故があるのは、遠いからとかいうことではなく、学校の帰りや近くの(地元の)塾なんかの特に気の緩んだ帰りに起きることがずっと多いのだ。事故は起きるときは起きるのであり、特に子どもは近くだからという気の緩みから注意・緊張が飛ぶのだ。遠くの方が緊張感もありそれだ用心もするものだ。それこそが世の中の体験である。近くだから安心などという親は実は近いから危ないのに、子に世の中を体験させる機会を奪い、常に「危ない」からと洗脳し、萎縮させ、子の世の中の現実を知る機会(権利)を奪ってきたことに一向に気づくこともない。そういう「危ない」からダメ型のママはいつまでたっても「危ない」で子を庇い、自立性を損ない続け、子どもを狭い閉鎖的世界に閉じ込めてきた。世の中で生きていけるようにという教育は硬く閉じられてきた。それが本末転倒型の母親(もしくは父親)のやったことである。子どもはとにかく世の中を体験させて育てることで、言葉を思考言語に高めることができるようになるのである。
国語ができないということの原因は奥深いものがある。なんでもかんでも、封じ込めれば解決できるなんて思考をする前に、如何に子どもに世の中を学ばせるか、そこから生きた言葉を獲得できるか、まずそこでしょ。本末転倒の親の皆さん。